第8話 始まりの試練
暗い森の中を歩く。木々の隙間から見上げた山の稜線は朝日の前触れか、うっすらと白んできた。だいぶ日が早くなってきた。明日からはもう少し早く起きなければ戻る頃には完全に朝日が昇っているだろう。
そんな森の中を歩くと突如空間が開ける。目の前には立派な大木がそびえていた。太古の時代から生きているその大樹の根本には小さな、それでいて雰囲気のある祭壇が祀られている。
その祭壇の前まで行き、ゆっくりとしゃがみこむ。ここで朝日が昇る前から祈るのがメスティの日課だ。魔導農家の加護の魔紋が現れてから毎日忘れることなくこうして祈りにきている。
声を発さずに祭壇の前に座り、祈りを始めるメスティ。その姿はなかなか様になっている。そして祈りを捧げながら魔導の力を放出する。こうしてやると祭壇を通して神との繋がりがより強固になる気がするのだ。
「今日も多くの恵みをありがとうございます。お供え物はまた昼頃に皆と来たときに持って来ます。それからもうじき夏が来ます。暑さが厳しい季節にはなりますが、より多くの恵みを得られます。」
それから他にもちらほらと報告をするメスティ。初めのうちはただ無言で祈りを捧げて帰っていただけだが、こうして口に出し報告することで自分の頭の中が整理されスッキリしたため、報告も日課になっている。
「春先に蒔いた穀物が大きくなって来ました。皆食が豊かになると喜んでいます。…ですが今後のことを考えるともう少し作物の種類が欲しいところですね。欲深いことですが、街から運んできた種は種類が限られていますから。季節ごとに考えればどうしても食が偏ってしまう。」
些細な愚痴。しかし加護の影響でこの地を離れられないメスティにとっては重大な問題だ。育てる作物が一定のもので固まってしまえば病気が蔓延しやすくなる。一度作物が病気にかかれば毎年その病気に怯えることになる。
メスティの魔導農家の加護の影響で収穫までかなり短くできるようになったが、その分メスティが食べるようになったのでプラスマイナスでいうと若干のプラス程度だ。何かあれば瓦解しかねない。
本当はメスティが魔力の消費を減らせば良いだけなのだが、魔導の力がコントロールできないため日々消費してしまっている。世界最強の力である魔導はそう簡単に御しきれるものではないらしい。
「さて、今日のお祈りはこんなもので良いか。日も登ってきたからそろそろ仕事だ。…ん?今なんか頭に当たったか?鳥のフン?」
何かが当たった感触を感じ、髪の毛を弄るメスティ。すると髪の毛の隙間から一粒の種が出てきた。似たような種は見たことあるが、そのどれとも違う未知の種のようだ。
「これは…これを植えろということですかね?…まあわかんないけどやってみるか。」
メスティは一粒の種を手に畑へと戻っていく。そしてこの一粒の種がメスティの今後の人生を大きく変えていくこととなる。
「こんなもんかな?」
「頭の上に落ちてきた種ですか…普通にそこらへんの木の種なんじゃないですか?」
「木の種にしては形とかが違うんだよ。まあ仮に木の種だったとしてもご神木として大切にすれば良いさ。」
木で作ったポットの中に植えられた種に水をやるメスティ。たっぷりと注がれた水はポットの底から抜け落ちる。これでこの種はしばらく放っておいても問題ない。そう思いその場から離れようとするメスティ。しかしその時、その種がメスティの魔力を食らうのを感じた。
「なんだこれ?魔力が吸われて…まずい!急いで作物を収穫してきてくれ!」
「え!?わ、わかりました!」
メスティに言われて慌てて収穫を始める4兄弟たち。メスティはすぐにその場に膝をつき、今種を植えたポットを掴んだ。
「この魔力吸収量…俺の自然回復分と作物を食べたことによる魔力吸収分がないと魔力が枯渇するぞ。くそ…今日の収穫分とこれまで収穫して保管しておいた分でなんとか足りるか?」
今のところはまだ魔力に余裕はある。しかしこれが一体いつまで続くかわからない。芽が生えるまでなのかそれとも……
メスティは長丁場に備えてその場で呼吸を整える。極力体力の消耗は減らしたい。必要のない全ての運動を停止させ、魔力の生成にだけ注力する。そしてメスティの長い長い日々が始まった。
種子による魔力の吸収は日中だけでなく夜間も続いた。睡眠することも叶わず、喋ることもなく、ただただ作物を食べて魔力の生成だけを続けた。
そんな日が1日、2日、3日と続いた。そして1週間経った今日、ようやく芽が生えた。そしてその瞬間メスティは一週間ぶりの睡眠をとった。疲労困憊のメスティはそのまま2日間眠り続ける。そして目が覚める頃には芽が生えたと思ったその植物は本葉を生やしていた。
「メスティさん!もう大丈夫なんですか?」
「ああ…まだ本調子じゃないけど大丈夫だ。それに…こいつに呼ばれた気がしたんだ。」
メスティはじっとその植物を見た。今見る限り樹木の苗ではない。明らかに何かの植物だ。それによく観察すると蔓のようなものも見られる。
「蔦性の植物だ。巻きつけるように木を組もう。どの程度の大きさになるかわからないから、なるべく大きなものを頼む。」
「わかりました。おい、いくぞ。」
「おう。」
ガルとギッドは走り出す。ゴラスはメスティが食べる用の作物の収穫に当たっている。そしてメスティはその場に座り込み再び魔力を与え始めた。その様子を見たアリルは弱り切っているメスティを見て動揺している。
「あ…あの…私にもできることは…」
「魔力コントロールあるのみだ。それから俺が渡した書類を覚えること。錬金術の加護は知識を武器にする。徹底的に基礎を作り上げろ。」
「そ、それはもちろんやってます!それ以外にも…」
「それ以外には作物の収穫と手入れくらいしかやれることはない。」
ピシャリと言い切るメスティ。それを聞いて肩を落とすアリルはとりあえず作物の収穫に向かう。その姿をちらりと見たメスティは少し考える。そしてアリルを呼び止めた。
「錬金術の加護は強力な加護だ。一国の財政を変動させ、戦場で戦う兵士たちを支援できる。いずれお前にはそういう存在になってもらう。ここでの暮らしがどうなるかは俺とお前にかかってる。今は役に立てないかもしれないが…今はとにかく努力しろ。」
「…うん。頑張る。」
それを聞いて走り出すアリル。その姿は先ほどよりも元気そうに見える。大変かもしれないがアリルには頑張ってもらわなくてはならない。錬金術の加護は世界で5本の指に入るほどの生産系上位加護だ。アリルの努力次第でこの地がどうなるかが決まると言っても過言ではない。
「さて…もう一踏ん張りするか。だけど発芽する前よりかは魔力吸収しなくなったな。これなら多少楽だ。お前もこの世界で生きるために必死だったんだもんな。」
メスティは魔力を与えながら苗に話しかける。メスティはこの苗が発芽する前になぜこんなにも魔力を吸収するのかを理解していた。この苗はこの世界のものではない。どこか別の世界から来たものだ。
そしてこの苗にはこの世界に存在することができる権利がなかった。その権利を獲得するためにメスティから魔力を吸収していたのだ。だからこうしてこの世界に顕現できる力を手にし、芽を生やした今ならば必要とする魔力量も少なくて済む。
「大きく育ってくれよ。そして立派に育ったお前の姿を見せてくれ。」
その植物はメスティの魔力をゆっくりと吸いながら成長していく。これが一体何になるのかメスティにはまだわからない。