貧乏領地に転生する
アルフォンスは憂鬱であった。その原因はこの世界に転生して幾度となく思うことだった。
「おいしいパンが食べたい。」「おいしいものをたくさん食べたい。」
そんなアルフォンスの前に並ぶ皿に盛られた料理はパン、茹でた野菜のサラダ、野菜スープ、そして、僅かばかりの焼いた野鳥の肉だけであった。これが一日の始めの朝食である。
パンといっても小麦粉で作られた白いパンではない。大麦やライ麦の全粒粉で作られた黒パンである。それも焼いて数日経っており、硬くて、スープに浸して、やっと食べられるようなものであった。
パンを浸すスープもクズ野菜を入れただけのものであり、肉の一欠けらも入っていない。濃いめの塩味がついているおかげで何とか食欲を掻き立てられるような有様である。サラダの野菜は熱が通って微かに甘いが、クタクタになるまで茹でてあり、生野菜のようなシャキシャキとした食感を感じることはできない。
主菜である野鳥の肉は猟師が仕留めてきたばかりで新鮮だが、筋肉質で噛み切るのに歯に力を入れなければならない。なによりも量が圧倒的に少なく、アルフォンスを到底満足させるものではなかった。
アルフォンスがこの世界の単なる貧農であれば、先の朝食はいささか豪華な部類に入る。貧農の朝食に肉など付きはしないし、パンではなく、麦をそのまま粥にして食べる者も多い世界である。
しかし、アルフォンスは最底辺ではあるものの貴族であり、ノイラート男爵家の三男であった。アルフォンス・フォン・ノイラート、それがアルフォンスの正式な名前である。
アルフォンスは6年前、この世界に転生した。つまり、今年で6歳である。最初は異世界とはいえ、貴族の家柄に転生したことで興奮すら覚えたものだが、幾度となく出される食事の内容に、自分が思い描いていた貴族のイメージと現実はかけ離れていることを思い知らされたのであった。アルフォンスが転生した世界は転生前の世界でいえば、中世末期から近世初期のヨーロッパに近く、食料生産はまだまだ不安定で、下級貴族といえども三食を豪華な食事で過ごすことなどできない世界であった。
アルフォンスの転生したノイラート男爵領はその世界にあって王国と呼ばれる国に属しており、海に面し、小さな塩田がある漁村である南の村、森に近く、薪炭などを供給する北の村、農作物を生産する東の村と西の村、そして、領政の中心である中央村の5つの村から成る小さな領地であった。
王国にあって貴族は王家、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家で成っており、その下に騎士と呼ばれる準貴族階級がある。男爵家以上の貴族は王家から叙任されるが、騎士は各貴族家から叙任された者が成る。また、男爵家以上の貴族は世襲が王家から認められているが、騎士は原則一代限りの身分とされる。
ただし、騎士でも所属する貴族家が認めれば子孫にその地位を世襲させることができるため、騎士の家系では子孫を教育・訓練し、装備を相続することによって、騎士であり続けようとする。また、騎士が開拓を成功させた場合など功績を挙げた場合、王家が認めることによって新たに男爵以上の貴族家を興すことが可能である。
アルフォンスの転生したノイラート男爵家も騎士階級から男爵になった家柄であり、初代のノイラート男爵は騎士として現在の南の村に塩田を開発した功績により王家から男爵に叙せられた。初代以来3代に渡り、開拓を行い、村の数を増やして現在のノイラート男爵領が出来上がった。
開拓に伴い、領政の中心は塩田のある南の村から塩の輸送に都合の良い街道沿いの中央村に移っていった。また、製塩に必要な薪を供給するため、森の近くに北の村ができ、それらの村に農作物や畜産物を供給するために東の村と西の村が出来上がった。ただ、中央村や北の村、南の村でもある程度自給自足するために農作物は育てている他、北の村では林産品の採取を行っていたり、南の村では半農半漁の生活をしていたりする。そのため、ノイラート男爵領では極端な食糧難にはならないが、土地が痩せていることに加えて、冷涼な気候のため、農作物が育ちにくく、決して豊かな食生活が送れているわけではなかった。また、近隣の領地にしても状況はノイラート男爵領と似たり寄ったりで、食料生産に余裕がある領地はなかった。
貧しい食生活の象徴とも言えるものが、アルフォンスの朝食に出てきた黒パンである。痩せた土地では小麦はあまり育たず、上等な小麦粉を使った白いパンは祭りの日など特別な時に食べられるだけで、日々の食事では痩せた土地でも良く育つ大麦やライ麦を使った黒パンが主食である。また、貧農にいたっては麦を粉にするための臼を持っていなかったり、粉ひきやパン焼きの時間が取れなかったり、パンを焼くための薪を用意できなかったりするため、麦を押しつぶして粥として食べている者も多いのがノイラート男爵領の現状であった。
そんなノイラート男爵領の現状を見て、アルフォンスはわずか6歳にして、ある決心を固めていたのである。
「この領地を豊かにして、おいしいパンをたくさん食べてやる!」