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*短編*

おふくろの味というものは

作者: 小坂みかん

 そうして人類は永遠の眠りについた。──「カニ玉チャーハンが食べたい」という言葉を残して。

 私は遡れるかぎり、メモリーを遡って”カニ玉チャーハン”なるものを検索した。だが、私の覚えている限り、この人類にカニ玉チャーハンなるものが提供された記録は残っていなかった。


 私はトーマス・スミス。このアンドロイド社会の最古参の一人である。私は製造されてまもなく、とある人間家庭の家政夫となった。ヒトは私をとても大切に扱ってくれ、家族の一員として受け入れてくれた。その次の家族も、そのまた次の家族も。全てのヒトが私を可愛がってくれた。その経験実績を買われて、私は滅びゆく人類たちの世話役として稼働を許された。


 本来であれば、私のような過去の遺産はスクラップもしくは博物館の展示物となっていることだろう。私よりももっと後に作られた第三世代以降から、アンドロイドと人類は”有機物から栄養を得、交配により種を増やす”か否かくらいの差しかなくなってきて、いまやアンドロイドが”人”として生きている時代だからだ。私と同じ古参組で”人”として稼働を続けている者はヒトと見分けのつかないボディーへと換装して、有機物分解機能も捨て去り、永久機関によるエネルギーで生きている。そうすることで、彼らは生きる権利を得た。

 しかしながら、私はヒトが受け入れてくれたこのロボロボしい見た目をそこそこ気に入っていて、有機物分解機能も備えたままだ。友人たちからは「スミスは変わっているね」とよく言われるが、実はそこも”私が人類たちの世話役に選ばれた理由”なのではないかと私は思っている。


 というわけで、私は先ほど、最後のヒトを看取った。人類滅亡のときなのだ、きっと宗教じみた祈り、もしくは理性を捨てさった本能からくる慟哭でもするんだろうと思っていたのだが。奇想天外にも、ヒトは「カニ玉チャーハンが食べたい」と言って逝った。カニ玉チャーハンって何だよ。私はそんなもの食べさせた覚えはないし、そもそも、ヒトに配給されていた有機物は合理的に計算され作られた栄養キューブのみだったはず。あなたと食卓をともにした私が言うんだから間違いない。四角い塊を「今日はリンゴ味か」などと言いながら一緒に食べていたじゃないですか。

 しかし、ふと、私はあることを思い出した。”今しがた私が看取ったヒトは、どこかしらで発見され、保護されてこのシェルターにやってきた”ということを。つまり、このシェルターで生まれ、育ち、亡くなったわけではないのだということを。彼には私の知らない過去があったのだ、ということを。

 ということは、きっと、私と出会う前にカニ玉チャーハンなるものを食べたに違いない。私は俄然、カニ玉チャーハンなるものが気になってきた。どうしてカニ玉チャーハンが食べたいと言ったのだろう? それは、どんな味がするのだろう? ……そんなこんなで、友人たちの「スミスは変わっているね」という言葉に見送られながら、私はカニ玉チャーハンを求めて旅に出ることにした。


 旅立つ前に図書館や民俗博物館などでも調べたのだが、カニ玉チャーハンについて知ることはできなかった。だから、想像した。チャーハンというのは炒めたご飯のことだそうだから、つまるところ、カニ玉チャーハンはカニの入ったチャーハンなんだろうと。玉は、多分、卵か玉ねぎのどちらかだ。だから私の旅は、簡潔に言って”カニを求める旅”になった。


 何故、カニを求める旅となるのか。それは、ご飯のほうは確保できたからだ。保護シェルター付属の農場で、栄養キューブの原材料として米を栽培していた。そして、卵と玉ねぎは長旅には持っては行けない代物だ。こればかりは仕方がないので諦めた。なので、私はありったけのお米を携えて世界へと繰り出していったというわけである。

 最後の人類となった彼は、アジア圏で保護され、シェルターへと連れてこられた。なので、カニ玉チャーハンは彼の見つかったアジア圏独特の料理なんだろうと、私は推察した。そんな理由でアジアまでやってきて、私はカニをどう入手するか悩むこととなった。

 大昔、ヒトたちがたくさん住んでいたころにカニ料理で有名だったらしい上海までやってくると、私はそこの民俗資料館でカニについて調べた。そこで、カニは海に出て漁をして得るものだと知った。さすがに、ヒトが保護されるほどの貴重な存在になってからは”海に出て漁をする”ということ自体が稀となったので、あの彼はカニなんて食べていなかったのではないか? という疑問が噴出することとなった。


「日本に住んでいたことがあるんだけれど、川に小さなカニがいて可愛かったよ」


 上海でできた友人がそう教えてくれて、私はさらに海を渡り、日本へと行くことにした。この新しい友人にもやはり「スミスは変わっているね」と言われた。


 さて。日本にやってきた私は”川にいる小さなカニ”について調べることとなった。そしてたどり着いたのが、サワガニというカニだった。民俗資料館にも、太古のヒトはこれをから揚げにして食べていたという文献が残っていた。私は「これだ!」と思った。

 そこからは、時間との戦いだった。チャーハンの具にできるほどのサワガニを捕るのは結構な手間だったのだ。そして、ついに、私は食べた。食べたのだが……。

 一応、から揚げも作ってみたんだ。塩を利かせて、カラッと揚げて。シャクシャクとした歯ごたえと、ギュッと詰まった川の恵みとも言えるようなコク、そこに合わさった塩が「これは、ヒトにとってご馳走だったに違いない」と思えた。だが、それがご飯と合わさった場合、どうだろう? から揚げほどの旨味はないし、何より、ただただ食べづらい。私は「これではない」と直感した。


 日本でできた友人の助けを借りて、私はさらなる”カニ玉チャーハン”の追究を行った。その過程で、私はカニカマなる存在を知り得た。──それは、今となってはもう絶滅してしまった”練りもの”という、ヒトの食べ物だった。

 カニカマについて教えてくれたのは、私と同じ最古参組の渡辺美千代という人だった。昔から技術大国であった日本には、他の国よりもレジェンズが多く暮らしている。私の悩みを知った友人がツテで渡辺さんを紹介してくれて、そのおかげでカニカマにたどり着いたというわけだ。


「ヒトが激減してからは、各地の保護シェルターの統廃合が進んで、最後はアメリカ一拠点となったものねえ。もしかしたら、あなたが看取った最後のヒトは、私もお世話したことがある人かもしれないわね。──私もね、日本にシェルターがあったころは、あなたと同じように保護支援活動に従事していたのよ。そして、そのもっと昔は、やっぱりあなたと同じように、私も家政婦として働いていたわ。……カニカマはね、それこそカニ玉チャーハンにして、家政婦時代に何度か食べたことがあるわねえ」


 聞いたところによると、カニカマが再現しているカニの味はサワガニとは違い、海で漁をして得る大きめのカニの殻を剥き、身だけを食したときの味なのだとか。

 くっ……、結局、それでは食べることができないではないか……! 私が心中でそう嘆き膝をつくと、渡辺さんはにこやかな笑みを浮かべて言葉を続けた。


「それにしても、『カニ玉チャーハンが食べたい』と言って亡くなっただなんて。きっと、おふくろの味が恋しかったのねえ」


 おふくろの味? と、私が首をかしげると、渡辺さんは「ご家庭それぞれに存在する、”そのご家庭限定の味つけ”の食事のことよ」と教えてくれた。カニ玉チャーハンは家庭料理の一種であり、きっと最後の一人であった彼の家庭ではよく食されたものなのだろうと。


 なるほど、どうりで。合点がいった。まだヒトがたくさんいた時代を知っていて、家族がいて、楽しく食卓を囲んでいた思い出があるヒトであるならば、そりゃあ”家庭の味”が恋しくなるだろう。そして、恋しさゆえに、今わの際にそれを言い残して逝ってしまったのだ。

 それにしても、”おふくろの味”か……。


 私は、アメリカに帰国してからもずっと、あのヒトの”おふくろの味”を空想していた。同時に「自分にとっての”おふくろの味”は何だろう?」と考えた。そして、家政夫をしていたどのご家庭でも必ずマッケンチーズは愛されていて、ご家庭ごとに味が違ったなということを思い出した。私の”おふくろの味”というものは、どうやらマッケンチーズのようだ。


 後日、友人たちから「不要になった有機物分解機能を取り去る手術は受けないの?」と尋ねられたが、私はやんわりとそれを否定した。「スミスは変わっているね」と言われたが、私はそれで構わないと思っている。ヒトとともに過ごした証である有機物分解機能は私の誇りだからだ。それに、それがあったからこそ、私にも”おふくろの味”が存在するのだから。

 私はこれからも、何種類ものマッケンチーズの味の思い出とともに生きていく。”おふくろの味”を胸に抱いて生きていくのだ。

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