第91話 チェラグニュール山脈4
「た、助けて…助けてください……」
「お前らは今までそう言ってきた人たちをどうしてきたんだろうねぇ」
上から高みの見物を決めていた研究者たち。しかしそこへ鉄壁を引き剥がしてメスティが入り込み、全員逃げられないように足の骨を蹴り砕いた。
安全だと勘違いしていた研究者たちは一瞬のうちに己が危機を知り、必死に命乞いをしている。メスティはそんな研究者たちを見てどうしようか悩んでいる。
そして近くにある研究資料を手に取るとペラペラとめくって中を確認した。それを見た一人の研究者は胡麻をするように近づいてくる。
「そ、その研究論文は私が書いたものです。貴方様のそばに置いていただければ必ずお役に立ちます。」
「…これお前が書いたの?」
「はい!お気に召しましたか?」
「…ゴミじゃん。」
「………は?」
「いやこれ…色々実験してその結果から色々書かれているけど…別にこのくらいのことならわざわざ実験しなくてもわかるし。なんというか…やった感はあるけど、結果が大したことないんだよな。この研究にかかった費用を別のことに使いたいわ。こんな研究するやつ手元に置いておきたくないわ。金を使い潰すだけの研究者を雇う余裕はない。」
メスティはその場でこの研究論文の発展版についてサラリと語ってみせた。それに対し反論しようとした研究者だが、口を開いたまま震えている。
「ってなわけでもしもこの研究論文のための実験費用があるんだったら、俺ならもうちょっと趣向を凝らして実験させたいな。」
「そ、そんな馬鹿な…今の一瞬でこれだけのことを語れるなど。わ、私だって研究者としては…」
「本当に優秀な研究者ならメラギウス先生の下、国の研究所で働いているはずだ。この論文はあそこの研究者たちと比べると格段に劣る。大方、国の研究所から追い出されたか…そもそも受からなかった程度のやつだろう?人体実験までやっているのに研究結果があの程度という時点でお前らに価値はない。」
メラギウスは基本的に一人で研究を行なっているが、一応国の研究部門の大臣を任せられている。大臣としての名はほとんど肩書きだけのものだ。国が運営する研究所にもほとんど顔を出さない。
しかしそれでもメラギウスが大臣を務める国の研究所というだけで多くの研究者たちが集まってくる。はっきり言ってこの国の研究者のレベルはかなり高い。
そして今、目の前にいる研究者たちはその国の研究所からあぶれた研究者だ。どこかの貴族に拾われ、こうして人目のつかない場所でイカれた実験を行なっている。
そんな彼らを助けたところで何かの役に立つことはまずないし、余計な問題を抱えるだけだ。そうなればやることはひとつだ。
「お前らを国に引き渡して拷問なりなんなりして情報吐かせて黒幕捕まえる方が実に有意義だ。国に恩も売れるから俺としても十分価値がある。俺にとってお前らの価値はその程度なんだが…お前らはどう思う?」
メスティは背後を振り向く。その様子を見ている研究者たちは皆ポカンとした表情だ。なんせそこには何もない。
しかしメスティがじっと見つめると小さなため息が聞こえた。そして天井に備え付けられている換気口の蓋がゆっくりと開くとまるで蛇かナメクジが落ちてくるように一人の男が落ちてきた。
「気配を消すのには自信があったんですけどねぇ。自信がなくなってしまいます。」
「そこに人間がいるんだからどんなに頑張っても限界はある。他の子たちも降りておいで。随分と大所帯のようだから隠れているのも窮屈だろう。」
メスティがそう言うと目の前の男は再びため息をつく。そして軽く手を鳴らすとどこからともなく十数人の人間が現れた。
それを見るとメスティは嬉しそうな笑みを浮かべる。なぜならその中にあの男、死神と呼ばれる鎖鎌使いがいたからだ。
「さっすがうちの王様。今回ばかりは外れたかと思ったけど、本当に出てくるとは。おっひさ〜」
笑みを浮かべて手を振るメスティ。だが死神はなんの反応も示さない。
「おやおや、うちの手下の中に知り合いでも?」
「うん。そこの鎖鎌使い。随分珍しくて面白い武器なのに強いものだから気に入っちゃってね。彼がもしも貴方の弟子だと言うのなら俺は貴方にも興味が湧く。ドキドキが止まらないね。」
「逆に私としては貴方に興味を失いそうです。神童と呼ばれ、いずれは国の切り札となると言われた男。そんな君があの程度の弱小加護をもつ彼ごときを強いなどと言うとは…随分過大評価されてきたようですねぇ。」
「彼レベルで彼ごときと言われるのか!ますます興味深い。同じ歳の位では彼が一番強いと思ったんだけど…随分とそちらの組織はレベルが高い。」
空気がピリつく。殺気が渦を巻いている。小さな咳払い一つ、くしゃみ一つがきっかけとなり殺し合いが始まりそうだ。
そんな殺伐とした雰囲気。だがその雰囲気は両者の思わず込み上げてきた笑いと共に消え去った。
「いやぁ楽しいですねぇ。我々は暗殺専門。暗殺が通用しない場合は即座に撤退するのが定石。ですがそれでも…時にはまともに戦いたくなりますねぇ。」
「あんたらのやりたいことは2種類。第一優先は俺を始末すること。だがそれが無理な時は研究者たちを始末して口封じを行う。俺を殺すか研究者たちを殺すか。二つに一つ。撤退はあり得ないだろ。まあ一度撤退して俺が研究者たちを引き連れている時を狙う方法もあるな。選択種が増えたぞ。さあどの方法をとる?」
「そうですねぇ…では小手調べとでも参りましょうか。」
男が軽く合図を出すと数人の者たちがメスティに向かって駆け出してきた。それに対しメスティはその場で睨みを効かせる。
その瞬間、メスティの気迫に押された者達は足を止めた。だがそれでも命令を守るために再び駆け寄る。しかしその足取りは恐怖に竦んでおり、すぐにメスティによって気絶させられた。
「まあまあってところだな。加護を授かる前の子供ならこんなものだろ。」
「素晴らしい!この子達には恐怖を取り除く教育を施していると言うのに、本能的な恐怖を呼び覚ます気迫を発するとは!先ほどの過大評価という言葉は忘れてください。正当な評価をされてきたようだ。」
「あんがとさん。それで…このあとどうする?」
「さてさて…どうしましょうかねぇ……」
悩むそぶりを見せる男。大方結論は決まっているのだろうが、この状況を楽しんでいるのだろう。だがメスティは男が結論を発するまで待つ。
「よし。では逃げましょう。お前達は時間稼ぎと出来たらこのメスティくんと後ろの研究者達を殺しなさい。」
「わ、我々を見捨てるのか!?」
「もうここで必要な実験結果は得られたそうなので、ここは廃棄する予定だったんですよ。貴方達ももう必要ありません。それでは失礼します。」
「なんだ。俺と遊んでいかないのか?」
「遊びたいのは山々ですが、私の利用価値はまだまだ高いのでここでの優先事項は私の無事です。その他のことは取るに足りない。それでは。」
男は再び通気口へと戻っていく。その気配を数秒は追うことができたが、一度追うことができなくなると完全に気配が消失した。




