第73話 最悪の事態
慎重に移動するメスティ。だが今にも大声で叫びたくなる。絶叫したい、この思いを吐き出してしまいたい。だがそれだけは絶対にダメだと知っているからこそ、その思いを心のうちに秘める。
移動するメスティの眼下には新たなコカトリスが現れる。これで10体目だ。群の存在に気がつかず、今まで放置していたのを責めるようにコカトリスの群れの数は増えて行く。ただ、若干良いこともある。
それはコカトリスの尾の違いだ。メスティが最初に見たコカトリスの尾は大蛇であったが、少し進んだ先のコカトリスの尾は蛇の形すら取れていない。ただのトカゲの尻尾のようだ。
おそらく最初に見た尾が大蛇のコカトリスが獲物を狩り、トカゲの尻尾のようなコカトリスを育てているのだろう。全てが強個体でなかったのが唯一の救いだ。
そしてさらに進むと再び揺れが襲い掛かった。先ほどよりも随分大きな揺れだ。それだけ揺れの発生源に近づいているのだろう。
ここから先は細心の注意を払って進む。メスティができる最大限の隠密術を使って先へと進む。するとゆったりとした下り坂へと差し掛かる。平面的な森だと思っていたが、窪地もあるらしい。
するとその窪地は木々が無く、開けているのか急に視界が広がった。そしてメスティはそこにあるものを見たときに樹上でへたり込んだ。
「嘘だ……そんな……」
呆然としているメスティ。そんなメスティの目の前にあるのは大きな岩山だ。その周囲には数十のコカトリスの群れがいる。こんなコカトリスの群れは見たことも聞いたこともない。
メスティの記憶の中にある文献の情報ではかつて十数体のコカトリスの群れを討伐するのに1000人ほどの騎士団が総出で対処したという。
「これ討伐するってなったら国全体で動かないと…いや、それでもいけるのか?」
だが少し冷静に観察すればメスティはわずかな可能性を見出す。それはここにいるコカトリスは全て尾が蛇ではないのだ。つまり通常のコカトリスと比べて劣等個体。勝ち目はまだあるかもしれない。
「でもなんでここまでの群れが…土地の魔力の荒れは感じないぞ?」
通常、モンスターの出現には前兆として土地の魔力の荒れが起こる。その荒れた魔力を糧としてモンスターが出現するのだ。
そしてその魔力の荒れを観測する魔道具というのは国にあり、かなり遠距離であっても魔力の荒れが起こらないか観測できる。もちろんここの土地の魔力の荒れも観測できるはずだ。
メスティは窪地全体を観察する。そしてじっと観察してその原因がわかった。それは今もコカトリスたちが水浴びをしている池にある。
「あの池…俺らのところの水が溜まったやつ……」
どうやらメスティたちのところの井戸水は流れに流れてここまでやってきたらしい。そしてここの窪地の中にゆっくりと溜まっている。
そんな井戸水はメスティの魔導農家の加護による土地の魔力を溶かし込んでいる。そしてこの地に池として魔力が溜まっていき、魔力溜まりとなったのだ。しかしメスティの魔力だけではここまで強力なモンスターを発生させなかっただろう。
「俺らも原因だが…一番はあの河童だな……」
あの河童はメスティでも計り知れぬほどの強者。そして魔大陸から来ている。そんな奴が毎回井戸を通ってやってくる。その時の井戸水は濃厚な魔力を含んでいたことだろう。
「ここの対処は俺だけじゃ無理だ…河童にも頼もう。あいつにも原因があるし、話せばきっと…」
「コッ?」
メスティは反射的に声のした方を振り向く。そこには眼前まで迫ったコカトリスの姿があった。
とっさに反撃しようとしたメスティに対し、その場で翼をはためかせるコカトリス。その風圧は凄まじく、メスティは窪地の方へと飛ばされてしまった。
地面を数度転がったメスティはすぐに立ち上がる。だがその時にはすでに遅かった。数十体のコカトリスの群れに囲まれていたのだ。
「はは……これは死ねる。」
これまでの人生で味わったことがないほどのピンチ。正直切り抜けられるビジョンが見えない。だがそれでも諦めるわけにはいかない。絶対に生き残る。
ただし戦うのは無しだ。全身全力で走って逃げる。全てを出し切ってここから逃げ切る。全身の魔力を使いなんとしてでも逃げ切る。
そして動こうとした瞬間、あの揺れが起きた。ただし今度は揺れがかなり大きい。しかもその発生源はかなり近い。メスティは揺れの発生源を見て、そして逃げる気力すら失った。
そこにあったのは岩山であった。いや、岩山だと思っていたものだ。その岩山に登っていたコカトリスたちも慌てて岩山から飛び降りる。
その岩山の下から出て来たのは4本の足。そして尾と頭。メスティもこれは文献を見たことはないが、おとぎ話で知っている。
「ドラゴン……地龍か………」
メスティは生き残ろうという気概を失った。ドラゴンなんておとぎ話の存在だと思っていた。この世に存在するなんて思いもしなかった。
これは国で対抗したところで勝てる気がしない。いくつもの国々が協力してようやく戦えるようなレベルの存在。そして地龍を見た時にメスティは一つの論文を思い出した。
それはコカトリスに関する論文。コカトリスは基本的に身体が鶏と大蛇の組み合わせ。鳥類が爬虫類の因子を保持したことにより起こる異常個体。
ただ爬虫類は蛇だけではなく、トカゲも含まれている。そのため、半身がトカゲのような個体も存在する。しかし長年の研究によりそれ以外の因子が存在することを確認した。
その因子の確定はできていないが、論文の著者は龍の因子ではないかと考えた。そして本来コカトリスとは半身が鶏で、もう半身が龍なのではないかと。それが長年の歳月により龍の因子が薄まり、近しい爬虫類のものに入れ替わってしまったのだと。
正直その論文はあまりにも仮説が多く、事実からは遠く離れていると思っていた。メラギウスも研究者にしてはあまりにも憶測で語りすぎると言った。
だがメスティは今確信した。今周辺にいるコカトリスは尾が蛇ではない。そしてよく観察すればトカゲのようでもない。今目の前にいる地龍のような見た目である。
「ちっくしょ……あの論文の作者…超優秀じゃん……死ぬ前に会いたかったわぁ…」
おそらくいくつもの知見からあの論文を作成するに至ったのだろう。もう少し文章力と解説力があればメスティもこんな目に会う前に逃げだせたかもしれない。
だが今後悔してももう遅い。地龍の因子を持つコカトリス数十体に本物の地龍が1体…いや、1柱。勝つことも逃げることも何もかもが叶わない。メスティにできることはただその場で自分の最後が訪れるのを待つだけだ。
そんなメスティを見てか、コカトリスたちはメスティの周囲に群がる。そして首を上下左右に動かしながらコッココッコと鳴き始めた。
それはまるでメスティをどうやって食べるか相談しているようだ。…いや、本当に何かを相談しているように見える。
「ココ?コココッコ。」
「ココ…コワァ!コワァッココ…」
「もしかして…本当に独自の言葉を介して意思疎通をしている?」
「ココ?」
想像以上の知能を持っているコカトリス。独自の言語で意思の疎通をしている。言葉を介せる時点で知能は人間並みと考えても良いかもしれない。
そして一番重要なのは言葉が話せることで対話の可能性がわずかでもあることだ。どの程度の知能指数かはわからないが、対話することで殺すよりも生かしておいた方が有益だと思わすことができれば生き残れるかもしれない。
戦っても決して生き残れない相手。それならばそのわずかな可能性に賭けるしかない。




