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先立つ物が必要です

 目を開けると、既に部屋は明るい。

 アニエスは体を起こすと、思い切り伸びをした。


「……さて。今後のことを考えないといけませんね」

 あれだけの騒ぎでけちの付いたアニエスに縁談はきっと来ないし、正直結婚する気もない。

 だが、このまま家に残ってはただのごく潰しで、家に迷惑をかけてしまう。


 元々アニエスはルフォール伯爵の妹の子……つまり、姪だ。

 母が平民に嫁いだので、アニエスも十一歳まで平民として暮らしていた。

 馬車の事故で両親が亡くなり、伯父であるルフォール伯爵に引き取られたのだ。


 馬車にはルフォール伯爵夫人も乗っていたので、伯爵は妻と妹夫妻をいっぺんに亡くしたわけだ。

 唯一の生き残りだったアニエスを引き取ってくれた伯父には、心から感謝をしている。

 十八歳までのこの七年間、何不自由なく育ててくれたばかりか、本当の親子の様に大切にしてくれたのだ。

 だからこそ、家族には迷惑をかけたくない。


 アニエスの父は隣国の人間だった。

 竜の血を引く王族が統べるヴィザージュ王国とは違い、精霊の加護が厚い国らしい。

 その隣国の血のおかげか、アニエスは髪は桃花色で瞳は緑青という、この国には珍しい色合いを持っている。

 精霊の加護になじみがなく、あまり好まれないこの色のせいで、家にも迷惑をかけていた。


 貴族女性は長い髪であるべきという慣習のために短く切り落とすこともできず、染めて色を変えようにも何故かまったく染色されないという厄介な髪だ。

 家は弟のケヴィンが継ぐが、社交界デビューしたばかりの大事な時期に、悪い噂で足を引っ張るわけにはいかない。


「……となれば、平民に戻るのが手っ取り早いですよね」

 元々平民として暮らしていたし、家事も大抵のことはできる。

 伯爵令嬢として生活しても家事などを手伝い続けたのは、フィリップの短慮を理解していたからだ。

 結婚してもいずれ癇癪で離婚を切り出しかねないと思っていたアニエスは、いつ離婚されても生きていけるように備えていたのだ。


「まさか、婚約段階でこうなるとは思いませんでしたが」

 アニエスの想定以上にフィリップが愚かだったわけだが、遅かれ早かれこうなっただろうから、いっそ清い身のまま平民に戻れるのを感謝するべきかもしれない。


 普通の貴族令嬢ならば『罰』である平民生活も、平民として暮らしていたアニエスからすれば何ら抵抗もない。

 ついでに、浮気者(フィリップ)の末路を見なくて済むので、目に優しい。

 これはいい話ではないか。




「……ということで、平民に戻ろうと思います」

 目の前の椅子に座るブノワ・ルフォール伯爵は、養女であるアニエスの言葉に頭を抱えた。


「思います、って。アニエス、何でそうなったんだ」

「衆目の真っただ中で、公開婚約破棄されました。これで私も、晴れて立派な傷物です。家のための縁談も来ないでしょうから、ごく潰しコースを回避するために平民に戻るのが最適であると考えます」

 元気に返答するアニエスを見て、ブノワは大きなため息をついた。


「昨日の騒ぎは聞いた。実に酷い話だが、フィリップ殿下に非があるのは誰が見ても明らかだ。……何せ、自身でひと月前からの浮気を堂々と宣言したのだから」


 確かに、していた。

 思い返しても、迂闊なことだと思う。

 さすがは、へなちょこ王族。

 そういうところがキノコ的安全につながっていたとも言えるが。


「なので、ほとんどの人はアニエスに同情的だ。確かにすぐにいい縁談というのは難しいだろうが、何も平民に戻る必要はない。仮に結婚しないとしても、アニエスはこの家の娘なのだから」

 ブノワの金髪と鳶色の瞳は、既にアニエスにとっても馴染みのある色彩だし、愛着がある。

 アニエスの髪もせめてもう少し地味な色だったなら、迷惑をかけることもなかったのに。


「姪とはいえ、平民の私を引き取ってくれたお父様には感謝しています。ケヴィンのことも大好きです。だから、少しでも邪魔になることはしたくありません」

「だから、何も邪魔なんかじゃないよ。昨日の騒ぎで一番傷付いたのはアニエスだ。しばらくはゆっくりと休むといい。その後に、何をしたいか考えても遅くはないだろう?」


 端くれとはいえ王族のフィリップとの婚約が破談になるのだ。

 家のことを考えるのなら、アニエスに文句の一つも言いたいだろうに、決してそれをしない優しい父に胸が温かくなる。


「そんなに優しいことを言わないでください。キノコが生えかねません」

「食用なら大歓迎だよ」

「お父様なら、食用どころか高級キノコです」

「マツターケかな? それはありがたい。……ともかくアニエス。もう少し考えなさい」

「はい……」



 平民生活は理にかなっていると思ったのだが、どうやら賛成してはもらえないようだ。

 ブノワの許可と協力がなければ、平民生活のスタートは難しい。

 部屋だって小娘一人では、貸してもらえるかもわからない。

 そもそも、部屋を借りるための資金や、当面の生活費など、ある程度のお金が必要なのだ。


「……となると、先立つ物が必要ですね」

 今まではお金が必要なら父にお願いしていたが……今回は無理だろう。

「いらないものを処分して、お金にするしかありませんね」

 アニエスは自室に戻ると、自身のドレスを引っ張り出した。

 どれもこれも地味でシンプルな作りなのは、婚約者だったフィリップの意向だ。


 フィリップはこの国で好まれないアニエスの髪色を目立たないようにと、髪をまとめること、ドレスや化粧は限りなく地味にすることを求めていた。

 確かに髪は目立つし、他の人間に声をかけられるのも面倒なので従っていたが、売るとなると何とも色が悪い。


「まあ、落ち着いた色と考えれば、大人の女性にちょうどいいかもしれませんし。まずは試してみましょう」

「アニエス様? 旦那様とお話は済みましたか? 湯浴みの準備はできておりますが」

 部屋にやって来たのは、ふくよかな見た目に反して仕事が早い、侍女のテレーズだ。


「ありがとうございます。お風呂に入ったら、すぐに出かけます。テレーズはドレスをまとめておいてくれますか?」

「ドレスを、どうなさるのですか」

 アニエスはテレーズを見ると、にこりと微笑んだ。


「――全部、さっぱり、売り払います」


【今日のキノコ】

マツタケ(松茸)

言わずと知れた高級キノコ。

松が生えていると何となく根元を見てしまうのは、このキノコのせい。

マツタケ本体よりも「松茸のお吸いもの」の方に親しみがあるのは私だけ?

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