無意識の惚気と馴れ初めの泉
「殿下とも正式に婚約したことだし、まずは一安心だね」
ティーカップを置くと、ブノワ・ルフォール伯爵は小さく息をつく。
アニエスはルフォール邸に戻ると、家族と一緒にお茶を飲んでいた。
確かにクロードとの婚約は成立したが、そんなにしみじみと語ることだろうか。
「へなちょこもバルテ領に引きこもっているらしいし。良かった、良かった」
ブノワは満足そうにケーキを口にしているが、元婚約者のフィリップがバルテ侯爵領から出てこないのは別に引きこもりだからではない。
竜紋を持つクロードの番を害しようとした責任を取って、結婚させられて謹慎処分になっただけである。
とはいえ竜紋のことは公にできないし、下手に騒げばアニエスが傷物という風評被害が加速する。
だからこそ、勝手に引きこもっていることになったらしい。
「姉さんのキノコで毛根ももげただろうし、本当にいい気味だよ。二度と出てくるな」
ケヴィンも晴れ晴れとした表情でお茶を飲んでいるが、実際には毛根は更なる焼き討ちに見舞われている。
これもまた公表するわけにはいかないので、アニエスは微妙な笑みで曖昧にうなずくばかりだ。
「へなちょこ毛根は、もうどうでもいい。アニエスが幸せなら、それが一番だ。――滅びろ、毛根」
何だかフィリップの呼び名がおかしなことになっているし、最後に呪詛を吐いているのは気のせいだろうか。
既に王族から外れた以上へなちょこ王族と呼ばないのはわかるが、何故そこで毛根なのだ。
以前から気になっていたが、ブノワの毛根への恨みが深すぎる。
「今度の陛下の生誕祭は、殿下の婚約者として初参加だね。他国の王族も来るんだって?」
「オレイユの王族が訪問するそうです」
ブノワのフォークを持つ手が一瞬止まり、すぐにケーキの上に乗った苺を突き刺した。
「……珍しいね」
「はい。国王まで訪問するのは、かなり珍しいと聞きました」
「だいぶ華やかだろうけれど、姉さんは平気?」
ケヴィンが心配するのも無理はない。
フィリップの婚約者としてそういった催しにはほとんど参加していないか、早々に帰宅していたので慣れていない。
それにずっと桃花色の髪を隠して目立たないようにしていたので、楽しい思い出もない。
更にフィリップの扱いを見て、アニエスを無視したり馬鹿にする者も少なくなかった。
国王の生誕祭となれば、そういった面々とも否が応でも顔を合わせることになるのだろう。
「平気とは言いませんが、やらなければいけないことですから、慣れないと。それにクロード様がいるので、キノコが生えても何とかなると思います」
何と言ってもキノコあしらいの上手さは群を抜いているので、自然にむしって隠してくれるはず。
仮にキノコが見つかっても、王子なので咎められることはないだろう。
安心してほしいと説明したのだが、何故かケヴィンはにこにこと楽しそうに微笑んでいる。
「前向きなのは、いいことだよ。殿下を信頼しているのもね」
「キノコの信頼ですね」
ことキノコに関しては、あの変態の右に出る変態はそうそういない。
キノコ的にクロードは最高の相棒と言えた。
「それもあるけれど。殿下が隣にいれば安心ってことだろう? 心を許せるパートナーができて、良かったね」
うなずきそうになって、ふと考える。
クロードがいれば安心で、心を許せる……これはつまり、いわゆる惚気というやつではないだろうか。
「え、あの。そういう意味ではなくて」
恥ずかしくなって慌てて否定しようとすると、ケヴィンが笑う。
「そういう意味だし、それでいいんだ。限界なら言うから、存分に惚気ていいよ」
「い、嫌です!」
クロードのことは好きだし信頼しているが、ここで惚気る必要などないだろう。
恥ずかしくて顔を赤らめるアニエスを見て、何故かケヴィンは御機嫌だ。
「なんなら、馴れ初めから……いや、へなちょこ毛根が出てくるからやめよう」
「それなら、お父様の馴れ初めの方が」
どうにか話を逸らしたくて必死で提案するが、ケーキを食べ終えたブノワは困ったように口元に手を置いて考えている。
「私は普通に親同士の決めた婚約だからな。馴れ初めとしては、特に面白い話もないよ」
「それなら、叔父さんと叔母さんは?」
ケヴィンの叔父と叔母というのは、つまりブノワの妹夫婦。
アニエスの実の両親だ。
そういえば、二人の馴れ初めは聞いたことがない。
興味が湧いてじっと見つめると、紅茶を一口飲んだブノワが小さく息をついた。
「エリーズとジョスが出会ったのは、祈りの泉だよ」
「祈りの泉?」
聞いたことのない名前だが、どこにあるのだろう。
「バルテ領にあって、小さいけれどとても綺麗だよ。二人で祈ると願いが叶うと言われている」
するとポンという破裂音が響き、ケヴィンの腕にキノコが生えた。
灰褐色の傘に黒褐色のイボがついているのは、ヘビキノコモドーキだろう。
「へー、ロマンチックだね。でもバルテ領か。へなちょこ毛根の領地かと思うと、何だか嫌だな」
ケヴィンは不満を流すかのように紅茶に口をつけ、キノコをむしってテーブルに置く。
「でも、いつか行ってみたいです」
オレイユ出身の平民と、伯爵令嬢が出会った場所。
アニエスが生まれるきっかけになった出会いの場所。
その泉に惹かれるのは、二人に会いたいという心のせいなのだろうか。
ブノワはアニエスを見て目を細めると、小さくうなずく。
「だが、まずは生誕祭だね。ドレスはどうしようか」
「それは、クロード様が王宮で作らせると」
コモドと呼ばれる王宮内の服飾部門は、本来王族専用だ。
既に何着も作ってもらっているとはいえ、やはり少し気が引ける。
「姉さんは大切にされているね」
「その。ありがたいと思っています」
「うん。私達は皆、アニエスの幸せを願っているよ」
二人が微笑んだ瞬間、ポンという破裂音と共にブノワの肩に黄褐色の傘のキノコが生える。
ヤマドリタケモドーキをむしったブノワは、ヘビキノコモドーキの隣に並べた。
「キノコもアニエスの幸せを願っているみたいだね。アニエスのこと、よろしく頼むよ」
いつになく真剣な眼差しのブノワに応えるように、褐色の繊維状鱗片に覆われて白い地肌が見えるキノコ……マツターケが更にポンポンと生えていく。
最近キノコの感度は上がっているし、周囲の人達がキノコと会話している気がする。
何とも言えない気持ちのアニエスを応援するかのように、マツターケはどんどん生えていった。
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【今日のキノコ】
ヘビキノコモドキ(蛇茸擬き)
灰褐色の傘に黒褐色のイボを持ち、ヒョウ柄のようにも見えるキノコ。
肉は白色で特徴的な味はないが、毒キノコなので口に入れてはいけない。
……キノコの勇者は、今日も食べてはいけないものに挑んでいるらしい。
どこかのおばさまが好むような柄だけあって、噂話が大好きなおばちゃん気質で、オトメノカサとは情報交換をする仲。
ロマン溢れる泉の話を聞いて「いいわねえ。そういうものは、若いうちに堪能しておいた方がいいわ」と後輩キノコ達に伝えている。
ヤマドリタケモドキ(山鳥茸擬き)
黄褐色の傘を持ち、湿気が多いとヌメルるキノコ。
ヤマドリタケ(ポルチーニ)によく似ており、同様に美味しい。
モドキという名前ではあるが、味と香りには自信がありパスタがおすすめ。
「アニエスの幸せを願う」というブノワの言葉を聞き、「キノコ達も皆アニエスが大好きだよ!」と訴えに来た。
マツタケ(松茸)
褐色の繊維状鱗片に覆われて白い肌が見える、言わずと知れた高級キノコ。
松が生えていると何となく根元を見てしまうのは、このキノコのせい。
食用キノコ界の重鎮の一人……一本。
『菌根菌倶楽部』の一員で、ホンシメジと仲がいい。
ブノワにアニエスを頼まれたのが嬉しくて、食用キノコ代表として全力で生えに来た。
今宵のルフォール邸はマツタケの香りに包まれる予定。








