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赤いキノコが生えました

「……君は、とんだ災難だったな。だが、何もあれを刺激する必要はなかったのでは? 剣まで取り出したのはあいつが愚かだが、危険だったぞ」

 アニエスの前を歩きながら、クロードが話しかけてきた。

 労いでもあり忠告でもあるその言葉に、アニエスはうなずいた。


「わかっています。どうせ婚約はなくなりますし、自分の首を絞めるだけだと」

 あの場では婚約破棄を受け入れて、大人しく会場を去るという道もあった。

 それをしなかったのは、努力を無にされ裏切られた怒りが大きい。


「では、何故」

 こちらを見たクロードが息を呑むのがわかる。

 きっと、アニエスの目が潤んでいるからだろう。



「……愛していたかと言われれば、違います。でも、ずっと婚約者として過ごしてきて。面倒で手のかかる人で、年上でしたが弟のように思っていました。キノコも……いえ。私も、王族に名を連ねる方の足を引っ張らぬように、一生懸命学びました。でも、そんなことはすべてどうでも良かったのです」


 あの場では怒りと勢いで渡り合っていたが、こうして離れて静かになれば、何だか酷く空しい気持ちだけが膨らんでいく。


「魂の伴侶、だそうです。私は偽物だそうです。私は要らないのです。今までのことはすべて無意味で。私はずっと、無駄なことばかりしてきたのです。……頑張ったのですが」

「……そんなに、好きだったのか?」

 労わるような優しい声に、首を振る。


「いいえ。でも、将来の伴侶として一緒にいた人に、要らないと言われるのは……」

 悔しさから、ついに涙が一筋零れる。

「それに、この騒ぎで家にも迷惑が掛かります。それが、何よりも申し訳なくて、悔しいのです」


 一番は、そこだ。

 フィリップとの婚約だって、元は家のために承諾したものだ。

 それが全て無駄になるどころか、家に泥を塗るような形になってしまったのが、悔しくてならない。


 どうせなら一発ぶん殴ればスッキリしただろうが、それではアニエスにも非があったことになる。

 一時の感情のために家族に迷惑をかける気にはなれなかった。

 俯くアニエスに、白いハンカチが差し出される。

 見上げれば、鈍色の瞳が悲しそうにこちらを見ていた。


「ありがとうございます。でも、結構です。擦らなければ、瞼も腫れませんし。家の者には気付かれたくないのです。浮気者との婚約がなくなって、せいせいしたと言わなければ」

「何故?」

「心配をかけたくありません。とてもいい人達ですから」

「随分他人行儀だな」


 他人ではないが、実の親子でもない。

 だが、クロードに説明することではないだろう。

 それを言えば、今話していることだって、王子にするような内容ではない。

 アニエスは気を引き締めようと、深呼吸をした。



「殿下、お手数をおかけしました。おかげで牢に入って極刑になるのを免れました」

「いや。元々そんな権限は、あいつにはない」

 それは確かにそうなのだが、癇癪を起こして万が一ということもある。

 実際に、フィリップはあの場で剣を手にしたのだから。


「……君は、これからどうするつもりだ」

「こんな騒動があれば、もう私に縁談は来ないでしょう。来ても、キノコ……いえ、事情がありますし。貴族の男性は浮気も甲斐性という考えの方も多いそうですから、私のように口を出す女は好まれないとわかっております」


 実際、フィリップはアニエスが注意すると、心底嫌そうにしていた。

 注意されないようにすればいいとは思うが、彼にそれは通じなかった。

 そういうへなちょこだからこそ、キノコ的に安全だったのかもしれないが。


「殿下はご存知ないでしょうが、私は元々平民育ちです。平民に戻るのが一番だと思っています」

「そんな」


 たまたま国王の指示で介入しただけの相手の話を真剣に聞いているのだから、クロードは人がいい。

 たとえそれが計算の上の対応だったとしても、今のアニエスには救いだ。

 だが、これ以上無関係の王子の手を煩わせてはいけない。

 悔し涙を押し込めると、にこりと微笑む。


「こんな話、家族にはとてもできません。聞いてくださって、ありがとうございました。殿下にこそ魂の伴侶が現れることを、心よりお祈り申し上げます」

 アニエスは礼をすると、そのまま馬車に乗る。

 クロードが手を貸そうとしてくれたが、アニエスには必要ない。

 やろうと思えば、飛び乗ることだってできるのだ。



「待て。瞼は腫れなくとも、涙が残っていては同じだろう。これを」

 クロードが差し出したのは、白いハンカチだ。


「ですが、もうお返しすることもできませんし」

 それに、よく見れば王家の紋章が入っている。

 安易に貸し借りしていい物とは思えない。


「いいから、受け取ってくれ」

 半ば無理矢理ハンカチを差し出しながら、クロードはまっすぐにアニエスを見つめてくる。

 なんとまあ、人のいいことだ。

 こういう気配りが、フィリップには丸ごと欠けていたのだが……もう、関係ないか。


「……はい。重ね重ね、ありがとうございます。もうお会いすることもありませんが、どうぞお元気で」

 ハンカチを受け取ろうと伸ばした手が、クロードの指先に触れた。


 はっとして見ると、クロードの白い手袋には赤いキノコが生えていた。


 確か、ベニテングターケとかいう名前だったと思う。

 鮮やかな赤い傘に白いイボが水玉模様の様に配置されているあのキノコは、結構な毒だったはずだ。

 突然手袋の上に現れたキノコに、クロードも目が釘付けになっている。

 さぞ驚いているだろうが、何と誤魔化せばいいだろう。



「……なんて、綺麗なキノコだ」



 アニエスが悩んでいると、クロードはそう呟いて自身の手からキノコをむしり取り、無言でじっと見つめ始めた。


「こんなに汚れのない赤い傘と白いイボは、初めて見た」

「……はい?」


 麗しの王子が、キノコを持って何だか妙なことを言いだした。

 アニエスは扉を閉めるべくそばに立っていた御者と顔を見合わせると、うなずき合う。

 そっと扉を閉じた御者は、静かにかつ速やかに馬車を出発させた。


 よくわからないが、忘れた方がいいと本能が叫んでいる。

 色々あって疲れたせいもあり、それ以上考えることを放棄すると家路を急いだ。




 帰宅したアニエスは、執事に一言伝えてそのまま自室に向かった。

 ルフォール伯爵である父も、今夜の舞踏会に招待されている。

 騒ぎの届かぬ場所にいたようだが、すぐに婚約破棄騒動の話を耳にするだろう。


 だが、アニエスが一足先に馬車を使ってしまったので、帰るのはまだ先だ。

 それを待つ気力も体力もないので、話は明日にしてほしいと伝えたのだ。

 湯浴みをする元気もないので、着替えるとすぐにそのままベッドに潜り込んだ。



 ……なんて、惨めな夜だろう。


 悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか、自分でもよくわからない。

 公開婚約破棄されたのだから涙に暮れてもいいとは思うのだが、どうもそんな気になれなかった。


 結局、フィリップへの想いはそんなものなのだ。

 クロードと話をしている時には感情が高ぶって涙がこぼれたが、あれも愛情からの涙ではない。

 家のための努力を無に帰されたという悔しさ、互いの利益のために手を組んでいたはずの裏切りに対する怒りの涙だ。


 こうして思い返すと少しは涙が滲みそうになるが、最後に見たキノコを見つめる王子が脳裏に浮かぶと、あっという間に涙は引いていく。



「……何だったのでしょうね、あれ」

 クロードに生えたのは、確かに赤い傘に白いイボが見事なキノコだった。

 だが、問題はそこではない気がする。


「まあ、もう関わることもありませんし。忘れましょう」

 そうだ。

 今日のことはすべて、忘れてしまおう。

 明日からは、忙しくなるのだから。

 アニエスは毛布を握りしめると、体を丸めて眠りについた。

ファーストキノコが生えたところで、今回からお話の中に出て来たキノコのモデルをご紹介します。

「今日のキノコ」です。


※ あくまでも実在のキノコはモデルです。なので、本文中では名前を少し変更しています。

  ありえない見た目や毒などは、フィクションです。



【今日のキノコ】

ベニテングタケ(紅天狗茸)

赤い傘に白いイボが水玉模様のように見える、ザ・毒キノコという見た目。

結構な毒で、蠅の捕殺に使われたらしいが、どう使うのだろう。

スー〇ーマ〇オなら1upしそうだが、実際は食べたらやばそう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ついにキノコのターン! 運命の赤い菌糸ならば赤いキノコですし、赤いキノコと言えばベニテングタケですよね! とても理性的で思慮深いクロード様を狂わせるのだから、毒キノコで当然です。 [一言]…
[良い点] あぁ ついにきのこが!  そして早くも変態の芳しい香りも漂ってきましたね。 楽しみです!
[一言] 王子はベニテングダケを手に入れた。 アニエスと一緒にいると毒薬の入手法には困らなさそうですね。 クロード王子、まともにかっこよい人に見えたのに、キノコで一気にイメージ転落しました。 個人的…
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