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可愛いという、心のない言葉

「まさか、またネツサガールに出会えるなんて! ありがとうございます、お嬢様!」

 店長は頬ずりしそうな勢いで紫色のキノコを眺めている。

 どうにか閉店ギリギリに駆け込んだアニエスは、ほっと一息ついた。


「ところで、今日はお一人ですか? いつものお連れ様は?」

「一応連絡はしました。ですがキノコが急に生えたのと、閉店時間に間に合わないので、走ってきました」

 屋敷からは大した距離ではないので、ケヴィンを探したり馬車の手配をするよりも、走った方が早いのだ。


 伯爵令嬢がワンピース姿で街中を走るのは、どうかとも思う。

 だが帽子に髪を入れて隠し、目深にかぶっているから誰だかわからないだろう。

 それに、ばれたところでどうせ平民に戻るのだからいいかと開き直った。


「帰りはお一人ですか? よろしければお送りしましょうか」

「いえ、大丈夫です。家の者に店に行くと伝えてもらうようにしたので、途中で会うと思います。それに、一人でも走ればすぐですし。店長はこの後予定があるのですから、気を使わなくて大丈夫ですよ」


「わかりました。でも、気を付けてくださいね。お連れ様も心配でしょう。お嬢様は可愛らしいですからね」

 カワイラシイというのが何のことかわからず、暫し目を瞬かせる。


 カワイラシイ。

 かわいらしい。

 ……可愛らしい?


 ああ、なるほど。

 キノコを他所に持ち込まれないために、アニエスの気分を良くしようということか。

『そこの綺麗なお嬢さん』と話しかけてくる屋台と同じことだとわかり、アニエスは苦笑した。


「そんなお世辞を言わなくても、またキノコが生えたら持ってきますから大丈夫ですよ。それじゃ、帰りますね」

 アニエスは店を出ると、来た道を戻り始める。

 行きは急いでいたので走ったが、帰りは歩いても問題ないだろう。




「……可愛らしい、ですか」

 桃花色の髪を持つアニエスでも、お世辞の一つや二つ言われた経験はある。

 フィリップと夜会に出た時には、さすがに王族の連れということでその傾向が顕著だった。


 美しいだの、一緒に踊りたいだの、よくもまあ心にもないことを言うものだと感心しきりだった。

 その度にどこからかやって来たフィリップが勘違いしないようにと釘を刺してきたが、そんなことは言われるまでもなくわかっている。


 ブノワとケヴィンは分厚い家族フィルターがかかっているらしく、アニエスの髪を嫌わないどころか美しいと褒めてくれる。

 だが、それが世間の感覚とずれているのは平民生活でも十分に理解していた。


 貴族内での反応はわからなかったが、アニエスを褒めるのは王族のフィリップと一緒にいるからであって、本心では桃花色の髪を嫌厭していると教えられた。

 婚約は六年に及んだが、その間参加した夜会や茶会でも髪については嫌悪感を露にされるか、見え透いたお世辞を言われるか、あえて無視されるばかり。


 そのうち、フィリップの言う事が正しいらしいと気付き、言われるがままに髪をまとめて地味にしてフィリップのそばにいると、絡まれることは目に見えて減った。

 端くれとはいえ、王族の力というものは凄い。



 そのフィリップとの婚約もなくなり、もう社交界と関わることもないだろうと思って髪をおろしたのに、クロードとの契約でまた夜会に出ているのだから人生はわからない。

 とはいえ、契約終了である王太子の婚姻まではもう一月もない。


 当初はどうなるかと思ったが、公開婚約破棄でアニエスが傷物になったという話題はもうほとんど消えている。

 第四王子自ら『ひとめぼれで首ったけ』だと触れ回っているおかげで、皆の意識は完全にそちらに向いていた。


 ケヴィンもその話題で不利益はないと言っていたし、それどころかクロードと親しいのかと声をかけられることが増えたらしい。

 薬草とキノコのおかげで、新生活のための資金も順調に増えてきている。


「このまま、上手く契約が終われば安心ですけれど」




 街中を通り抜け、人通りの少ない道に差し掛かった時、アニエスの視界に光の玉が現れた。

 何だろうと足を止めると、道の先に男性が二人、立ち止まってこちらを見ている。

 道の端には木箱を積んだ荷馬車がいくつも並んでおり、彼らも荷物を運ぶのだろうとは思う。


 だがアニエスに突き刺さる視線は、通りすがりの人間に向けるものではない。

 帽子のつばを下げて一歩後退ると、それを追うように男達は歩を進めた。


「あんた、最近希少種の薬草を持ってきているというお嬢さんだろう?」

 男の言葉に帽子の下で眉を顰める。

「……何の話ですか?」


「とぼけなくてもいい。希少種の薬草が入荷する前に、桃花色の髪のお嬢さんが店に出入りしているという噂がある」


 アニエスは心の中で舌打ちをした。

 やはり、納品する回数が多かったか。

 店長が情報を漏らすとは思っていないし、実際そんなことはしていないと思う。


 だが頻回に店に出入りし、その後に薬草が入荷しているとなれば、気付く人は気付くだろう。

 ましてアニエスの桃花色の髪は目立つから、記憶に残りやすい。

 話の流れからして、ここから早く離れた方がいいだろうと更に一歩下がると、背中が何かにぶつかる。

 振り向く間もなく帽子を奪われ、桃花色の髪がさらりと零れ落ちた。



「桃花色の髪。間違いないな」

 背後に立った男が、帽子を掲げながらにやりと笑った。

 後ろにも仲間がいたのか。


 しかも、髪の色まで確認するからには、人違いということはなさそうだ。

 どうせ薬草を狙った強盗の類なのだろうから、何も持っていないということを伝えれば何とかなるかもしれない。


「帽子を返してください。私に何の用ですか?」

 男の手から帽子を取り返そうとするも、かわされる。

 妙に楽しそうな顔が癪に障り、アニエスは男を睨みつけた。

 帽子に白いキノコが生えたが、男は気付いていない。


 白い針状のものがいくつも垂れてフサフサしているのは、ヤマブシダーケか。

 恐らく男達への恐怖から生えたのだろうが、こうしてみると帽子に毛玉の飾りがついているようで少し可愛い気がしないでもない。


「へえ。妙な髪色のお嬢さんと聞いていたが、思った以上に可愛いじゃないか」

 また、『可愛い』か。

 何ひとつ褒めてなどいないし、馬鹿にされているのは不愉快だったが、逆に言えば彼らはアニエスを侮っている。

 どうにか隙をついて、この場から逃れなければ。



「それで。薬草は持っているのか?」

「薬草が欲しいのなら、お店に行けばいいでしょう」

「……まあ、そうなるか。あれをどうやって手に入れているのかは、ゆっくりと聞かせてもらうことにしよう」


 帽子を持った男と話している間に、道の先にいた男二人も近付いて来る。

 三人に囲まれたら、逃げられない。

 アニエスは帽子の男の横をすり抜けようとするが、腕を掴まれた。


 体を押さえられないように距離を取ると、自身の腕を回転させて男の手を振り払って離れる。

 幼少期から何かと絡まれ続けたおかげで身につけた技だが、逃げ道は塞がれたままだ。

 荷馬車に背を預ける形で立つアニエスと男達の間には数歩の距離しかない。


 その時、男達の足に赤褐色のキノコが山のように生えた。

 艶々と輝くヌメリは、ナメーコだろう。

 だが、まったく気付かれていないし、アニエスがこの場から逃げるのには何の役にも立たない。

 近年稀に見るレベルで溢れる粘液のおかげで、男達の靴はびしょ濡れだが、結局役に立たない。


「さあ、一緒に来てもらおうか」

 アニエスの帽子を頭に乗せた男が、ゆっくりと手を伸ばすと、帽子を彩るヤマブシターケの上に更に白いキノコが一本生えた。


 白い傘に白いイボは、ササクレシロオニターケだろう。

 確か毒キノコだが、ここから逃げるのに役に立たないという点では、ナメーコと大差はない。

 じりじりと距離を詰めてくる男達にどうすることもできず、ただ必死に睨みつけていると、低い声が耳に届いた。

 

「――待て」


【今日のキノコ】

ヤマブシタケ(「キノコの感度が上がっています」参照)

軟らかい白い房状の無数のとげを丸い形に垂らした食用キノコ。

アニエスの危機を察し、桃花色の髪を隠そうと帽子の上からフサフサと生えた。

だが帽子のつばに阻まれ、ただのフサフサの装飾として揺れている。


ナメコ(滑子)

赤褐色の傘とヌメリを持った、群生が得意なキノコ。

価格も手頃で、ご家庭でも愛される有名キノコ。

アニエスの危機に男達をどうにかしようと群生し、キノコ人生……菌生最大級のヌメリを出して、靴を再起不能にしている。


ササクレシロオニタケ(「話しかけないでください」参照)

白い傘に白いイボを持ち、柄にささくれがある毒キノコ。

全身美白したベニテングタケという見た目。

これ以上アニエスをいじめるのなら先輩方を呼ぼうと、見張り&忠告のために生えてきた。

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― 新着の感想 ―
[一言] > 近年稀に見るレベルで溢れる粘液 ナメコ恐るべし。 自分の意思で粘液量を変えることが出来るんですね。 まさか、そんな力を持っていようとは。
[一言] 負の連鎖……もはや洗脳やDVに近いレベルまでやらかしていたのですね、あのフィリップ野郎は。年頃の娘さんなら自身の容姿をアレコレ言われて傷付かない筈無いのに。讃辞の声を聞き流すのも無意識の防衛…
[良い点] キノコの大盤振る舞いが始まりましたね。 キノコ不足解消できそうです。 [一言] アニエスを助けようととしたのか、沢山のキノコ達が頑張っていますが、、役に立たないというのが切ないです。
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