第29話 この地で迎える4度目の春
ザクッ…ザクッ……
雪解け水が流れ、程よく水分を含んだ土はクワにくっつき掘り返す手を鈍らせる。しかしこの感覚と雪解け水を含んだ土の匂いを嗅ぐと春が来たと思う。
春が始まったばかりは肉体作業が多く、収穫作業がないのでやりごたえがないと言えばそうとも言える。しかしこれから何日も経過していけば畑に蒔いた種が発芽し、成長し、収穫を迎える。
そのための一番大切な時期だ。それがわかっているからこそ、皆のクワを持つ手に力が入る。今年も美味しい作物をお願いします。心からそう願う気持ちがクワの一振り一振りに込められる。
そしてメスティは例の黒い小さな種を蒔く。これも神から与えられた種だ。これが一体何になるのか今から楽しみだ。そして魔力が吸われることを覚悟していたのだが、どうやら冬の間に大量の魔力を与えていたおかげで何の問題もないらしい。
拍子抜けしたメスティは他の作業に移る。それを遠くから見ていたガル達も何事もなくてよかったとホッとした。
「メスティさん!キュウリ用の畑はどうしましょうか?」
「あ〜キュウリ蒔くにはまだまだ早いからな。遊ばせておくのも何だし、葉物でも蒔いておくか。」
「わかりました!」
メスティが軽い指示を出すだけで皆すぐに動いてくれる。楽なものだ。しかし今年は随分畑の数を増やしたから仕事は山ほどある。メスティもすぐに次の畑を耕す作業に入る。そして数日かけて全ての畑を耕し、種を播き終えた。ただそんな中あのぬかるんだ畑だけが妙に目についた。
そんなある日。メスティはいつものように祭壇へと祈りに来ていた。そしていつものように報告していく。他愛もない報告だ。何をどれだけ植えて、どれくらいの収量が見込めるか。そしてそれをどうやって街に持って行こうか。
「私は街へは近づけないので、売りに行くのは誰かに任せるつもりです。ただそうなると運ぶ時間が長くなるので、何を運ぶかが悩みどころです。バーメンを運ばせようかと思いましたが、加工に手間がかかる上に生産量的にここで食べきれる量しか採れません。まあでも…その辺はおいおい考えます。」
にっこりと微笑むメスティ。今考えても答えの出ない問題はゆっくり時間をかければきっと答えが出るはずだと信じている。そんなメスティの頭の上に突如どっしりとしたものが落ちて来た。
「ちょ…今回のは重いです。というか上から落ちるのがデフォなんですか?でもまさか…1年で2つの作物の種が手に入るなんて…」
唐突に新たな異界の作物の種を手に入れたメスティ。その袋を片手に急いで家へと戻る。そして朝の作業中の皆へ報告をした。
「見てくれ。次の作物を手に入れたぞ。早速これを播こう!」
「へぇ…今度のは一体なんですかね。」
「おいしい作物だったら良いなぁ…」
「ん?こりゃ米じゃねえか。」
突然の答えにバッと顔をあげる一同。そこにはいつものようにキュウリを受け取りに来た河童の姿があった。
「お前…これ知ってんの?」
「米だろ?ちょっと形は違うように見えるけど、多分合っているはずだぞ。」
「マジか…未知じゃなかった……」
「魔導相撲の流派の中には好んで食べているやつもいるって話だ。これと一緒に料理を食べるんだよ。今日食ってみるか?」
「い、いや…これは今日から播くやつだから…」
「そうなのか。あ、もしかしたらそれの育て方が書いている本があったような気がするな。ちょっと待ってろよ。」
井戸へと戻っていく河童。それを見送ったメスティは何とも言えぬ表情を取る。まさか魔導農家の加護がなければ手に入れられない作物かと思いきや、もうこの世界に存在している普通の作物だったとは。正直かなりショックを受けている。そして数十分後、河童は本を片手に戻って来た。
「かなり古い本だから読めるかどうかは知らん。ただ挿絵がついているから多少はわかると思うぞ。」
「どれどれ…これがそうなのか?この種を川につけているな。水を吸わせるのか。しかもこの感じは…一日じゃないな。何日も水につけている。」
「だ、大丈夫ですか?この本を信じて…」
「なんか大丈夫な気がする。むしろこの通りにやるのが一番良さそうだ。とりあえずこれは水につけておこう。その間に解読してみるわ。河童ありがとうな。お礼のキュウリ多めにしておく。」
「その言葉を待ってたぜ!ん〜たまらん!」
キュウリを得るためならばどんな苦労も惜しまない。それが河童のやり方だ。そしてメスティは本の内容を全て暗記すると農作業をしながら頭の中で本の内容を解読していく。そしてあのぐちゃぐちゃになった畑に目がいった。
「あの米ってやつは水を張った畑の中で育てるんだ。だから俺は本能的にこの畑をとっておきたいと思っていたんだ。うわ…なんか操られているみたいで気持ちわる。」
改めて考えると自分の行動の一つ一つが操られているように感じる。キュウリを育てたことも街へ行ったことも河童と出会ったことも井戸水が溢れて畑が潰れたことも。
全ては次なる作物、米を育てることに繋がっている。では次は一体何が起こるのか。あの畑に蒔いた黒い種が何かに繋がるのか、それともこの米が何かに繋がるのか。一体この先の人生どうなるのだろうか。
「まあとりあえず水を引き直してあの畑に水入れるか。それから少し土が固まっちゃったからほぐしてやろう。あと綺麗に均した方が良いよな。」
未来のことを考えるよりも今日のことを考えた方が何倍も良い。メスティはクワを持って畑へと向かう。
あれから一月後。メスティたちは水を張った畑の中へ裸足のまま飛び込んだ。足にまとわりつく泥の気持ち悪さと、どことなく癖になる気持ち良さに複雑な表情をしながらメスティが一つ咳払いをした。
「え〜諸君。これより田植えなる作業を行います。やり方は単純。この米の苗を数本手にとって泥の中に挿す。これだけだ。ただ深く植えてもよくないし、浅いと抜けてしまうから要注意。植える間隔はこの木の棒を使って測ります。手間かもしれないけど頑張ってくれ。ちなみに本来ならもっと大人数でやる作業なんだが、無理なので往復して対応します。」
「結構時間かかりそうですね。」
「慣れればあっという間らしいけど、まあ無理だろうな。とりあえず反対側ついたら休憩挟もう。では田植え開始!」
「「「「おー!」」」」
威勢の良い声がした後に黙々と作業が始まる。しかしこの作業単純だが、なかなか難しい。泥に足を取られ、植えるためには中腰にならなくてはならない。そんな体制を維持したまま植えていくのはかなり大変だ。
だが疲れを見せると泥によってそのまま滑って転んでしまう。片道終わるころには皆泥まみれになっていた。
「こんなに疲れてこんなに汚れたんだから美味しいのだとありがたいです。」
「それには俺も同意見だ。一度田植えを始めたら途中で休憩は取りづらいからしっかりと休んでから始めよう。」
「メスティさんもしっかり休んでくださいよ。昨日までがっつり魔力吸われていたんだから。」
「そのつもりだ。苗の数が多いからその分多めに吸われたしな。」
キュウリの時同様魔力を大量に吸われたメスティ。それさえなければこんなに泥まみれになることはなかった。正直魔力切れで足がふらつくのでもう田植えはしたくない。
しかしそんなことも言っていられず、残りの田植えの作業を行う。そして全ての苗が植え終わった頃には皆立ち上がれなくなっていた。
「こ…腰が爆発する……」
「こ、これ以上腰伸ばすと体痛めそう。」
「とりあえず風呂に入ろう。先に風呂洗っておいてよかった。」
「さ、賛成です…」
皆で風呂へと向かう。だが綺麗に洗われた浴槽にはまだお湯が溜まっていない。ここからお湯がたまるのを待たなくてはならない。早く湯船に浸かりたい気持ちを抑え、その間に凝り固まった体をゆっくりとほぐしていく。
そしてしばらくした後に泥で汚れ、なれない体勢で疲れた体を風呂で綺麗さっぱり洗い流した。一仕事終えた後の風呂はやはり格別だ。
「あ〜…たまらん。」
「最高ですねぇ…」
「でも風呂に入るならもっと寒い時の方が気持ち良いかも…」
「それ考えると冬が待ち遠しい…」
まさかの冬が待ち遠しい発言に笑いが起こる一同。あれだけ過酷な冬も風呂の前には風呂を気持ちよく入るための要素にすぎない。そんな笑い声を隣で聞いていたアリルもつられて笑ってしまう。
「また明日からは建築作業ですか?」
「ああ、その予定だ。ガラス窓頼んだぞ。」
「頑張りまーす。」
軽い返事をするアリル。正直ガラスを作れるほどの温度はもう簡単にできてしまう。今はもう少し複雑な錬金術へ挑戦しているところだ。困難な挑戦だが、メスティから色々教わればすぐにコツをつかめる。
メスティは今日のことを思い出して笑みを見せる。泥まみれになりながらの田植え。これが収穫できるのはまだまだ先のことだ。そして新しい家の建築。なにかわからぬ黒い種。楽しみなことが山ほどある。
「どんな一年になるかはわからないが、少なくとも……楽しい一年になることは間違いなさそうだ。」
「それは間違い無いです。」
「さて、もう少し温まったら夕食の準備をするぞ。それから軽く全部の畑を見回っておこう。今日の飯当番頼んだぞ。」
「はーい。」
次回は1章の登場人物一覧です。




