最後の晩餐(ばんさん)
「魔女さま、こちらです」
悲痛な表情のフェラウドさんについてゆく。
竜馬のミーミルは広場で留守番だ。案内された彼の家は、広場から歩いて五分ほどの、村の中程にあった。漆喰の白壁は周りの家々と同じだが、玄関前の花は枯れかけていた。
「おじゃまします」
「お父さん、その人は……?」
ドアをくぐり中に入るなり、女の子が駆け寄ってきた。
「魔女さまだ、お母さんを診てくれる」
「お父さん! あのね、お母さんが……! ずっと苦しんでいて……私、もうどうしたらいいか」
フェラウドさんが抱きとめたのは、十歳ぐらいの女の子だ。泣き腫らした顔、亜麻色の髪をお下げにしている。
取り乱した様子から、お母さんの様子がよほど悪いのだろう。
「リーン、魔女さまがきっと母さんを楽にしてくれる……!」
「ほんとに!?」
女の子が私を見つめる。
「でも治せるわけじゃないの」
何度目かの同じ説明をする。
傷も病気も治せない。ただ痛みを取り去るだけ。
フェラウドさんは娘さんにも説明してくれたが、それでも期待せずにはいられないのだろう。娘さんに、せめてもの希望を持たせたいのかもしれない。
「魔女さま、妻は寝室です。こちらへ」
フェラウドさんが娘のリーンさんを抱き寄せながら、奥の部屋へ向かう。
私も二人についてゆく。入ってすぐが暖炉のあるリビング兼キッチン。生活感のある散らかった部屋。その奥にある寝室へと足を踏み入れる。
死にかけた病人の臭いがした。
「メロウラ、魔女さまを連れてきた。病気を診てくれる」
粗末な寝台の上に、女性がうずくまっていた。乱れた亜麻色の髪、痩せた手でシーツを掴んで苦しんでいる。
「う、うっ……ぐ!」
「お母さん!」
「魔女さま、お願いします」
かなりの苦痛を感じている。私が近づいても気づかないほどの。
「失礼」
近づいて女性の背中に手を当てる。
高い体温、荒く浅い呼吸。肌の血色は悪く、意識は朦朧としている。
「薬師や医術師にも診て貰ったのですが、無理だと……首を振るばかりで」
フェラウドさんと娘のリーンさんは元気なので、流行り病などではない。奥さんの身体の奥深く、悪い病巣があるのだ。
悪魔の肉腫、身体を食い荒らし腐らせる不治の病。
これは……相当に重症だ。
もう助からない。
「魔女さま、お母さんを……助けてください!」
涙目でそんな風に言われたら仕方ない。
仕事をしよう。
「痛みならとってあげられる」
目を閉じる。
手から痛みを吸い取るイメージにより、スキル発動。
「……っ!」
途端に激痛が押し寄せてきた。内臓を押し潰されるような圧迫感と、ナイフで刺すような鋭い痛み。
「ぐっ……が、ああッ」
思わず悲鳴が口から漏れる。
痛みには慣れっこの私でも耐えきれない。
やばい、これ……痛いなんてもんじゃない、息が止まりそうなほどの激痛に一気に血の気が引く。
「魔女さま!?」
身体をくの字に曲げて膝を折った私の、あまりの様子にフェラウドさんは動揺し、娘さんは絶句している。
「だ、大丈夫」
目の前が暗くなり、吐き気がこみ上げる。辛いなんてもんじゃない、これは死の苦しみだ。
瀕死の……人間の感覚だ。
二人の問いかけに答える余裕さえない。
「う……ぐ」
脂汗が噴き出して、立っていられない。寝台わきに倒れそうになりながら、耐える。女性から手を離さず痛みを吸い取りつづける。
もう少し、もう少し……。
死の激痛が薄れてきた。ようやく『痛み箱』が、痛みを吸い込みはじめたのだ。
まるで私が苦しむのを愉しんでいるみたいな、忌々しいスキル。
「…………はぁ……はあっ」
なんとか痛みを受け取り尽くした。
ヨロヨロと立ち上がり呼吸を整える。
寝台の上の女性の呼吸は穏やかになっていた。ゆっくりと仰向けに寝転がる。
「お母さん……?」
ぐったりとした様子の母親に、娘さんが慌てて近寄って声をかけた。
「メロウラ……!」
フェラウドさんが奥さんの名前を呼ぶ。
「……あぁ、リーン? あなた……?」
目をあげた。意識がはっきりしてきたのだ。
「お母さん、私だよ! わかる?」
「気がついたか!?」
「……急にね……楽になったわ。……あぁ、痛くない……。こんな気分……嘘みたい」
寝台の上で横になったまま、視線を泳がせていたメロウラさんの瞳は次第に光を取り戻し、夫と娘さんに視線を向けた。
「よかった!」
「奇跡だ……!」
「……ふたりとも……そんな顔をしないで」
「あの、お話があります」
盛り上がっているところ悪いけれど、私はこの家族に告げなければならないことがある。
「魔女さま、ありがとう!」
「ほんとうに感謝します」
娘のリーンちゃんと父親に頷きつつ、冷徹な真実を伝えなければ。
「奥さんの痛みを無くしました。ですが、何度もいったとおり病気は治っていません」
「でも……元気に! もう大丈夫なんだよね!?」
娘さんは受け入れがたいかもしれない。
「奥さまの命は、もって今日か明日だと思います」
「そんな」
「嘘……」
絶句するフェラウドさんとリーンちゃん。私は二人をまっすぐ見つめ、無言で真実だと伝える。
メロウドさんから受け取った痛みの強さと総量。それは人が死に至る寸前のものだった。
苦しみのなかで藻掻いていた奥さんは、どれほど辛かったのか、身をもって知ってしまった。
私はメロウラさんの手をそっと握る。もう吸いとれる痛みは無い。
「残された時間を大切にしてください」
「……はい。魔女さま、ありがとうございます」
彼女は静かに頷いた。
理解してくれたのだ。
消えた痛みの意味を。
自分の身体がどういう状態か、それを一番良く知っているのだから。
私は銀貨一枚を受け取り、家を後にした。
空は青く、ちぎれ雲が赤く染まり始めていた。
広場に戻り竜馬ミーミルと合流。
その夜は、少年ラウル君とお爺さんの家にお世話になることにした。
ささやかな夕飯と湯浴みと寝台。
ミーミルは羊小屋の干し草で眠る。
私が旅の話を語り聞かせると、ラウルが目を輝かせた。お礼代わりに、お爺さんとお婆さん、それぞれの腰と肩の痛みを引き受けた。
翌朝――。
「魔女さま、いらっしゃいますか」
出発の準備を整えていると、フェラウドさんが訪ねてきた。一人で、何かとても穏やかな表情で。
傍らに娘さんはいない。
「妻が、明け方に息を引き取りました」
「……残念です」
私は静かに目をつぶり、追悼の祈りを捧げた。
「夕べ、ほんとうに久しぶりに妻の笑顔を見ることができました。娘と……キッチンでシチューをつくり、三人で食卓を囲んだんです……」
最後の晩餐。
緩やかに灯る蝋燭、湯気をたてるシチュー。
嬉しそうな娘のリーンちゃんを見つめるメロウラさん。温かな家族の夕食の光景が目に浮かぶ。
「無理をするなと言いましたが、妻がどうしても一緒にと。私や娘が美味しそうに食べる様子を……ほんとうに嬉しそうに見つめながら」
「娘さんは」
「一緒に家にいます。泣いていましたが、魔女さまにお礼を、と」
「そうですか」
「ほんとうに、ありがとうございました」
深々と礼をして私は村を去った。
雲雀が朝日のなかを飛んでゆく。
『チユ、良いことした?』
ミーミルの背中に揺られながら、私は草原の向こうを見つめていた。
朽ち果てて苔むした鋼の巨人像が、地面から斜めに突き出ている。
「私は何もできなかった」
『でも、ありがとうって』
「そうだね」
少しの間だけでも、誰かが笑顔になれたのなら。
それで良いのだと思うことにする。
<つづく>




