第10話 キュウリの紋章
まだ日も昇らぬ早朝。メスティは日課の祭壇への祈りへとやってきた。最近は例の作物、キュウリの影響でこられぬ時が多かった。しかしひと段落した今ならばまたこうして祈りにこられるだろう。
「昨日の夕方に授けてくださった作物が実りました。皆で食べましたが、美味しかったです。それからこのキュウリの紋章というのは…なんなんでしょうか?魔力量と魔導量が増大したのはわかりましたが、この紋章の力はどう使うのか正直よくわかりません。」
メスティからの疑問。しかしそれを答える声はない。だがそれで構わない。このキュウリの紋章の力が一体なんなのか考えるのもメスティの試練の一つだ。そして一通り報告して満足したメスティは帰路につく。
そして日が昇り早速作業を開始しようとしたメスティの目にみずみずしいキュウリの姿が映る。昨日の夕方収穫したというのにもう収穫できる状態だ。
「加護の影響で収穫が早まってんのかな?でも成長するときは加護の影響受けてなさそうだったけど…まあいいか。」
「あ、メスティさん。そのキュウリってやつの種取って増やしましょうよ。」
「あ〜それも良いな。一本だけこのまま放っておくか。」
一本以外収穫して朝食前のおやつ代わりに食べるメスティ。食べるたびに魔力量がわずかに増えていく。それを隣で見ていたアリルは肌で感じ取った。第六感である魔力感知が多少使えるようになったからというのもあるかもしれないが、それ以上にメスティの強く濃い魔力は感じ取りやすい。
しかし感じ取ったのもつかの間、メスティの魔力はすぐにいつもの量に戻っている。それが何故なのかよくわからないアリル。するとそれに気がついたメスティはその場で講義を始めた。
「魔力量は視力強化で見えるが、一定以上の使い手になると見えないって教えたよな。それを使っているんだ。人間の肉体という器に貯められる魔力量には限りがある。そこを限界と感じるものもいるがそうじゃない。肉体が限界なら一度ここに保管してしまうんだ。」
「ここって…胸の魔石ですか?」
「そうだ。魔力の発生源にして重要な魔力生成器官だ。だけどそれだけじゃなくてここは無限の魔力貯蔵庫にもなっている。ただ貯蔵するのには随分とコツがいるんだ。アリルの魔力量ならまだ肉体の器で持つから大丈夫だけど…上を目指すなら今から覚えておくのも良いな。今より修行の量が増えるけど大丈夫か?」
「大丈夫です!頑張ります!!」
「よし、それじゃあ…」
メスティは簡単にやり方を教える。もっと丁寧に教える方法もあるが、こればっかりは本人の魔力の感じ方などがあるためやり方には個人差がある。無駄に教えてそれが本人に悪影響を与える可能性もあるため、ざっくりとだけ教える。
ただアリルは魔力の制御がうまい。錬金術の加護を授かっているからというのもあるのだろう。錬金術での薬品製造の中には0.01gでも量を間違えると失敗するようなものが数多くある。魔力制御もわずかに間違えただけで失敗するような薬品製造もあるのだろう。
やはり加護の影響というのは非常に大きい。しかしメスティは今の所、加護の影響で伸びた能力というものが特にない。まあ今の境遇などは加護の影響なのだがそういうことではない。正直悪影響しか出ていない。
「それから魔力の保管はいくつかに分けておいた方が良い。保管していた魔力の一部だけを取り出すのは非常にめんどくさいからな。取り出しやすいように、使いやすい量を分けて保管するんだ。」
「わかりました。メスティさんは…幾つに分けているんですか?」
「俺は今4つだ。前までは2つだったんだけど魔導の加護に目覚めてから魔力量が増大したからな。ああ、俺は参考にならないぞ。普通はもっと小分けにするべきだ。俺の場合、今の魔力が枯渇するほどの緊急事態を解決できるように一気に魔力を供給したいと思ってな。あ…でもそう考えたら一つくらいは大量の魔力を貯蔵した方が良いかもな。」
メスティは軽く言っているが魔石への魔力の貯蔵は非常に高等な魔力操作技術だ。国の騎士レベルでもできるものは少ない。それを3つも4つも行うのは普通あり得ない。1つ貯蔵できれば良いというレベルだ。
そしてアリルの魔力操作練習をしながら日々が過ぎていく。種取り用に残しておいたキュウリはみるみる大きく成長していった。気がつけば腕のように太く大きい黄色いキュウリがそこにはあった。
「こんなに大きくなるんだな。」
「大きくなった方が美味しいんじゃないですか?色も変わって美味しそうですよ。」
「まあ試しに食べてみても良いが、種を取ってからな。」
巨大な黄色いキュウリから種を取り出す。一本からそこそこの量が取れた。これなら来年も大丈夫だろう。そして種を取った後の果肉を食べてみる。
「…調理次第では美味しくなるかもしれないけど…」
「まあ小さい時に収穫して食べるのが一番ですね。」
意見が一致したところで今取った種を畑に蒔いていく。キュウリの種まきとしては非常に遅い時期だが、加護の力がうまく作用すればちゃんと収穫できるはずだ。
「ん?加護の力が作用すれば?…加護の力が作用しても成長早くはならなかったはずだけど…このキュウリの紋章のおかげで魔導農家の加護の力がこのキュウリにも作用するようになったのか。」
そんなメスティの考えは正しく、1週間も経てば種を蒔いたばかりのキュウリからキュウリが収穫できるようになった。そして一度収穫が始まればその収量は凄まじいことになる。日に100本のキュウリが収穫できることなどごく普通だ。
メスティもすごい勢いで食べてはいるが、それでも在庫が随分と溜まってきた。収納魔法である時空ムロの中は大量の作物でいっぱいだ。まだ余裕はあるだろうが、来年になったらもう収納できなくなる可能性が高い。
「なんとかしないとな…」
「メスティさん!来年用のキュウリの種確保しておきますよ。」
「え?ああ…前野は全部蒔いちゃったからな。ん?待て…この感覚…」
メスティは魔力を込める。すると手のひらからキュウリの種がポコポコと生まれてきた。
「紋章を手に入れた作物は一度採種すれば種を生み出せるのか?いや…紋章を持った上で一度種を取ることに成功したら良いのか。」
「え!種作れるようになったんですか?」
「そうみたいだ。この種も蒔いておいてくれ。」
「わかりました。」
今でも食べきれないキュウリが種を蒔くことでさらに食べきれないことになる。これは何としても冬場に街へ行って作物を売る必要がありそうだ。
手を合わせるメスティ。今日も日課の祈りの最中だ。ここでこうしている時が一番心が落ち着く。しかし今日からは色々考えなくてはならない。
「キュウリの紋章はまだまだ成長途中ということがわかりました。今後も励んでいきたいと思います。それから時空ムロの中が結構大変なことになってきました。キュウリができてからというものキュウリのおかげで俺の食事量が減りました。開墾作業などをして魔力を消耗させ、腹をすかしてはいるのですが、生産量が圧倒的に上で消費が追いついておらず…なんとかしたいとは思っているのですが……」
思わずため息をつくメスティ。食料が有り余っているなど贅沢な悩みだ。しかし作物を廃棄するようなことになればメスティの魔導農家の加護からペナルティを受けることとなる。それが一体どんなペナルティかはわからないが、鼻で笑うような生易しいペナルティでないことは確かだ。
「この考えはそのうちまとまるか。さて…今日も仕事に行くか。」
メスティは立ち上がりその場を後にする。だがその時、ふと気配を感じて目を向ける。すると祭壇の隣にあの白き空間にいた女の足元に隠れていた小さな少女が立っていた。そして指をさしている。その方向は畑のある場所。だがそこを指し示しているのではない。それよりもっと先を指差している。
「街へ行けというのですか?」
その少女はメスティの言葉を聞くとわずかに微笑み、そして霞のごとく消え去った。まるで夢まぼろしを見ていたようだ。しかし今のは間違いなく現実である。そうであるはずだ。
メスティは全速力で家へと戻る。メスティの今日の畑作業は中止のようだ。




