+Curious curioCity
『銀河ヒッチハイク・ガイド』とか『ブレードランナー』とか。
ここは猫がいない街。
天球に届くかのようにそびえ立つ高層ビル群の隙間に小さな神社がある。
境内にあるのは、丹塗りの鳥居と石造りの祠、そして神木の大きなイチョウと、イチョウの木の下に設置された小さなベンチ。
そのベンチに寝そべる一つの人影。
No.9が丸い空を見上げれば、黄金色に色づいたイチョウの葉の隙間から、埋め立てそこなった電柱から垂れさがる電線。外装体には齧られた跡。むき出しの導線が群がる羽虫に触れて、時折、青白い光を放電している。
ふっと視界が陰った。
No.9の顔を覗き込んできたのはNo.6である。
「キュウだ。珍しいね?」
「ロクか、君はいつも通りだな」
No.6は、へらり、と緊張感のない笑みを浮かべる。No.9は体を起こそうとベンチに手をついた。途端、右手首に走った痛みに顔を顰める。
目を見開いて、「どうしたの?」と問うNo.6に、No.9は「別に、ただの腱鞘炎」とそっけなく答える。しかし、No.6は邪険にされたことを意に介さない。
「勉強ばっかりしてるからだ」
笑うNo.6を横目で見やり、No.9は、正しくベンチに座りなおす。
「座れば?」
「いいの?」
「まだ、足、無理しちゃいけないんだろ……それとも学校に行くのか?」
No.6は、はぐらかすような笑みを浮かべ、素直にNo.9の隣へと腰を下ろした。
「聞いた?」
No.6の問いかけに、No.9は軽く顎を引く。
「デッドだろ?」
「知ってるんだ?」
「まさか。みんな噂ばかりで、わからないことがわからない」
「キュウ、シッ……」
No.6が指先を唇に当てる。No.9は口を閉ざした。
No.6とNo.9の視線の先で、側溝の脇をハツカネズミが駆け抜ける。ふと、ハツカネズミは彼らの視線を感じたのか、一旦立ち止まると、チチッと鳴いてあたりを見回した。
No.9はハツカネズミと目があったような気がしたが、しかし、ハツカネズミは、彼らにかまっている暇はないとばかりに、再び側溝の下へと入り込んでしまった。
「おい、信じてんのかよ?」
ハツカネズミの姿が見えなくなった後、潜めた声でNo.9がNo.6へ問いただせば、いつも楽観的なNo.6にしてはどこか緊張した面持ちで、「多少、ね」と答える。
近頃、生徒たちの間でまことしやかに噂されていることがある。
それは主に街中を徘徊するハツカネズミに関するものだ。
曰く、ハツカネズミは”すぐれた知性をもった汎次元生物がわれわれの三次元に突き出している部分”らしいということだ。彼らの目的はわからないが、知ってしまうと、この街にはもういない猫族と同じ運命を辿るとも。
No.6はまるでネジでとどまっているかのような尺骨が目立つ手を、No.9の肩に置くと、耳元に口を寄せた。
「ヤツら、なんでも二番目に凄いコンピュータを創ってるらしいよ」
No.6の囁きに、No.9は眉をひそめる。
「一番目は?」
「完成した瞬間に自殺したって」
「へぇ。悲観的なヤツだったんだな。今度は楽観的なヤツだといいけど」
そう皮肉気に口元を歪めて視線を投げてくるNo.9に、No.6はいつものように笑って受け流す。クラスメートの評価が、おおらかを過ぎて能天気だというNo.6に対して、俺も楽観的になりたい、と多大な皮肉と僅かな憧憬を込めていじってくるのが、成績優秀者の欄にそのIDを連ねるNo.9の常だからだ。
No.9の言葉に、No.6はやはり緊張感のない笑みを浮かべてみせた。
「まだ未完成らしいけど、それは大丈夫そう」
「なんでだよ?」
No.9の問いに、No.6はぐっと声を潜めて、さらに体をNo.9に寄せた。寄せられた側のNo.6が発する熱が漂う頬と、肌寒くなってきた空気にさらされたもう片頬との温度差に、No.9はわずかに惑う。
「コンピュータ母体に生命体を取り込んだコンピュータらしい。生命体がもつ生存本能が自壊を防ぐようにって」
「……で、未完成って?」
「だから調整してる」
胡散臭い噂を仰々しく声を潜めて告げるNo.6にNo.9は呆れたように、しかし、好奇心には勝てず話を促した。
「何を?」
「決まってるだろ、コンピュータに取り込む生命体の数と質をさ」
No.9の天邪鬼さを承知しているNo.6はやはり頓着しない。いっそあっけらかんと告げて見せた。
「……それでこの状況だって言うのか。昔はあいつら自身が媒介していたらしいけど……」
「人口調整にはお決まりの手段だけど、今回は違うんじゃないかな?」
とぼけるNo.6に、せっかちなところがあるNo.9は少しだけイラついたように、語気を強くする。
「じゃあ、また魔女狩りが起こるのか?」
「もう猫はいないからヤツらはやりたい放題だな。それに最近はもっと巧妙だよ」
「巧妙って?」
「奴らはターゲットを絞ったんだ」
「ターゲット、」
怪訝な表情を浮かべるNo.9に、No.6はしたり顔で頷いた。
「そう、彼らは生命体をただ減らしても意味がないと気が付いたんだ。特に調整の対象にされやすい老人は、むしろ僕たちよりも人生を楽しんでる」
No.6の言葉に、No.9は目を見開いた。基本的に冷静沈着なNo.9にしては珍しく、わずかに動揺をにじませて、「じゃぁ、ターゲットは」と呟く言葉の続き引き取るように、やはり基本的に鷹揚なNo.6にしては珍しく、神妙な表情を浮かべてみせた。
「そう、思春期の子供たちだ。個体によっては希死念慮が強いから、自己崩壊を招く要因になる」
「でも俺たちがいなくなれば事件になるだろ、世間が騒ぐ」
荒唐無稽なNo.6の話に、No.9は否定を試みる。しかし、No.6の返答はさらに荒唐無稽なものだった。
「だから、間引くヤツを複製品とすり替えてるんだ。本物そっくりのね」
さすがに馬鹿らしくなったNo.9は呆れたように肩を竦めてみせた。
「そっくりなら複製品でも問題ないだろ?」
No.9の天邪鬼な言葉に、No.6は神妙さを崩さなかった。それどころか、真っすぐにNo.9の目を覗き込んでくる。
いつになく真剣な顔は、ほんの一か月前までは、No.6がグラウンドでクラウチングスタートをセットする時に見られたものだ。
利き足の膝を立て、もう片足を伸ばし、両の手を地面につけて、顔を上げる。
真っすぐに見つめる先には、何が見えているのだろうか。何に向かって、そんなに全力で走っているのか、いつか純粋な好奇心で尋ねてみたかった。
しかし、今後、No.6が、地面に手をつき顔を上げる姿を見ることができるかどうか、今のところはわからない。
「どうだろう? 複製品と言ってもやっぱり完璧じゃないってさ。複製品は、本人とは違う行動をとるらしい」
No.6は一旦、言葉を切ると、にっと今度はいたずらな笑みを浮かべて見せた。探るようにNo.9の瞳を覗き込んでくる。こげ茶の瞳の中で瞳孔がカメラの絞りのように、きゅっと閉じた。
「例えば、いつもはサボらないような真面目なヤツがサボったり」
へらへらと緊張感のないNo.6の笑みに対し、No.9はふっとその表情を引き締めた。
「へえ、普段、楽観的なヤツがやたら悲観的になったり?」
先ほどのお返しとばかりに、真顔で問い返せば、No.6は耐え切れないように噴出した。
ベンチの上に無造作に投げ出されたNo.9の利き手を、No.6は取った。
筋張った手と、肉の薄い手首。
浮き出た尺骨を押して、「腱鞘炎じゃなくて、手首のビスが取れそうなんじゃないか」などど茶化すNo.6にNo.9は笑みを浮かべる。
「じゃぁ、ロクの膝のバネは俺が修理してやっから」
No.9の言葉に、No.6は目を見開き、そのまま、No.9の手を見下ろした。
「……それで、これ?」
「どうだろ? つか、さすがに気色悪い。離せよ」
照れ隠し半分で腕を引き寄せれば、No.6はあっさりと、No.9の手を解放した。
「午後からは授業に出る」
立ち上がるNo.9に続き、「……僕も」とNo.6が、立ち上がるためにベンチの背に手をかければ、「ほら」とNo.9が、利き手とは逆の手を差し出した。
埋め立てそこなった電柱から垂れさがる電線のむき出しの導線が、ばち、と青白い光とともに放電する。
鳥居の影をハツカネズミが駆け抜ける、ここは猫がいない街。
なんかいろいろ不謹慎が過ぎたかもしれません。