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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

三流のシナリオ

作者: 葉月猫斗

青く瑞々しい芝生が敷き詰められ色とりどりの花がそこかしこで咲き誇っている。

貴族の子女が通う歴史ある学園が所有する庭にて、普段ならその色彩と姿で生徒や教職員を癒してくれる花々もこの時ばかりは慰めにならなかった。

本来なら休み時間の今頃は生徒達が束の間に勉強を忘れ自由な時間を過ごす憩いの場であるのだが、今は一部を除いて異様な空気に包まれていた。


「はい。皆さん沢山食べてくださいね」


その一部に入っている桃色の珍しい色の髪が特徴的な少女はバスケットの蓋を開けて手作りであろう焼き菓子を目の前の少年達に差し出す。


「あぁ。いつもありがとう」

「リリアの作る菓子はどれも美味いからな!」


それに気品のある少年と溌剌とした少年が答え、焼き菓子を手に取る。


「私はこれを頂きます」

「あ!それ僕が狙ってた奴!」

「ほらほら喧嘩しない」


中性的な雰囲気の少年が手を伸ばしていた焼き菓子を横から攫われ、噛みついているところを隣の少年に宥められている。


一見すればほのぼのとした雰囲気であるが彼らは気付いていないのかはたまたその上で無視しているのか。恐らくは前者であろう。周囲の人間は皆遠巻きにしながら冷めた目で彼らを見つめていた。

女子生徒はヘビのような目つきでヒソヒソと小声で囁き合い、男子生徒も顔を見合わせては重い溜め息を吐いている。


その光景を周囲にも気取られないような位置から観察している3つの人影があった。

背後に鍛え上げられた男達が数人恭しく控えている様子からして人影が位の高い人間である事が分かる。


「これが今の彼らの日常なのです」


若い少女とも言える声が硬い響きでもって2つの影に告げる。影のうち女性の方は「あぁ…」と嘆くように独り言ちた。

リリアと呼ばれた少女を囲む男子は皆各々それなりに付き合いの長い婚約者を持つ身だ。その婚約者達の中にリリアは含まれていない。

つまり賑わっている少年達は婚約者でもない少女と親密に会話をしているのだ。更にこの場にいない婚約者を気遣う素振りもなく、只管目の前の少女に気に入られようと自身の持ち得る魅力を振るっている。


これがどれだけ異常な事なのか。彼らの視界に掛からない場所で白けている生徒達はそれを分かっているからこそ決して好意的な目は向けないし近づこうともしないのだ。

気付かないのは彼らだけ。例え周囲に良い意味で見られていないと分かっても何故そのような目で見られるのかまでは導き出せないだろう。


「そうか…あの子は…。アダムはもう……」


壮年の男が苦渋に満ちた声を漏らし、沈痛な面持ちで視線を下げる。


「はい。そして彼らも…」


少女はそれ以上は沈黙で返した。


3人の間には重い空気が流れていた。女は右のてのひらで両目を覆い、男は眉根を寄せ地面を穴が開くほど見つめている。少女に出来るのは2人の苦悩に満ちた背を目にしてしまわぬようそっと顔を背ける事だけだった。


どれだけ経ったのかは分からない。その時間は長かったのかもしれないし意外と短かったかもしれない。

空気が次第に軽くなる気配を感じた少女が逸らしていた視線を元に戻すとシャンと背筋を伸ばし何時もの威厳に満ちた2人がいた。


「状況はよく分かった。感謝するぞミカエラ」

「今日授業が終わったら私達の所に来なさいな。サイモンとオリヴィアとも一緒にね」


ミカエラという傍らの少女に鷹揚と声を掛ける姿には先程までの苦悩は欠片も見当たらない。目の前の人物達の覚悟を目の当たりにしたミカエラは淑女の礼でもって謹んで承った。



────────────────────────────────

数日後、王宮内の小会議室にリリアと彼女と仲の良い少年達が集まっていた。

会議室には国王夫妻並びに少年達の父親も集まっており、何故此処に呼び出されたのか思い当たる節の無い彼らは頻りに疑問符を浮かべている。


「貴方がリリアさんね。いつも息子と仲良くしてもらっているみたいね」

「いいえ!私の方こそアダム様に仲良くして頂いてとても光栄です!」


口火を切ったのは王妃のガブリエラだ。口調こそはおっとりとしているがその実「婚約者を押しのけて何勝手に親密になっているの?」という盛大な棘が含まれている。

額面通りに受け取った彼女の返答は愚かの一言に尽きる。そして一国の王妃に対する態度でもない。

調べによればリリアは男爵と平民との間に生まれた庶子であり母親が死亡を期に男爵家に引き取られたようだ。

だが元は平民とは言え学園に通うまでに1年間の教育期間があった筈だ。養母である男爵の正室に問えば、身体を縮こませこちらが申し訳なくなる程に平身低頭謝られてしまったと使いの者が報告していた。

加えて養母は今回の件を差し引いても憔悴しきっており、調べさせてみれば今まで倒れずによく保っていたと同情を禁じ得ない状態であった。


「学園はどうだ?何やら不穏な噂が流れているようだが」

「そうです!聞いてください父上!」


望ましい答えを貰えず笑みを更に深める王妃に続き国王のフィリップは世間話の要領で本題に入るとアダム達は水を得た魚のように自分達の主張を始めた。

やれリリアが嫉妬に駆られた婚約者によっていじめられているのだの。やれリリアはそれでも気丈に振舞っているだの。挙句の果てにはリリアをいじめる彼女達は婚約者に相応しくないだの。


「ですから私はミカエラとの婚約は破棄してリリアと婚約したいと思っています」


最後にアダムが締めくくると「婚約」の2文字に少女は頬を紅潮させ両手を胸の前で組み全身で感激を表す。そのまま飛びつきそうな勢いだ。

威勢だけは良い主張が終わる頃には国王夫妻も少年の父親達も温度の無い目を向けているというのになお自信あふれる佇まいに逆に拍手を送りたくなる。


「お前達の言いたい事は分かった。だがそれは私達が聞いている物とは違うようだな」

「え?」


不穏な噂とやらの内容がリリアへのいじめだと信じて疑わなかった面々は目を見開き呆気にとられた。


「ですが実際にリリアは彼女達から心無い言葉を…」

「それは『複数の男と常に行動を共にするのは淑女としてどうか』とか『婚約者のいる男と親密にしていると誤解される』とかいった旨か?ミカエラ達からリリア嬢への言動は全て洗い出したがどれも正論だったぞ」


アダムの反論を途中で切り捨てたフィリップは「それよりも!」と声を凄ませる。


「学園内で実際に噂されているのはお前達が『貴族の責務を放棄してリリア嬢と行動を共にしている』という物だ。それは真か?」

「それは…」


先程までの勢いは何処へやら。途端に言葉を詰まらせ、上手くやっていた筈なのに何故といった顔が出ている少年達の様子に質問した本人から溜め息が漏れた。


フィリップは傍らに置かれた鈴を手に取り2、3回振って鳴らす。清涼な音が鳴り響くとほぼ同時に大量の書類を抱えた執務官が入室した。

書類を王と各当主の近くに置くと隙の無い動きで王の両脇に控える。フィリップは見届けると「これが何か分かるか?」と見苦しく言い訳を探している少年達に問うてみた。


「いいえ、見当もつきません…」

「だろうな」


最初からついていれば民を裏切るような行為はしないだろう。フィリップは父親としてではなく国を背負う王として覇気を纏い怒号を挙げた。


「これはお前達の行いで被害を被った各所からの抗議文だ!」




────────────────────────────────

ある日ミカエラは複数の同級生を自宅に招きお茶会を開いていた。お茶会と言ってもただの茶や菓子に舌鼓を打ち会話を楽しむ物ではないという事は出席者も気づいている。

集められた面々は全員リリアを囲んでいる少年達の婚約者、つまり学園内で起こっている騒ぎの関係者であるからだ。


「皆さんお忙しいところお集まりいただきありがとうございます」


主催者のミカエラが述べれば婚約者達も気にする事はないといった旨を返し何処か緊張感を孕む茶会が始まった。


「単刀直入に申します。今回集まっていただいたのはアダム様を筆頭とした男性陣の事です」


婚約者達は各々やはりか、といった顔をする。

リリアが入学してからというものの、どういうわけか彼らは軒並みあの女に骨抜きになってしまい自分達といるよりも彼女といる時間の方が増えてしまった。

学生とはいえ貴族社会に身を置く子女がいる学園内では不名誉な噂はあっという間に広がる。

婚約者がいるにも関わらず他の女に現を抜かす骨の無い男だとせせら笑われるまでにはそう時間はかからなかった。

何故か彼ら以外の男子はリリアに靡かず、むしろあからさまに媚びを売られて辟易したのも後ろ指に拍車を掛けている。


婚約者達の体裁を案じて彼女らは何度も彼らを諫めた。時には小言混じりではあるもののリリアにも忠告したのだが全く聞き入れてもらえず、それどころか婚約者から「冷たい女だ」と詰られてしまったのは記憶に新しい。

その度にフォローに入っていたのは彼女達の視線の先のミカエラだ。

ミカエラは第一王子のアダムと婚約関係にある。アダムが王となれば彼女達の婚約者は王を支える立場に就き、互いに協力し合って国を盛り立てていく事になる。いずれ妻になる自分達も親睦を深めて連携を強めていこうと以前からミカエラを主催に交流を行っていたのだ。


それがこのような形で役に立つとは思ってもみなかった。

恋情を向ける相手ではなかったものの多少なりとも信頼していた相手からの強い拒絶にショックを受けていた彼女達を、時に寄り添い時に励まして立ち直らせてくれたのは他でもないミカエラなのである。

予想していた方法とは違う方向で彼女達の信頼関係が築かれたのは幸か不幸か分からない。兎にも角にも今の彼女達はお互いがこの状況を乗り切る同士でもあった。


自分達を纏めたミカエラが居住まいを正して宣言するからには何かあるのだろう。彼女達も聴く姿勢を取るがその後続いたのは耳を疑いたくなるような言葉だった。


「先日復興支援のチャリティーコンサートがあったでしょう。アダム様はご公務として、私は婚約者として同行する形で招待されました」

「アスツール領の洪水よね。今は領民達が段々戻って来たとか」


エリザベスが詳細を述べるとミカエラは頷く。努力家の彼女は代々福祉の職務に就いているアーロンの家に嫁ぐ為、日々勉強していた。


アスツール領は長雨で川が増水し、あちこちで氾濫してしまい領民は親戚の家に身を置いたり一時的に住まいを移したりと大多数はバラバラに散ってしまった。

治水工事等の努力が実り、また人が住めるようになった事で散って行った領民達が徐々に戻って来たのだ。

復興が進んだ記念と更なる復興を祈った領主がコンサートを企画し、国王夫妻の名代として赴く事になったのがアダムとミカエラなのである。


「アスツール領へ訪問する前日にアダム様から急なスケジュールの変更があったと連絡がありコンサートには私1人で出席しました。領主のヘンデル卿は大変残念がっていらしたけど、急用なら仕方ないとね」


ミカエラはそこまで話して紅茶を一口飲み口内を潤わせると苦虫を噛み潰したような表情になる。


「コンサートから帰宅した後でスケジュールの変更の内容が気になって陛下と妃殿下にお尋ねしましたの。そうしたら変更など無いとお2人共大層驚いてらして」


宰相の息子のカインと婚約しているジュリアが驚愕に思わず立ち上がる。スケジュールに変更があったと嘘をつく意味のするところは。


「まさか!ご公務を投げ出してミカエラ様に押し付けたなんて事は…!」

「そのまさかです」


あって欲しくなかった事をあっさりと肯定されそれ以上の言葉を無くしてしまう。茫然とする彼女達を尻目にミカエラは更に続けた。


「慌ててその時のアダム様の所在を調べてもらいましたが呆れましたよ。なんとリリア様と街に出かけていたそうですよ。しかもゴライアス様、ヘロデ様、アーロン様、カイン様のお馴染みの4人も一緒に」


以下に挙げられた名はリリアに狂った男達の名であり彼女達の婚約者でもある。

混乱に陥る婚約者を他所にミカエラはあくまで「聞けばゴライアス様は直前まで私達の護衛隊の指揮に入る予定だったとか。道理で当日バタバタしている雰囲気だと思いましたよ」とのんびりと紅茶のお代わりを注いでいる。

ゴライアスの婚約者であるセシールはくらりと目眩がした。このまま気絶してしまいたい気分だがそうなるわけにはいかない。


「他の方の当日の予定についても調査して頂きました。その結果がこれです」


控えていたメイドが調査書を各人に配り彼女達は見たくない気持ちを必死に抑えて紙に目を通す。

経済面を支えている家のヘロデは複数の商家が絡む商談、アーロンは自領で運営している孤児院への慰問、カインは領地への視察。

皆各々の予定を急用でキャンセルしている。


つまり男達はあの日、貴族の責務を放り出してリリアと街で遊んでいたのだ。

貴族は権利と共に常に義務を背負っている。民からの税で生活が保障されている権利があるからこそ民を養う義務を負わねばならない。

貴族としての責務を放り出して私事を優先するのは言語道断。民への裏切りでありあってはならない事だ。

そのあってはならない事が現実に起きてしまった。街へ繰り出した目的は新しくオープンしたショップだそうだが、任務の方が重要度は比べるべくもない。


アーロンの家が経営する孤児院には洪水で親を亡くしたアスツール領の子がいた。

商談がキャンセルされた事でこの商談に存続を掛けていた数件の商家があわや路頭に迷いそうになったところで親戚からの救いの手があり、なんとか持ち直したそうだ。

カインが視察する予定だった場所は冷夏で作物の実りが思わしくなく、厳しい状況に立たされているという。

キャンセルの影響が深い部分にまで及んでおり、ショップは何も悪くないがそのような物の為に民を裏切ったのかと思うとやるせない気持ちがこみ上げる。


「何故このような事になったのかしら…」


ダイアナの呟きが虚しくこの場に落ちる。彼女は商談をすっぽかしたヘロデの婚約者だ。

皆心の中で同意した。リリアが来るまでの彼らに特に問題は無かった。貴族の責務を全うし、婚約者たる自分にも丁度良い距離間で接していた。

それが何故いきなりこうなってしまったのか。


「…私が思うに彼らには元々そういった素質があったのです。リリア嬢がその素質を引き出してしまったのでしょう」


あくまで推測でしかありませんが、と付け加えたがミカエラの言葉は不思議と彼女達の胸にストンと落ちた。

女に入れ込む余り国を傾かせた為政者の話はどの国の歴史にも残されている。


「ですがリリア嬢は数あるきっかけの1人に過ぎません。リリア嬢でなくてもあのようになった可能性は大いに考えられます」


「お茶が冷めてしまいましたね」とミカエラは苦笑すると、メイドを呼び紅茶を淹れ直させた。緊張と判明した出来事の衝撃に停止しかけていた思考が紅茶の芳しい香りでゆっくりと動き出す。

カップに口を付ければ随分と喉が渇いていたようで身体に染み入った。自分達はそれにも気付けない程余裕がなかったらしい。

ミカエラは静かに彼女達が落ち着くのを待っていた。その間誰も喋らなかったがお茶会が始まった直後のような居心地の悪さは今なら全く感じられなかった。


「…だからといって黙って見ているようでは貴族の名が廃ります」


衝撃が過ぎれば醜態を晒す婚約者への怒りが徐々にせり上がって来る。ジュリアを皮切りにそうだそうだと憤慨の声が挙がりだした。


「私も今回ばかりは許せないもの。恋は熱病とよく言うからリリア様に関しては仕方ないと少しは目をつぶってた。でもね、責務を放棄するのとは話が別でしょ!」

「全くですわ!女を追いかける事が未来の国王夫妻の護衛よりも優先すべき事とは。騎士の矜持をはき違えているのではなくて?」


ダイアナが興奮気味に叫べばセシールがお茶請けのクッキーを口に放り込み荒々しく咀嚼する。淑女として些かはしたないがこの場では許されよう。皆そうしたい気持ちはよく分かっていた。


「もうなけなしの愛想がゼロ通り越してマイナスよ。こっちに火の粉が降りかかる前になんとかしないと」


恋情が絡まない分彼女達が見限るのは早かった。家の利益の為の婚約は相手が馬鹿をやらかしたら此方に害が及ぶ前に手を切るのに限る。

エリザベスが策はあるのかとミカエラの方を見やればニコリと微笑んだ。


「責務を投げ出してでも一緒にいたいと思う方ですもの。そうしてあげた方が皆幸せになれるのではなくて?」


常に落ち着いていた彼女が見せる晴れやかな笑顔に婚約者達は一言一句聞き逃すまいと前のめりになった。




リリア゠トルベインと常に共に行動している生徒達がとうとう貴族の責務すら投げ出した。

そんな噂が流れたのは例の茶会から程なくしてである。

噂の出所は明らかにされていないながらもあり得なくも無い話は当事者を除いてあっと言う間に学園中に広まった。

生徒の中には当事者の親戚も在籍している。子から親へと、そして当主にもその噂は伝わったが、父親たる当主は謀略渦巻く社会を渡り歩いた経験から、何者かによる策略の可能性ありとして本人に問い質す事はせずに先ずは噂の大元を探る事にした。

彼らも前までは真面目に責務をこなしていたから、さもありなん。当主達が事態の深刻さに慌てふためくのはそれから暫く経っての事だ。


ちなみに不躾な一部の生徒は婚約者に噂の真偽を尋ねたが全員「自分はただの婚約者ですので」とニッコリと微笑んで連中を黙らせた。

問題の少年達が無様を晒している間も婚約者達は何もしていなかったわけではない。

茶会から急ぎ帰宅した彼女らは両親に調査書を渡し、婚約解消と並びに新たな婚約者探しを水面下で行っていたのである。

これにはミカエラの家と王妃が手助けしてくれた。

茶会や内々のパーティーと称したお見合いを頻繁に開催し、家柄も品行も問題なく尚且つ本人のお眼鏡に適う相手との話を手早く纏めあげたのだ。

婚約者がいるというのに新しい婚約者探しとなれば当然訳アリと称されるが、王妃が仲介に立つ事で訳についての追及を阻止すると共に、見合い相手からの信頼を得られたのも大きい。


事情を知らない者の目には婚約者に振り向かれない寂しさを遊びで埋めていると映っているだろう。

事実つけ入ろうとした不埒な輩もいたが、未来の婚約者がさり気なく助けてくれたそうだ。



「皆さんいかがですか?その後は」


全ての話が纏まってから少し経ってミカエラはまた彼女達だけを集めて茶会を開いた。今回の茶会は未来の婚約者との仲を聞く為か雰囲気は和やかだ。


「はい。アルバート様とは話が合って会うのが楽しいんですの」


まだあまり会えないのが残念ですわ、とセシールが少し恥ずかし気に俯けば、エリザベスも「私もサミュエル様と会える日が待ち遠しいわ」と嬉しそうにしている。


「クリストファー様とはよく手紙のやり取りをしているの。最近飼っている猫が子どもを産んだみたい」

「エドワード様は志がとても高くて私も頑張らねばと思うのです」


皆良好のようで表情は以前と違い明るい。ミカエラはホッと安堵の溜め息を吐いた。

華やかさでいえばこの先「元」が付く婚約者に分が上がるが、国や民に真摯に向き合う姿勢と誠実さは彼らの方が勝っていた。

性格に違いはあれど根が真面目な彼女達とは相性が良かったのだろう。あの少年達とは違う距離感に多少戸惑う素振りはあれど嫌ではないようだ。


「でも責任放棄の噂を広めるだけで良いんですの?もっとお手伝い出来ますのに」


セシールが俯いた顔を心配そうな物に変えてミカエラに問えば他の者ももっと頼っても良いと言いたげな目を向けて来た。

彼女らにしてみれば恩義ある相手への見返りが噂の流布だけでは納得がいかないのだろう。貴族社会では珍しい義理堅さもミカエラには好ましかった。


「それで良かったんですよ。貴方達がお見合いをしている最中にも彼らは益々調子に乗ってくれましてね」


「これが新たにやらかしたリストです」と配られた書類に目を通せば、まぁよくこれだけをやれたなとさしもの彼女達もいっそ感心した。

リリアと揉めた生徒を一方的に責め立てるのは日常茶飯事。明らかに高価なプレゼントを競うように贈っているので恐らく家の金を使っているのかもしれない。

家の仕事もリリアとの約束があればそちらを優先するようで周囲が尻拭いに苦労しているそうだ。


「貴方達がお見合いで目を外したのをこれ幸いにと好き勝手して評判は落ちるところまで落ちています」


勉学と見合いで忙しく碌にサロンにも顔を出せていなかったが、彼らの行いによるとばっちりは生徒にも及んでいた。

何においてもリリアを優先しようとする彼らは他の生徒達の反感を買い、学園内の雰囲気は最悪らしい。流石に学園側が介入し彼らに謹慎などの処分を下す会議を開いたそうだが、果たして効果があるのかは甚だ疑問である。

婚約者という監視の目がいなくなった途端にこれだ。ある意味非常に分かりやすい。


「今頃は当主の耳にも入っているでしょう」


ミカエラは不敵に口の端を吊り上げて悪い顔をすると後の算段を立てた。




当主は驚きのあまり目を剥き暫し愕然としていた。

学園から息子を謹慎処分に下す通知が来たと思ったら。代官や繋がりのある家からの急用によるキャンセルや予定変更が多すぎると言った旨の抗議文。終いには王家から息子の所業について登城せよとのお達しだ。

今日入っている仕事が全て調整可能な物だった事が幸いし、執事や秘書に後を頼み慌ただしく屋敷を出ると大至急馬車を走らせたのだった。


通された部屋は謁見の間ではなく少人数での打ち合わせ等に使われる会議室だった。

既に席に着いているのはどれも見覚えのある者達。詳細を述べればいずれ王となる殿下を支える立場にある側近候補は彼らの息子だ。その為何度か顔を合わせている。

知人と言って過言ではない当主達が皆己のように顔を真っ青にさせて王が来るのを待っている。まるで断罪されるのを待つ罪人のようである。

家が一番王宮から離れた場所に建つ自分が最後だったようで程なくして国王並びに王妃が部屋に入って来た。立ち上がり礼をする自分達に王は慣れた手つきで着席するよう指示をする。

 

「皆にも伝わっているだろう。今回集まってもらったのは他でもない。お主達の息子に関してだ」


その時の王の様子に彼は違和感を覚えた。常に威厳に満ちているというのに今は何処となく覇気が足りない気がしたのだ。


「とある男爵家の令嬢が学園に入学してからの彼らの動きだ。先ずはこれに目を通してもらいたい」


配られた資料を見ると始めは平民出身の令嬢と親し気に接している息子の様子が書かれていた。

それは別に良いのだ。まだ若いから恋をしてもおかしくはないし恋をしてはいけないとも言うつもりはない。

しかしその後がいけなかった。何をトチ狂ったのか知らないが、短くない付き合いの婚約者を遠ざけたのだ。

貴族である以上恋と結婚は別物として扱わなければならない。互いにとって利益を望める家同士で婚姻を結ぶ事で地盤を固め繁栄の礎にする。貴族の結婚とはそういう物だ。

だからといって婚約者との関係は希薄であっても良いわけではない。人同士でも信頼が無ければ海千山千が集う貴族社会で支え合い乗り越える気持ちも生まれず、一時的に関係を結べたとしても直ぐに瓦解してしまう。

息子は相手の信頼を失う事をしてしまったのだ。彼女も貴族の娘だ。未来の妻を尊重する姿勢を貫いていればその令嬢を愛人として迎える事も認められただろうに。


更に追い打ちをかけるように息子は男爵令嬢とのデートを優先して自分に割り当てられていた仕事を放棄していた。それも1回や2回ではない。

親戚から責務への態度が非常に悪くなっている噂を聞いていたがまさか本当の事だとは。今すぐ嘘だと叫んで逃げたい気分だ。

そして彼女を優先する息子達と他の生徒との軋轢。一連の出来事は例の娘が入学してから起きた事だ。それまでは特に問題も無かったようなのに何故という言葉が過る。

上記の事を行っていた者の中に殿下もいらっしゃったのも衝撃の一因だ。

何度かお会いした経験があるが、卒の無い振舞いと学業でも優秀な成績を残しており次代の王として広く認められていたというのに。婚約者であるファルジア家の令嬢とも仲は悪くなかった筈だ。


何なのだろうかこの男爵令嬢は。まるで人を堕落させる悪魔のようだ。チラリと他の当主達の顔を盗み見れば血の気が引きながらも脂汗が滲んでいた。


「ファルジア家から正式に婚約を解消したいと打診を受けた。王家はこれを受け入れるつもりだ。ミカエラ嬢にも随分と迷惑をかけてしまったしな」


「お主達の所にも相手の家から婚約解消の件について連絡が来るだろう」との通達に皆了承の礼をした。王家が解消を受け入れるのだ。否やは言えなかった。

息子の婚約者達は以前からファルジア家の令嬢と交流があった。きっと彼女の主導により婚約の解消に向けて動きだしたのだろう。


「そしてもう1つお主達に頼みたいのは家督を継ぐ人間の変更だ」


王から続けられた話は恐れていたが決して避けられない物だった。

噂を耳にした時点で対処出来ていれば傷は浅かっただろう。しかし各方々に損害を与えた今や息子や我が家の信頼は地に落ちている。

この上で家督の譲り先を変えなければ今度こそこれまで築き上げてきた人脈は切れてしまう。


「無論王家も王太子候補を第一王子のアダムから第二王子のジョシュアにする。だがこれは単なる処罰と信頼回復だけではない」


控えていた執務管が今度は別の書類を目の前に置く。


「トルベイン家を調べたのだがここ最近は不審な動きをしている」


見れば確かに怪しい動向は書かれていた。トルベイン家は由緒ある家柄だが他は特に可もなく不可もない普通の男爵家であったと記憶している。

しかし急に羽振りが良くなり商人の出入りが多くなっていた。息子達の令嬢へのプレゼント合戦が始まった時期と一致しているので貰った品々を換金しているのだろう。

貴族の中でも家柄が低い男爵家が位の高い家から、ましてや一国の王子から賜った品を換金した時点で畏れ知らずの行為ではあるが。


またトルベイン家の当主と親戚はリリア嬢は王子からの寵愛を頂いていて、側室となった暁にはより位の高い爵位の授与や昇進を約束されていると周囲に吹聴しているようだ。

学園ではリリア嬢への溺愛っぷりは既に知られているが為に一笑に付される事はなく、彼の家に取り入ろうとしたり中にはリリア嬢を養子にと話を持ち掛ける家もいるそうだ。


当主達は危機感を抱いた。

王家からの寵愛を受けた者が行う事は大抵碌なことが無い。権勢のままに人事を操り、金銭を手に入れ、政治に要らない口を出す。

宮中を混乱させ民衆の怒りを買った悪名高い人物はどの国でも過去に存在している。時代が落ち込んでいる最中に王朝に決定的な終止符を打ってしまった悪人や悪女の名は今でも国の内外問わず語られているのだ。

王子と取り巻きを手練手管で陥落させた状況を鑑みればリリア嬢は間違い無く黒だ。そして彼女の生家のトルベイン家も。


「これ以上愚息が暴走し奴等が動き出す前に手を打つ。私達は第一王子アダムの王籍を抹消する事にした。お主達にも同じ事をしてもらいたい」


驚くべき決断を宣言すると共に王と王妃は立ち上がると。


「皆には苦しい決断をさせてしまって済まない。だが私達に協力して欲しい」


2人共頭を下げたのだ。家臣である自分達に。

慌てて頭を上げるよう懇願しこの度の処罰も苦しみも甘んじて受けると皆口々に叫んだ。

王とて人の子だ。親子の距離が近い平民とは形は違うかもしれないが、目の前のお方が王子を可愛がり慈しんでいたのは承知している。

それでも国を背負う者として、子よりも国を取ったお2人の決意を無下にしてはならない。

そもそもこれは女に惑わされた息子と息子の様子に気づけなかった自分達が負うべき咎なのだ。

彼らもまた国の責任を預かる者として切り捨てる覚悟を決めた。




────────────────────────────────────

「己の責務を放棄し、税を私欲のままに使い込み、民を裏切る者など王族でも何でもないわ!お前を王籍から抹消して新たに子爵位を与える!これは決定事項だ!」


ビリビリと突き刺すような怒りにアダムは固まった。子どもの頃は悪戯をして父に叱られる事もあったがそれでも基本温和な父が見せるこんなむき出しの怒りは知らなかった。

母に視線を移すと母は突き刺すような目を向けている。こんな母の顔も知らなかった。

勉強が嫌で逃げ出してもちょっとした言いつけを破ってもしょうのない子と眉を下げて懇々と言い含めるだけで決してそんな目で見なかったのに。


「お前にはシャンティリュー地方を任せる。これからは『レンドール卿』と名乗り一貴族として仕えよ」


シャンティリュー地方は地方とは名ばかりの山岳地帯だ。

かつては質の良い鉱石が算出される土地であったが今ではもう鉱石は取りつくされゴツゴツとした草木の生えない岩肌が覆うばかりである。

突出した産業も無く作物が育ちにくいため、住民も十数人単位の村が片手で数えられる程しかなく其処を与えられたという事は実質的な政からの追放を意味する。


「父上!お待ちください!」

「待たぬ。決定事項だと言った筈だぞ」


駆け寄ろうとするアダムにフィリップは視線で兵を呼び押さえつける。


「離して上げて下さい!貴女の息子ではありませんか!」


リリアが胸の前で手を組み芝居がかったわざとらしい仕草で男性である王に訴えた。まるで自分がこの場の主役であるかのように。

愛らしい形の目に零れ落ちそうに涙を潤ませる姿は憐憫を誘わせる。息子達もこれにやられたのだろう。

しかしフィリップが抱いた心情はそれ以上でもそれ以下でもなかった。


フィリップはリリアを一瞥するだけで隣のガブリエラと視線を合わせる。流石夫婦と言ったところかそれとも分かりやすすぎるからか、妻も考える事は一緒だったようだ。

どちらからともなく頷き合うと左右で沸々と怒りを沸かせている当主達に発言の許可を出す。

そう。アダム達は王から発言の許しすら得ていないにも関わらず好き勝手に喚いていたのだ。いっそここまでくるとかえって清々しい気分になる。


「さて、お前達も他人事ではないぞ」


当主の1人が目礼で感謝を示し、アダムが取り押さえられる場面を茫然と見つめるだけの少年達に言う。鍛え上げられた体躯を持つ彼はゴライアスの父親だった。

父親の自分を見る目は塵芥にも等しく本能的にこの後の言葉を聞いてはいけないと背を震わせた。父親の威圧感に圧された他の少年達も同様だった。


「我々はこの場に集まっている子息達、つまりお前達の事だな」

「ゴライアス殿、ヘロデ殿、カイン殿、そしてアーロン、以下4名の一切の相続を廃除すると決めた」


ゴライアスの父親からアーロンの父親へと続いた言葉は社会的な抹殺にも等しかった。

相続廃除とは相続人に著しい非行があった場合等に相続の資格を完全に廃除する制度である。

つまり相続廃除されれば長男の自分達が継ぐ筈だった家督を始めとし、土地も財産も一切合切びた一文も相続出来ないという事だ。

これには少年達は大層慌てた。身一つの貴族など文字通り名ばかりの貴族になってしまう。

生まれながら土地の管理や資金運用等の貴族としての働き方しか知らない彼らには平民のように身体を使って汗水垂らして働くのは非常に困難であった。


「安心して良い。お前達がいなくとも弟らがしっかりと家督を継ぐだろうからな」


目の前にいるのは確かに自分の父親の筈なのにハッハッハと笑い合う様は別の人間のようでうすら寒さを感じる。


「父上!男子は私しかいないのですよ!」


カインがハッとした顔で父親に縋るように声を挙げる。宰相の家はカイン以外は姉と妹しかおらず、兄弟が家督を継ぐ方法は取れない。カインもそこを期待しての言葉だったが。


「養子を取れば良かろう」

「既にヒューゴとエリックには話してある」とあっさりと叔父と従兄弟の名を言われカインは力無く膝を着いた。


目まぐるしく変わる状況にリリアはキョトンと「え?え?」と困惑する。既に涙は止まっていて先程の姿の白々しさが更に増した。

衝撃で立ち竦む少年達とそれを冷めた目で見つめる大人達。漸く事の次第を飲み込んだリリアが焦りを見せ始めた。

彼女の狙いは王子の心を射止めて王妃となり、尚且つ見目も地位も好条件の彼らを侍らせて毎日楽しく暮らす事だからだ。

その為に婚約者達を蹴落とし、彼らが求めた台詞を言い、周囲に自分はお気に入りなのだとアピール出来るようになるまでになったというのに肝心のところでどうしてこうなってしまったのか。


子爵に落ち、利益を生まない土地を与えられたアダムに嫁いでも玉の輿は望めない。粉を掛けていた者も財産を相続出来ない。

思い描いていた物とは異なる事態にリリアは掌を返すように少年達を見限った。瞳から媚の色が失われていく。

しかし為政者がこの事態を招いた原因であるリリアを見逃す筈がなかった。

王は歪に口角を歪め、少年には救いを与えるように、少女には絶望に叩き落とすように朗々と述べる。


「だが我々にも多少の情はある。責務を投げ出してでも共にいたいと思える相手なのだ。一緒にさせてやりたいのが親心と言う物だろう」


執務管が素早く1枚の紙とペンを差し出すとフィリップは流れるような動きで何かを書きつける。直ぐに書き終えると少年達に見えるようにその紙を掲げた


「手向けにリリア゠トルベインとの結婚を取り計らってやろう」

「良かったわねアベル。王子と男爵令嬢ではどうしても側室止まりだけれど、貴方が子爵になった事でリリアさんを正妻に迎えられるわよ」


それは強制力の伴う結婚許可状であった。「許可」と銘打ってはいるが実際は王家が発令する拒否権の無い代物だ。


「勿論お前達も特別にリリア嬢の正式な夫となれるよう特例を作っておいたぞ。リリア嬢はお前たちにも愛を振りまいているからな」


ある当主の思いがけない言葉に少年達はギョッとした顔でリリアの方を振り向く。当のリリアはマズいといった顔を思い切り出しており後ろ暗い部分がある事が丸わかりだった。


「聞けばリリアさんはアダムの他にもそちらの殿方達と2人だけの逢瀬を重ねている様子。恋多き女は忙しいわね」


今度は王妃の嫌味を理解したらしくリリアが眉根を寄せて睨みつける。しかし口を開ける前にその肩を掴む者がいた。


「どういう事だ!『アダム様との結婚は避けられないけれど本当に愛しているのは貴方だけ』と言ってくれたじゃないか!」


ゴライアスが掴んだ肩をそのままに荒々しく揺ぶる。


「何故ゴライアスがその台詞を!?まさか私だけではなくゴライアスにも…!」

「オレにも言っていたんだが!まさか嘘だったのかい!」


続いてカイン、ヘロデが詰め寄り4人全員が不穏な空気を漂わせてリリアを取り囲んだ。

リリアはアダムだけではなく4人の少年とも恋人になっていた。王子に見初められたのなら仕方がない。でも本当に愛しているのは貴方だけ。そういった使い古された言葉を全員に囁いて。

アダムと少年達は怯える可憐な少女に初めて怒りを覚えた。

アダムは自分を本当に愛していなかった事に。少年達は真実の愛を誓った者が他にもいた事に。


「皆さん仲が良くて結構ね。これなら結婚生活も問題なさそうね」


場違いな程に朗らかに微笑む王妃にハッと理性を取り戻す。


「我が国初の一妻多夫の夫婦の誕生ですな」

「家督も相続する遺産もないお前達の嫁になってくれるご令嬢などリリア嬢くらいしかいらっしゃらないからなぁ。愚息を貰って下さり助かりましたよ」


ここで言い争っている場合ではない。この場にいる大人達は何が何でも不名誉な夫婦を誕生させる気だ。

1人の女を5人で共有する歪で奇妙で傍目から見たら醜悪な夫婦を。


「お許し下さい!浅ましいと嘲笑されるようにはなりたくありません!」

「そう言うでない。数は少ないが一妻多夫が認められている国もあるのだぞ」


必死の願いも空しく素っ気なく却下されると仕方のない奴だとでもいうように説き伏せられる。


「案外上手くいくかもしれないわよ。なんたってリリアさんはこんなに甘え上手だもの」


学園内で既に醜態を晒しているとは敢えて言わない。

ガブリエラはころころと心にもない事を言いながら青ざめているリリアに微笑む。笑顔を向けられたリリアは無意識に後退った。


「おぉ!リリア嬢も歓喜の余り理解が追い付いていないご様子ですな!」

「しかし残念な事に。リリア嬢と愚息達の間から子が生まれたとしても子にも子孫にも相続権は発生しないのですよ。父親が分からなくなる故に致し方なく」


何をしても結婚を祝われる方向に持っていかれて益々焦りをつのらせる。

しかし既にもう遅かった。この部屋に呼ばれた時点で全ては終わっていたのだ。


「喜ばしい日は早く迎えるに限る。早速式を挙げようではないか!」


王が声高らかに促すとそれが合図だったのか、どやどやと物々しい装備をした騎士が部屋に押し寄せる。

既に取り押さえられているアダムは元より慣れた手つきで彼らを拘束し、忙しく動く口を猿轡で黙らせる。

女の身のリリアは言うまでもなく、貴族の子息として鍛錬をしている彼らも実用的な訓練を日々行っている騎士に数人がかりで押さえられては抗う事も出来ず、荒々しく馬車に乗せられてしまった。

馬車が何処かへ到着した後はよく覚えていない。無理矢理何かを飲まされたと思ったら気が付くと婚姻の神を模した像の前にいて傍には神官がいた。


「皆様、ここに一組の夫婦が誕生いたしました。結婚の絆によって結ばれたこの者達に神の祝福があらん事を祈りましょう」


神官が唱えたのは結婚式で夫婦が愛を誓った後に続ける台詞だ。慌てて周りを見渡せば此処は何処かしらの教会の中で神の像の前にはリリアと仲間達、そして自分達を取り囲むように王や仲間達の父親、騎士が並んでいた。


「皆の者、この5人の若者達に盛大な拍手を!『愛』という最も価値の高い絆で結ばれた尊さを讃えよう!」


わあっと湧き起こる拍手が鼓膜を叩きつける。祝福する者に民はおらず貼り付けたような笑みの王と王妃、薄ら笑いを浮かべている少年達の父親、そして無感情に拍手する騎士のみの異様な光景が広がっていた。


「喜ばしい事ですね。おめでとうございますトルベイン卿」


教会の入口近く、騎士に隠れて見えない場所でミカエラはゆったりと主役達に拍手を贈る。傍らには贅を凝らした服に身を包んだ壮年の男性、ミカエラが話を向けたトルベイン男爵もいた。

屈強な男に挟まれた男爵はやつれ切った顔を晒し、淀んだ目で茫然と立ち竦む娘を見つめている。

昨日まではこの世の全ては己の物と言わんばかりに驕っていたのが嘘のようだ。


「まぁどうされたのですかトルベイン卿?この世の終わりのようなお顔をしてらっしゃいますよ。貴方様もリリア様の門出を祝ってあげてくださいな」


男爵の両脇を固めたファルジア家個雇いの騎士がガシャリとワザと鎧同士が擦れる音を出す。

ビクリと面白いように戦慄いた男爵は汗の滲んだ両手をけたたましく打ち合わせた。




その後のトルベイン家はと言うと、王妃の輩出が目前とあって有頂天になっていたのか、より大きな富と権力を得ようとすり寄って来た家の援助を受けて様々な事業に手を伸ばしていたらしい。

しかしリリアが今や飼い殺し状態となった王子と4人の子息に嫁いだ途端に援助は打ち切られ、あんなにすり寄ってきていた家々も蜘蛛の子を散らすように男爵の元から引いて行った。

慣れない事業展開でこさえた借金を返しきれずにあっさりと没落していったそうだ。借金に苦しまずに済んだのは男爵と離婚した夫人だけであろう。


トルベイン夫人、離婚したので元トルベイン夫人だが実家に戻った後は静かな田舎町に移り住み療養をしている。心身が癒えれば修道院へ入る予定だ。

彼女は例の件に関わっておらずむしろ諫めた側だ。それでも増長する夫や親戚を止められなかった罪悪感から貴族社会からの離脱を決めたそうだ。


「それでその後の調子はどうなの?」

「婚約者が代わった事で少々騒がれましたが今は落ち着いてきています」


ミカエラは王妃に招かれてお茶会に参加していた。この場にはガブリエラとミカエラ、そして数人のメイドしかおらず前代未聞の結婚式以降の動向を互いに話し合っていた。

ミカエラはアダムの婚約者からジョシュアの婚約者となった。

婚約者が代わったところでやる事は変わらない。王の妻となる事は始めから決まっていたのだ。王の継承権がアダムからジョシュアに移っただけで。


「そういえば疑問に思っていたのだけれど貴女なら分かるかしら?」

「何でしょう?」


ガブリエラは結婚式が終わり王家が用意した屋敷に護送される際にリリアが言い放った言葉を思い出す。


「『シナリオになかった』とはどういう意味かしら?若い人の間で流行っているの?」

「いえ…私には分かりかねます。推測なら立てられるのですが」

「それでも良いわ。話して頂戴」


生粋の貴族であるミカエラには平民出身のリリアが何を考えているのか分からなかった。

平民の社会については詳しくは知らない。時々お忍びで街に繰り出すくらいだ。だからそこで知った情報を統合して整理し導き出された憶測を述べる。


「庶民が親しむ物語の中には領主の息子や王子に見初められて幸せな結婚をする平民の女性の話が沢山あるそうです。リリア様はその中のどれかを参考にしたのかと」

「成程。だけど殿方を婚約者から次々と略奪し、王妃にのし上がってお気に入りの男性に囲まれるなんて。随分と拙悪なお話もあったものね」


ガブリエラの所感に「はい」と同意する。


「物語の世界と言えど現実的に叶えられないのなら単なる妄想でしかありません。その物語もそれを実現しようとしてあのような結末を迎えたのも」


ミカエラは僻地に押し込められ、地位も財産も愛も無くした男達と暮らすリリアを思う。


「喜劇にもならない三流のシナリオですね」

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