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未読であれば【Curious curioCity】と【Fallen one】をお読みいただけると幸甚です。
他意はありませんが、少し不謹慎かもしれません。
野田究拓が<それ>を捕獲したのは、彼が今年度から通うことになった高校の開校記念日(4月の平日)だった。
新学年早々に駆り出されることになる生徒たちの大半(そして担当する職員たちのほぼ全員)は、本来なら祝日休校となるべきだと思っているのだが、名門私立として名高いこの高校は、その名声に相応しく地域貢献と称して、河川敷の清掃活動を行うのが習わしなのだ。
通学時間がかかる自宅生は任意参加である一方、寮生は強制参加である。
そして、寮生であり、新入生でもある究拓は、さぼることができずにステンレス製のトングと<プラスチック>と書かれたビニール袋を手に、河川敷に散らばるプラスチックゴミを拾い集めていた。
ふ、と風の音に混じる音に、ゴミを拾っていた手を止めて顔を上げる。
辺りを見回せば、河川敷で究拓と同じジャージに身を纏う学生たちが、それなりに真面目に清掃をしている。
「野田くん」
「田中?」
背後から呼ばれて振り返れば、整った顔立ちの少年が爽やかな笑みを浮かべている。長い手足で指定ジャージを着こなしている田中は、今年の新入生代表であり、寮の隣部屋の住人だ。
「あっちにペットボトルが集まっている場所があるんだけど、お願いできるかな?」
「ああ、」
整った爪を配した人差し指の先には、小さな湾処(※)があり、カラフルなパッケージのペットボトルが溜まっている。ちなみに田中が手にしているポリバケツには<不燃>と書かれており、割れたビンが入っていた。
究拓は手にしたビニール袋を軽く持ち上げると「了解」と答える。
流れがない死水域に近づいてみれば、思ったよりも沢山のペットボトルがその淀みから出て行くことができずに留まっていた。
「うーわ、」
何に対する非難か、とりあえず、目の前に広がる光景に対してブーイングを飛ばし、究拓は手にしたトングをカチカチと鳴らした。その瞬間、
「……?」
先ほどより近く聞こえた――気がした、クジラの鳴き声に似た、優しいハウリング。
究拓は手を止めて辺りを見回す。
ふっと田中と目があい、笑いかけられて気まずい。
イイヤツっぽいけど、ソツがなさ過ぎるんだよな。
田中が浮かべた、まるでアイドルのファンサービスのように完璧な笑みに、半ばひきながら浮かんだペットボトルをトングの先で掴んだ。
〔……けて〕
ハウリングの後、かすかなノイズのようなざわめき、そして。
〔助けて!〕
はっきりと聞こえた声に究拓は思わず掴んでいたペットボトルを落とした。
〔この際、貴方でいいです! 助けて!〕
そこはかとなく失礼な言い回しに引っ掛かりながらも、切羽詰まった声音に川面を見渡す。
誰かがおぼれているのではないかと思ったのだ。
だが、穏やかな水面は緩やかに流れていくばかりだ。
「野田くん、どうかした?」
「なんか声が聞こえないか?」
「……いや、なにも。どんな?」
「どんなって、その……」
田中に心配が滲む声音で問い返されて言葉に詰まる。確かに意思を持った声を聴いたはずなのに、どのような声だったのか、まったく形容できないことに気が付いたのだ。
「なんか、直接、頭の中に響いてきたような……」
〔そうです! 私は今、貴方の脳内に直接話しかけています……〕
「オカルトな話? 水の中に引き込まれないでね」
悪ふざけかと思ったのか、爽やかに笑い飛ばす田中の声が、意思をもった言葉に重なる。
「は、え?」
「野田くん?」
硬直した究拓に、田中は一転、心配そうな面持ちで覗き込んできた。
顔面偏差値が高いその顔に半ば気落とされ、究拓は視線を逸らすように春の霞みがかった空を見上げた。そして、耳を澄ます。
――何も聞こえない。
気を取り直して田中に向き直る。
「大丈夫かい?」
〔大丈夫じゃありません!〕
「あ、ああ、大丈夫、ちょっと耳鳴りしただけ」
〔ちょっと、何を勝手に!〕
「本当に? 具合が悪いなら、」
「田中は不燃だろ? ここは俺がやっとくからもう行けよ、」
〔私だって貴方よりもそっちの美形に、ぐうう、意思さえ疎通できれば……〕
引きつりながらもなんとか笑みを浮かべつつ、究拓は田中を促した。
ちょうど道路わきを歩いていた上級生たちが、ゴミを見つけたのか「不燃のヤツおる~」と声を張り上げる。
「ほら、呼ばれてる」
「じゃあ行くけど、無理はしないでね」
〔待って!〕
「おう、」
〔ああ、ああぁ~……〕
追い立てる究拓に、田中はその場所を後にする。
〔しかたありません……そこの貴方、救助を要請します。私をこの汚く淀んだ場所から助けるのです……〕
「耳鳴りやべーな」
振り払うように数度、頭を振る。しかし、何かの意思は重ねて究拓の頭の中に響いた。
〔耳鳴りではありません。貴方には私の信号が届いているのでしょう?〕
「ったく、こんなにいっぱいのペットボトル、どっから集まったんだよ」
〔それについてはまったく同意です。本当に野暮ったい修飾のものばかり……〕
「いやー……ヤバいな。これ、耳鳴りってか幻聴か、」
〔貴方、私の声を無視しようとしているようですが、救助要請を受けることが可能である状況で意図的に無視した場合、各星交際法第1条に規定された緊急時における生命保護の義務に反し、救助を怠ったと非難、悪質だと認められた場合は罰せられる……〕
「星際法……? 受験ストレスまだ取れてないのかな」
〔ほら! やっぱり受信していますね!! 早く私を保護するのです! 原住民にはその義務があります!〕
「……」
〔……っ! お願い、助けて! もう限界なの!〕
切羽詰まった声? に、究拓は根負けしたように口を開いた。
「さっきから助けてというけどさ。君は一体どこにいるんだ?」
〔ここです! 貴方の目の前……調和を乱す蛍光色のパッケージの下……〕
究拓の問いかけに、<それ>は必死に助けを乞う。究拓は目の前に浮かぶ、ひと際派手なペットボトルを持ち上げた。
そこには、つぶらな瞳で見上げている(ようにみえる)小さな魚がいた。
「金魚? いや、熱帯魚……?」
偏光色のうろこが薄暗い水面下で光を集めて輝いている。小指の先程度の身幅に、その身の三倍はありそうな大きな開き尾を揺らめかせながら、<それ>は苦しそうに懇願した。
〔この自己主張ばかり強い、卑しく欲を煽ることに特化した容器に取り囲まれて移動がままならなくなってしまったのです。助けて……〕
「……マジか、」
とりあえず、究拓は溜まったペットボトルをビニール袋に放り込む。ペットボトルだけでなく金属製のボトル缶も混じっていたが、「分別はあとでいいか」と割り切り、湾処内のすべてのゴミを撤去した。
「これで大丈夫か?」
〔ええ、助かりました……その金属製のものと相性が悪いようで、シグナルも狙った波長に届かないし……〕
「じゃあ、もういいな?」
〔待ちなさい!〕
面倒事に関わりたくない。
不可思議に対する好奇心よりも、その一心で、その場を離れるために踵を返そうとすれば、魚が鋭く呼び止める。
途端、キーンとした耳鳴りにも似た頭痛に襲われ、究拓はこめかみを軽く抑えた。
「……なんだよ?」
〔助けてくれたお礼をしたいところですが、その、ちょっと調子が悪くて〕
「うん?」
〔本体に救助信号を飛ばしているのですが、〕
「おう、」
〔通信機器の調子がおかしくて、〕
「……」
〔貴方とは相性がいいのか疎通できているようですし〕
「いや、」
〔完全に壊れたわけじゃないみたいなのですが、〕
「いやいや、」
〔修理するにしても、ここじゃ何も……〕
「いやいやいや、」
〔以前お世話になった種族に会いに行こうにもだいぶ距離が……〕
「いやいやいやいや、」
〔救助要請を受けることが可能である状況で意図的に無視した場合、星際法第1条に規定された生命保護の義務に反し、救助を怠ったと非難、悪質だと認められた場合は処罰も〕
「じゃあな」
〔助けてください!〕
「……なんかそれ、ずるくないか?」
再び足を止めると、究拓は水面を覗き込んだ。
淀んだ水の中で、ゆらゆらと大きな開き尾が水流を孕んでは膨らみ、流れ出ては縮む。不安定に色を変える淡い光をその身に纏う美しいその姿は、まるでこの世のものでは―――実際、ないのかもしれない。
ひとつ、大きな息を吐く。
「……どうしてほしいんだ?」
究拓の問いかけに、まるで神聖なもののように美しいそれは、ゆらゆらと光を弾く尾をひと際大きく揺らした。
〔とりあえず、ここから連れだしてください。どこか電波が良いところがあるかもしれませんし、なにかアンテナ化できるものを探します!〕
どこか、なにか、と指示語が多く具体性のない魚の言い分に、再度ため息を吐く。どうやら簡単には解放されなさそうだ。
究拓は体表に光の粒を纏う魚を一瞥する。
「……君は、その、肺呼吸できないよな?」
〔呼吸? いえ、このボディは大気中のなにかを取り込む機能はありません。むしろ、酸素に触れると反応してしまうので、〕
「……燐(※)かよ。水中保存には変わりないか」
面倒くさそうにぼやけば、魚はムッとしたように尾を揺らした。
〔保存とは何ですか! むしろ保存されるべきはこの星です!〕
「は?」
〔私はそのために来たのです。そもそも、酸素なんて反応性が高い分子が20パーセントもある中でよく平気でいられますね〕
薄々気がついていたものの、なんだか聞き捨てならない言葉の羅列に究拓は、本来ならば最初に問わなければならないことを口にした。
「……そもそも君は、何なんだ?」
究拓の言葉に、それは一層強く輝きを増す。そして、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、ひときわ大きなシグナルを送ってきた。
〔そうですね、いわば私たちは<美の守護者>と言ったところでしょうか〕
「は?」
いっそ誇らし気に尾鰭を広げて見せた魚に、究拓はとりあえず考えることを放棄した。
「……まあ、後で聞くことにするよ。このままだと俺、独り言がヤバいヤツみたいだし」
そう言って、ビニール袋の中から比較的きれいな――ミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。それを見た魚は、小さく尾を震わせた。
〔え、貴方、それ、まさか〕
「水から出ちゃダメなんだろ?」
〔やめてください! そんな凡庸で美が感じられないものに、この私を入れるつもりですか?〕
「君の尾鰭、この口から入るかな? どうにか畳めないか?」
〔畳むというか、このボディを形作る粒子の結合の組み換えは自在なのですが、それ以前に、〕
心なしか送られてくる信号が震えているような気がする。
究拓は少しばかりの気づかいから、ボトルを軽くゆすぐと、こぷっと魚の近くの水面下にボトルを潜らせた。
〔や、やめてっ! 私、そんなつもりじゃ……っ汚されるっ! いや!〕
ペットボトルの小さな口は空気を吐き出しながら水を吸い込んでいく。
〔いや~!!〕
悲痛な叫びをあげながら、魚は水とともにペットボトルの中へと納まっていった。
☆
速やかに清掃活動から離脱するために、究拓は田中にトングとビニール袋を託すことにした。
〔やぱりこの方はとても美しい造形をしています!〕
田中を前にはしゃぐ魚に究拓は呆れた視線を向ける。あまりにも不満が尽きないので、魚曰くの<低俗なデザイン>であるパッケージをはがしたペットボトルの中、魚はプリズムを生み出しながらくるくると泳いでいる。
「悪いけどあと頼めるか? アルミ缶も入ってるから分類しなきゃなんだけど」
「もちろん、任せて。やっぱり体調が悪いの?」
〔こんな整った顔立ち、プロポーションの個体、なかなかいませんよ〕
「ああ、ちょっと耳鳴りがひどくて、早退させてもらおうかと」
「もう片付けだけだし、俺から先生に言っておこうか?」
〔貴方よりずっと親切そうですし〕
田中を前に無責任な信号を振りまく魚に、究拓は胸中で悪態をつく。
(うるせーな、ペットボトル振るぞ)
〔ちょ、やめてください! 野蛮ですよ!!〕
(!!)
口に出さなかった言葉に返事され、究拓はペットボトルを凝視した。
〔貴方とは波長があっていますから、声に出さなくても通信できますよ〕
(早く言えよ! さっき独り言がヤバい人みたいになっちゃってただろーが)
〔だって聞かれなかったから……〕
「野田くん?」
「あ、悪い、ぼっとしてた……俺、このまま寮に戻るから」
「うん。先生と美化委員にも伝えとくよ……それは?」
「きれいな魚だったから保護したんだ」
〔おや、貴方、私の美しさを理解できるのですね〕
(うるせー)
「本当にきれいだね。早くそこから出してあげたいだろうし」
〔そうなのです! 貴方と波長さえ合えば……〕
「まあ、うん……頼んだ」
「お大事に」
田中は究拓の仕事を引き受けると、快く送り出してくれた。
☆
自室に戻ると、究拓は美しい魚を閉じ込めたペットボトルを机の上におき、椅子に腰かけた。
究拓が在籍する私立高校は、もともと男子校であったため、共学化して久しいものの、現在においても男子寮のみで、女子寮はない。
また、学力編重の校風であり、医学部を有する付属大学があること、難関大学への進学実績があるため、男子生徒に限り、近郊の都市圏だけでなく全国から生徒が集まっている(女生徒は自宅生のみなので、必然的に地元出身が多くなる)。
寮には1人部屋と2人部屋があるが(もちろん寮費が異なる)、1人部屋の申し込みが少なかった年は、余剰の1人部屋は入学時の学力に応じて割り振られる。究拓が獲得した1人部屋は、半畳のクローゼットを合わせて6畳と、実質5.5畳であり、備え付けのデスク、本棚、シングルベッドでほぼ埋め尽くされていた。
〔息がつまりそうな狭さです……〕
「でも、君を移しかえれるようなもの持ってないんだよな……」
究拓は背後にある本棚をみやる。
入寮したばかりということもあり、備え付けの大きな本棚には真新しい教科書類と、マグカップ、アルミホイルやラップといったちょっとしたキッチングッズ(寮には朝食と夕食が供される食堂があるが、各階には給湯室もあり、オーブンと電子レンジ、そして電気ケトルが備え付けられているのだ)しかない。
〔いえ、この空間自体が……〕
「窓から出してやってもいいんだが、酸化するんだっけ?」
〔それは脅迫ですか!? 最低!〕
失礼な物言いに、究拓が放り出すことを示唆すれば、魚はペットボトルの底へと身を沈めた。優美に広げていた尾鰭を小さくたたんだ姿はまるで宝石のように美しい。
窓から差し込む日差しがペットボトルと水のゆらめきと魚の体表を覆う蛋白石のような游色効果が干渉して反射光となり天井を彩った。
まるで水中から水面を見上げているようだ。
ふと、思いつき、スマホに手を伸ばす。
〔それはなんです?〕
カメラを起動し、天上の反射光にレンズを向けた究拓に魚が尋ねる。
究拓が美しいと思った水と魚のプリズムは、しかし、高精彩を謳うディスプレイの中でもレンズフレアが生じて減色し、再現できない。
「スマホ――スマートフォン、知らないのか?」
〔……?〕
可視光域すべての色を呈する光の饗宴を、どうにかカメラに収めようと究拓がスマホを傾けたり、仰け反ってみたりと試行錯誤していれば、いきなり、画面が切り替わった。
「なっ! ……な、なんだ? バグった?」
何も操作していないのに、次々と開かれていくアプリに究拓は焦る。
〔なるほど! ……いや、でも種族間コミュニケーションに特化したものでもないのですね。なるほどなるほど、人類が獲得できなかった能力を補助するための道具と言ったところですか。まぁ、それなりに文明が発達しているようで、〕
「あ、この! 小魚、キサマの仕業か!」
〔こざかな……? この美しい姿に対して小魚とは失礼な!〕
「いいからやめろって! 放り出すぞ!」
〔脅迫ですか! 最低です!!〕
魚はそう言いながらもスマホへの干渉を止めたようだった。ようやく動作が止まったスマホのアプリを閉じながら究拓は大きく息を吐いた。
「ったく……!」
〔……なんです?〕
天井の光を撮ることを諦め、今度は魚にカメラを向ける。
〔……貴方まさか、〕
「写真撮るから動くなよ、」
〔きゃー! 変態! やめて!〕
「へ、へんたい!? なんでだよ、」
魚はペットボトルの隅で自身の尾に包まるように丸まり、まるでいたいけな少女に対する悪戯を咎めるような罵声を浴びせる。思いがけない言葉に究拓も怯んだ。
〔こんな、無様であられもない姿を記録に残そうだなんて! 鬼畜!〕
「あ、また! やめろって、スマホにイタズラすんな!」
〔変態! 性倒錯! 加虐趣味! 私の美しい姿をXXXXXXXXXXX……!〕
感情の高ぶりに比例するように、罵声は意味を理解することすらできないエネルギー波が圧縮された波動となり、それは無差別に放出された。究拓が手にしたスマホも波動の干渉を受け、バイブレーションが止まらず、通知LEDが瞬く。
「るっせー!」
その膨大なシグナルが引き起こす頭痛と耳鳴りに、頭を抱えた究拓は、どうにか遮断しようと、ペットボトルに枕を押し付ける。しかし、波動はやまない。
〔XXXX! XXXX!〕
すでに電磁波攻撃となったシグナルに、手を焼いた究拓は、目に入ってきたアルミホイルを手に取った。
枕をベッドの上に投げ捨てる。ペットボトルの中、枕を押し付けられたことで、怒りが増したのか、魚は一層きらめきを強くし、威嚇するように尾鰭を広げている。
究拓はアルミホイルを広げると、ペットボトルにかぶせた。共振したのか、アルミホイルが震えて金属が擦れる不快な音が鳴る一方で、波動が緩む。
〔!〕
そのままペットボトル全体を包み込むように、押し付ければ。
〔XXXXX! XXXXあ、……ちょっと、ちょっとまっ〕
幾分か冷静になってきたのか、魚のシグナルが弱まり、それら波長は意味を持ち始めたが、究拓は構わずアルミホイルでペットボトルを完全に包み込んだ。
「……遮断、できた?」
凪いだ耳鳴りと頭痛に一息つく。
なんとなくアルミホイルの中で騒いでいるような気がしたが、究拓はアルミホイルを前に、スマホを手に取った。
「あ~、なんだこれ」
SNSアプリが立ちあげられ、中学時代の同級生(彼は高校からは首都圏へと進学した)とのやり取りのログが表示されている。さらには先ほどの影響か、送った覚えのない意味のない言葉の羅列が送信済みになっていた。
『悪い、ミスった』
短いテキストを追記し送信する。さらにメッセージを送ろうと画面に指先を当てたが、逡巡し、思い直すとスマホを伏せた。
目の前のアルミホイルで包まれたボトルに視線を戻す。
そうっと、端を少し広げると、まるで人魚の涙のような光の粒が漏れ出る。強力なシグナルはなく、究拓はゆっくりとアルミホイルの隙間を広げれば、魚はボトルの隅に縮こまり、儚い光を零しながら小さく震えていた。
「お、おい?」
〔こういうの、嫌いです……貴方の悪趣味に付き合いますので、この金属薄膜を除去してください〕
僅かなハウリングを交えながらの懇願に、究拓は罪悪感にも似た後味の悪さを覚える。そうなれば、アルミホイルを完全に除去するしかない。
「……っとずるいな。写真、撮られるのが嫌ならそう言えばいいだろ」
〔みっともない姿を記録したいと思う方がおかしいでしょう?〕
「さっき自分で私の美しさとか言ってたじゃないか、」
〔当たり前です。この流線型の形状、呈色性、この惑星において存在しうる最も美しい姿を体現したのですから〕
「お、おう?」
〔しかし! 美しい私を詰まらないプラスチックボトルに閉じ込めて眺めるなんてなんておぞましい嗜好でしょう!……私の×××製の外装による強烈な反射と一酸化二水素の柔和な照り返し、準生命体の重厚な私の体躯と軽薄な素材の容器との対比……確かに私の美しさをより認識しやすくなるかもしれません。しかし、そもそも、美とはそれだけで成り立つものです。奇をてらえばいいというものではありません! 美しさはそれだけで存在価値があるのですから、比較やギャップを楽しむなど浅慮の極み! 基準がないと理解できない卑賎なものたちの思想、頽廃的、露悪的、幻想的、神秘的、蠱惑的!〕
「……なんか誉め言葉になってないか?」
〔とにかく悪趣味です! 美しい私の情けない姿ではなく美しい状態でとるべきです〕
「撮られるのが嫌なんじゃないのか……?」
〔美しいものを永遠に残したい、というのは当然の欲求でしょう〕
「永遠……う~ん」
〔……撮らないのですか?〕
「君、めんどくさいな……」
究拓にしてみれば不条理な罵声をあびせられ、さすがに気を削がれてスマホを置く。
何も始まってもいないのに、始まっていないからこそ疲れ果てた声で尋ねた。
「で、君は一体何なんだ?」
〔私たちはこの星を保護するために来た、いわば<美の守護者>です〕
「星って、君は地球外生命体なのか……それで、その美の守護者ってなんなんだって聞いてるんだけど」
〔ああ、貴方たちは気が付いてもいないのですね……〕
「いちいち、気に障る言い方するよな、」
美の守護者(自称)は、究拓の言い分を無視し、少しもったいぶった様子で言葉を続けた。
〔この惑星は、狙われているのです!〕
「……へえ?」
思わず目を細めた究拓に対して、小魚の主張は、この惑星の不幸のすべてはこの美しさに起因している、という、それこそ不合理極まるものであった。
〔この惑星は美しい〕
「そりゃどうも」
〔だからあの小賢しいネズミどもに狙われてしまったのです〕
「ネズミ?」
究拓はネズミ――それがハツカネズミならば、それに関する噂を一つだけ知っている。
「二番目に凄いコンピュータ……」
〔!〕
「……それ、やめろって!」
ひどい耳鳴りのような高音のハウリングに、究拓は眉根を寄せる。
〔まさか、人類ですら気が付いているのに放置していると……?〕
「いや、そういうのを創っているネズミがいるって都市伝説、」
〔噂レベルで認識、ですか〕
「本当だって言うのか?」
〔現在進行形で、この惑星は、あの無作法で不躾で情緒を解さないネズミの工作によって、確実に変質しています。この惑星の神秘のヴェールは、その美妙を解せず蒙昧だと感じる慎みのないネズミに剥ぎ取られ、再設計されている途中なのです。計算が終われば構造体を組み替えることで電算システム化するでしょう……もしかしたら、すでに影響がでていませんか?〕
「影響? この状況のことか、」
〔パンデミックもお決まりの手段ですから、可能性は十分にあるでしょう。狡猾奴らはとても巧妙で私たちにも確信は持てませんが……他にもこの惑星の構造を再構築しているせいで、異常気象や地殻変動などこの惑星そのものの形を変えるような出来事が各地で起こっているはずです〕
魚の主張に究拓はわずかに眉を潜める。
「……そもそもどうして二番目に凄いコンピュータを創っているんだ? それになんで地球が、」
〔作ったコンピュータで何をするのか、奴らの目的ははっきりしていません。しかし、この惑星が選ばれたのは、美しいからでしょう〕
「そりゃあ、俺たち人類は何かとそういう言い回しもするけど、ネズミたちにとってこの惑星が美しいかどうかはわからないし、そもそも美しさが理由にはならないだろ?」
地球外生物の美の基準が一定であるはずがない、と究拓は疑問を口にする。
〔この星は美しいですよ〕
しかし、魚は一蹴した。
曰く、表面積の7割を覆う透け感のある海洋と絶妙に曝け出された3割の陸地。さらに、衛星を従えることで、形を持たない海という液体は絶えず揺らいでいる。なによりも、その海から蒸発した水分子が上空に触れて凍ることで生み出される雲というレースは、常に形を変化させて惑わせるのだ。
安定した8割の窒素と刺激的な2割の酸素は、交じり合って250nm以下の波長を吸収することで、太陽が発する波長の反射は絶妙な色調になり、本当に素晴らしい。
この星の美しさは、見た目だけにとどまらない。
内側に内包する熱量、エネルギーの塊は、冷えた土の下を出口を探して絶えず奔流し――
「わかった、わかった」
いや、わかんないけれども。と思いながらも、熱く語る魚に、究拓は口を挟んだ。
しかし、心が読める魚は不服そうに水面を揺らめかせる。
〔まぁ、貴方たちには理解できないかもしれませんが、なにより、この惑星の黄金比率が正しく美しさを証明しています。だからこそ私たちが保護しに来たのですし〕
「黄金比率?」
〔貴方たちの文明到達度ではまだ理解できないかもしれませんが、美しさという概念はすでに解明されていて、そこにはある一定の法則があり数値化することができるのです〕
「それは随分とつまんねー……いや残酷な世界に生きてるんだな、」
〔?〕
思わず零れた究拓の感想に、魚は本当に理解ができなかったように、ただふわりと尾鰭を泳がせた。
「美しさとか、そういうのは数値化するものじゃないだろ、」
〔貴方たちだって、美しさを競ったりするでしょう?〕
「……そりゃまぁ、そういうことも」
〔でしたら明確な基準が必要でしょう?〕
言い切る魚に究拓は反論しようと口を開いたが、言葉を選べずにそのまま閉じた。
そして、釈然としない気持ちを抱えたまま、話の先を促す。
「……まあいいや、それで美しさがどう関係するんだ?」
〔より黄金比率に近いものの方が、電算システム化しやすいのでしょう〕
「へえ、それで、君はそのネズミたちからここを守るために来てくれたのか?」
〔守るといいますか、これ以上、破壊される前に保存しに来たと言った方が正しいでしょうか、〕
「保存って? ネズミたちを追い払ってくれんじゃないのか」
〔私たちは民間の非営利組織ですので、活動は制限されているのです。そもそも武力行使はできません〕
「じゃあ、どうするんだ? 君たちに技術供与してもらって、俺たち自身が立ち上がればいいのか」
流石に自分たちの星のことである。必要ならば何か行動を、という気持ちを滲ませ尋ねれば、魚はあっけらかんと告げた。
〔いえ? 貴方たちの文明に私たちが手を加えるなんて、無粋極まりないこといたしませんよ〕
「無粋?」
〔私たちが技術供与した時点で、貴方たちの価値は著しく低下し、保存対象になりません。天然モノですから価値があるのです〕
(……天然?)
〔この惑星外の文明の手が加わらない状態で、ですね〕
「思考を読むの、やめろ。とにかく、今、地球の危機は迫ってるんだろ、助けるよな? ほら、何とか法で生命保護の義務とかなんとかあるんだろ?」
〔個体の緊急保護と、種族の存続の判断は別です。実際、この惑星については公的機関も調査に入っていると情報が入っています。しかし、あの組織は手続きが煩雑でいつも後手に回ってしまうからこそ、私たち民間組織が〕
「結局、地球はどうなるんだよ?」
長くなりそうな魚の説明を遮り、究拓は尋ねる。
〔ですから、保存します。これ以上、ネズミたちの手が加わる前に、できるだけ天然に近い状態で〕
「だから天然って。それまでは再構築されるがままだってことか、」
〔まあ、その辺に関しては、私たちの中でもまだ意見が割れるところですが、なんなら、無粋に再構築されたものより、壊れたままの方が情緒があると〕
「だからって、」
〔貴方だって、整形美人と天然美人では天然美人に価値を置くでしょう?〕
「そういう問題かよ? ……整形だってそれで笑って過ごせるようになるなら別にいいだろ? だいたい、君が俺と田中で態度を変えるのも失礼だからな!」
話がそれることを危惧したものの、魚のデリカシーのない言葉に、先の態度も相まって、ふつふつと怒りの感情が沸き起こる。不快感を口にするものの、魚の態度は気に介したふうもなく、清々しいまでに素っ気ない。
〔意見の相違ですね。否定はしませんが、貴方がたの文明レベルを考慮すると議論する気にもなりません〕
言外に拒絶した魚は、さらに言葉を重ねる。
〔しかし、まだ間に合うのであれば、この美しい星は、美しいままとどめて置かなければなりません。粋を解さないネズミたちの手によって、醜く変質していくというのならば、それを食い止めることこそが、急務なのです〕
「……なんか、」
〔どうしました?〕
「美しさとかじゃなくて、もっと別の……」
倫理とか、道徳とか――俺たちのためとかじゃないのか、
究拓は、そう口走りそうになったが、すんでのところで呑み込んだ。それでも、魚の言葉に何か言い返したかったが、自身が納得できる程度にも言語化できずに黙るしかなかった。
〔私たちができることは少ないのです〕
「でも、できることがあるから、ここにいるんだろ?」
〔ええ、どうすればいいのか、私たちは、たった一つの冴えたやり方を知っています〕
魚は水中でくるりと回る。天井の反射光が、聖人の背後に描かれる、慈愛に満ちた救済の光のように虹色に輝いた。
〔記録にするのです〕
「は?」
究拓が思わず問い返せば、魚は誇らしげに言葉を続ける。
〔この星のすべての美しさを博物館や美術館のガラスケースの内側に保存し、鍵をかけ、この惑星という美しい存在を、美しい言葉で綴り書物にしたためる〕
「……?」
〔記録は更なる幻想を纏い、この星の存在はよりいっそう美しく昇華されるでしょう〕
「いや、」
〔そのためには、この星は劇的で、伝説になりうる、それでいて幾分か同情的な、美しい最後を迎える義務があります〕
「いやいや、」
〔なによりも、蝋燭の燃え尽きる直前のきらめき、貴方たちが愛する桜の散り際がそうであるように、美しいものはそれが儚く消える瞬間こそが、至高の美なのです〕
「いやいやいや、」
〔この惑星の不幸のすべてはこの美しさに起因していると言ったでしょう? なにより、悲しいことに、美しいものは不幸が似合うのです。不幸もそれを知っていて、ことさら美しいものにまとわりつくのです。はしたないネズミたちみたいに〕
「いやいやいやいや、」
〔そして、美しいそれの最も美しい姿を見てみたいと思うのは当然の欲求でもあるのです……〕
「ちょっと待て、君たちもこの地球を壊すつもりなのか?」
〔壊しません。ただ、その様子をつぶさに記録し、保存するのです〕
究拓はペットボトルの中の魚を睨む。
「……取り返しがつかなくなるさまを傍観するってことか、」
「いいえ! その前にガラスケースに」
不満そうに反論する魚の言葉を遮り、究拓は尋ねる。
「……君は酸化するとどうなるんだ? 有毒物質とか出たりするのか?」
〔あ、貴方、ひどく最低なこと考えてますね?〕
「どっちがだよ」
どうしたもんかな、と目の前の魚を眺める。
ただ美しい熱帯魚のような見た目だけで判断すれば、無害そうな気もする。
現状、何もできない傍観者であると、本魚?も自白していたしな。いざとなれば、
〔なんてことを……野蛮、下劣な考えは捨てるのです!〕
究拓は魚の言葉を無視して、机の上に伏せていたスマホを手に取った。ログインすれば、中学時代の友人とのやり取りが表示される。
思春期の子どもたちの間で潜められた声で漏らされていく伝言ゲームを究拓に教えてくれたのは彼だ。
曰く、思春期の子どもは、ハツカネズミたちによって間引かれている、と。
もし、目の前の魚みたいに、噂のハツカネズミたちが本当に存在して、地球を再構築しているとするのならば、子どもたちが間引かれているという噂も本当なのかもしれない。
――彼は、本当に引っ越したのだろうか。
そんな疑問が沸き起こり、首筋が泡立つ。
究拓は、とん、と画面を叩くと、先ほど送り損ねたメッセージ――他愛もない、だが、少年たちの間だけで通じる話題を送った。ついで、ふと思いついて、ある議題についてのご意見を伺う。
送ったメッセージに、ぱっと、既読が付いた後、やはり少年たちの間だけで通じるような揶揄するメッセージが表示される。そして、議題に関して、彼なりの意見も。
究拓はそれを見て、薄く笑みを浮かべると、魚へと向き直った。
「そういえば、さっきの話だけど」
〔なんですか?〕
「整形美人か天然美人かって話。俺は別に整形とかは気にしないけど、その二人ってどっちがおっぱ」
〔いやらしい! 不潔! 低俗! 下品! 野蛮! 最低! 最低! 最低!〕
究拓の言葉を遮り、魚は強烈なシグナルを波動化する。
襲い掛かる耳鳴りに、無意味と知りながらも耳を抑えて叫ぶ。
「はあ、なんでだよ!」
〔性的魅力の多寡による差別はもっとも理性を伴わない原始的で忌むべき概念です!〕
「容姿差別はするくせに!」
〔意見の相違! 議論の余地はありません!〕
魚の主張に不満を唱えるが、激高した<それ>とはすでに会話を成り立たせるのが難しそうだ。
究拓はこれ見よがしな仕草で、先ほどはがしたアルミホイルへと手を伸ばす。
びくっと怯えたように震えて信号を止める魚に、究拓は意地悪な笑みを浮かべる。
「へえ。ちょっとは可愛げあるじゃないか」
少しだけ留飲を下げたその時、ぶぶ、と伏せられたスマホが震えた。
画面を見やればメッセージを受信している。
通知に表示されたのは中学時代の友人の名前。
内容は先ほどに引き続き、他愛のないものだ。
彼が住む地域は今日、雨だったこと、博物館学習でプラネタリウムを見たこと――
究拓は少しだけ思い悩んだ後、カメラを起動すると、レンズを魚へとむけた。
湾処:川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のこと
燐:白リン(P4)のこと。発火点は約60℃で些細なことで自然発火するため、水中で保存する。空気中で室温でも徐々に酸化され、熱および青白い光を発する。




