第五話 ラゴク
部屋の中央に白い布を被せた円卓が置かれており、その中央に木製の台座に乗せられた水晶球がある。その向こうに、大きな座椅子に腰かけた緑色の大蛇の下半身を持った女が居た。
襟や袖が花のようにふわりと広がった極彩色の貫頭衣に身を包み、首や手首、腰にいくつもの宝石を黄金の台座と鎖にあしらった装飾品を身に着けている。波打つ黄金の髪も琥珀色の瞳も、その美貌も何もかもが豪奢かつ美麗の極みだ。
アカシャ同様、人外であろうから実際の年齢は不明だが、不敵に笑う美貌からすれば三十をいくばくか過ぎた頃だろうか。
この天幕の主、占い師タランダである。
「見飽きた顔が一人、可愛らしい顔が一人、面白い顔が一つ」
笑いを含んだ声にクガイが答えた。
「見飽きたとはひどい言い草だな。頼みがあってきた。話を聞いちゃあくれないか?」
頭を下げて告げるクガイを見、次いで入り口で足を止めているクムとハクラを見てから、ゆったりと頷く。
「話を聞くだけなら構わないよ。見料も取らない。三人ともそちらにお座り」
タランダの円卓を挟んだ向かい側には占い客用の背もたれ付きの椅子が一脚置かれている。入った時には一つだった木製の椅子がいつの間にか三つに増えており、クムは少なからず驚いたが、ここが楽都であればそういうこともあると自分を納得させた。
平凡な住人が世俗に秘された武術の継承者であるとか、実は人妖婚の子孫であり妖怪へ変身するだとか、仙術や魔術の秘奥を極めた術者だったというのが十分にあり得る土地柄なのだ。
クムを中心に右にハクラ、左にクガイが座ると、円卓の上にまたいつの間にか湯気を噴く茶碗が置かれていた。これもタランダの妖術なりなんなりだろう。
「ふむふむ、ふむ。奇縁とはまさにこれかね。それでこの占い師タランダになんの御用かな? クガイの顔つきからして、占いじゃないのは分かっているけれどね。まずは自己紹介から始めてくれるとありがたい」
「私は南区で屋台を出している、クムです。は、初めまして」
「ハクラという。私はこのクムの押し掛け用心棒をしている。私もクムもつい先程、このクガイに会ったばかりだ」
「だろうねえ、二人ともクガイとの縁が結ばれたばかりだから。ふぅん、クガイとハクラ、二人とも荒事の気配が残っているね」
タランダがチロリと舌を出してから言った。鮮やかな紅を引いた唇から出てきたのが、蛇と同じ舌だったものだから、思わずクムはぎょっとした。タランダが蛇の舌を使って、クガイとハクラがわずかに纏う血の臭いを感じ取ったとは、気付いていない。
「そっちの方であんたを頼りに来たんだ。クムはどうも厄介な連中から狙われているようでな。一戦交えてきたばかりだ。それで取り急ぎクムを匿う為に、適当な場所を教えてもらいたい。そしてもう一つ、どうしてクムが狙われているのか、なにか情報が欲しい」
「私が狙われている理由ですか?」
「ああ。襲ってくる連中を叩きのめすだけだと、終わりが見えてくるまでどれだけ時間がかかるか分からん。
なら、襲われる理由の根幹を知らなけりゃ、本当の意味で今回の一件を解決できないだろう? クムもどうして自分が狙われているのか、知らない様子だと思ったんだが、どうだ?」
「えっと、実は私もよく分かっていなくて。さっきのクゼという人の言い分だと、私の父親が原因らしいんですけど、父親の事なんて何も知らないから……」
「そういうわけで、身の安全の確保と事態解決の為の第一歩を求めて、この楽都で三本の指に入るって評判の占い師タランダを頼ったのさ」
「私を頼ったのは良い判断だけどね、一つ訂正が必要だよ。三本の指じゃなくって、私がナンバーワンさ」
「ナンバーワン?」
タランダの口にした言葉の意味が分からず、クガイばかりかクムもハクラも不思議そうな顔をするのに、タランダは田舎者め、と呆れた顔になる。
「外来語だよ。一番って意味さ。ま、クガイが厄介という連中に追い回されるなんて、抗争と謀略と悪巧み塗れのこの楽都でもちょいと珍しそうだね。隠れ家の前に、お嬢ちゃんの事情について聞かせてもらおうかえ」
「おう。クム、タランダは占い師が本業だが副業で情報屋もしている。お前さんを追いかけていた連中の正体や、お前さんの父親についてもなにか分かるかもしれん。とりあえず関わりのありそうなことは全部言ってみな」
クガイに促されて、クムは大きく深呼吸をして覚悟を固めたようだった。ハクラは口を閉ざしたままクムを見守っている。
「おかしいな、と思い始めたのは五日前くらいからでした。屋台を出している間や家に帰ってからも、見覚えのない人達を見かけるようになってきて、知り合いの人達も気を付けた方がいいって、心配してくれるようになったんです」
「では私がクムの屋台に通い出したのと、そう変わらない時期からか」
「はい。ハクラさんが護衛を申し出てくれた時には、あまりに私に都合の良いからちょっと信じられない気持ちがありました。結果的にはハクラさんに護衛をお願いして大正解でしたね。
それで本格的に危ない事になったのは、今朝からです。ハクラさんが護衛を申し出てくれてからは、近くの空き家で万が一に備えてくれていたんですけど、今朝になって……」
「うむ。これまで遠巻きにしていた気配の内、いくつかが痺れを切らした様子でクムの家を包囲してきたのでな。急ぎ家を出るように促したのだ。幸い、いつでも家を出られるように備えていたから、即座に行動に移れたのが功を奏した。
途中で追いつかれたので、私が囮を買って出た。追ってきたのは六人いてな。全員、奇妙な武器を操っていた。
宙を舞ってひとりでに襲い掛かってくる曲刀、まるで生きているかのような張りぼての獣達、炎を纏う槍などを使っていたぞ。命までは取らなかったが、足腰が立たなくなるまで叩きのめした」
「ふうん、そっちはそういう相手か。俺が相手をしたのは鋼鉄よりも固い舌を鞭みたいに伸ばして自在に操るウロトって痩せ男と、体を金属に変えたゲンテツ。それに髪を後ろに流したクゼって伊達男だ。特にクゼって奴は相当な手練れだったぜ」
三人がここに至るまでの道程の事情を伝え終えると、タランダはますます面白そうな顔になる。楽都随一の占い師兼情報屋のお眼鏡に叶ったらしい。
「おやおや、あんた達、厄介な相手に目を着けられたねえ。クゼってのは無尽会の幹部だよ。まだ若いけどメキメキ頭角を現して、会長からの覚えもめでたいやり手さ」
「その無尽会ってのは?」
質問したのはクガイだが、クムもハクラも無尽会なる組織について知識はなく、そろってタランダに答えを求める視線を向ける。ぴったりと息の合った三人の仕草に、タランダは吹き出しそうになるのを堪えながら答えた。
「この楽都で後ろ暗い手口で金を貪っているろくでなし共の一つさ。ろくでなし共の中でも、かなりの武闘派で出自は問わずの実力主義。
市街との禁輸品のやり取りから立ち入り禁止区域の盗掘、違法薬物の密売に新種の麻薬開発と手広くやっていて、市長もかなり警戒している奴らだ」
大浸食以降、他所の土地ではありえない犯罪や魑魅魍魎の跋扈する楽都だが、そんな中でも武闘派と呼ばれる連中に目をつけられたと知り、クムの顔色は真っ青になっている。
ハクラが気遣わし気にクムの横顔を見ているが、タランダはそれに構わず自分の湯呑に口をつける。
「ふう、アカシャの淹れたお茶は絶品だね。さて、そんな連中の幹部が直々に足を運ぶってことはだよ。お嬢ちゃんのお父さんはよっぽどの大物だったか、それとも無尽会にとって大敵だったかだろうねえ」
母を亡くしてから一人で残された屋台を切り盛りしてきたクムからすれば、想像もしたことのないホラ話を聞かされている気分だった。
母も自分もどこにでもいるような屋台の料理人だ。いつかは自分の店を持つのだと夢を抱き、毎日毎日料理を作っては屋台で売って、それの繰り返しばかりだったのに、顔も声も知らない父親のせいで、裏社会の連中に狙われる羽目になるなんてあまりに理不尽だ。
「私の父親のせいであんな人達に追われているっていうんですか? 私は! 一度だって父の顔を見たことはありません!
母が倒れた時も、死んだ時も、父親らしい人が顔を見せた事なんてなかった。本当に苦しくって困っている時に、助けてもくれなかった父親なんかの為に、どうして! ……ごめんなさい、大きな声を出してしまって」
これまでずっと蓄積していた父親への鬱憤を、クゼ達の襲撃という理不尽な事態が引き金がとなって爆発させ、声を荒げたクムをクガイとハクラは責めずに労わる目を向けている。
「なに、外に声は漏れない特別仕様さ。あれくらいの大声はどうってことはないよ」
「……すみません」
顔を俯かせて肩を落とすクムの頭を、クガイがポンポンと撫でた。優しいその仕草に、クムが思わず顔を上げれば、根無し草の風来坊は照れ臭さそうに笑う。慣れない事をしたと思っているのだろう。
「世の中、理不尽なことはいくらでもある。今回はたまたまそいつがまとめて押し寄せてきちまったんだな。だが、俺とハクラが用心棒をしているうちは安心しな。あの連中が束になってきても、全員叩きのめしてやるよ。なあ?」
「うむ。なかなかの手練れではあったが、そういった組織であるのならば敵も多い筈だ。クムにばかりかまけてもいられまい。たとえ根競べになったとしても、私は一度交わした約定は果たす主義だ。あちらが根を上げるまで、クムには指一本触れさせん」
「ふふ、お嬢ちゃんにとっちゃこの二人に会えたのが不幸中の幸いってもんさ。さてと、事態解決の為の情報だけど、この楽都じゃ毎日事件が起きていてね。小は失せもの、大は世界滅亡と規模も件数も様々さ。
無尽会が動き出している案件に絞っても、組織が大きいだけに該当するものが多い。急ぎのところを悪いけれど、二、三日時間を貰えるとありがたいね。ただし、こっちは情報屋として料金を取らせてもらうよ?」
ここは譲らないという意志を感じるタランダに、クガイが懐に手を入れてごそごそとやり始める。手持ちを確認しているのだが、廃屋同然のお堂を宿にしていた男だ。お金など持っているはずもなく、すぐに渋い顔つきになる。
小さな屋台一つを経営しているだけのクムもそれは同じで、家に戻れば土間や天井裏に隠した蓄えがいくばくかあるが、今、家に戻るのは飢えた獣の巣に食われに行くようなものだ。出来るはずもない。
意外な申し出をしたのはハクラだった。
「私が出そう。いくら払えばいい?」
「ハクラさん!?」
「事態を解決する為に必要な情報を得られるのであれば、惜しい出費ではない。私がこの街に来たのは、お金を稼ぐ為ではないし、クムが一日でも早く安全な日々を過ごせるのならば、その為の最善を尽くすと自分に誓っているのだ」
「でも、その、私、どうやってハクラさんに恩返しをすればいいのか」
「気にするなと言っても無理だが、事件が解決したらまたクムの料理が食べたい。この街にいる間は通うつもりだから、また美味しい料理を食べさせてくれればいい」
「はい! 分かりました。もっともっと修練を重ねて、美味しい料理を作りますね」
「うむ、頼んだ。さて、タランダ、話を戻すが料金は如何ほどだろうか。手持ちで足りると良いのだが」
「善行を成さなければならない呪いでもかけられているのかい? まあいいけどね。そうだね、値段はあんたがお決め。この子の危機を振り払う情報にどれだけの価値があるかをね」
相変わらず意地が悪いな、とクガイが顔を顰める横でハクラは円卓の上に次々と革袋を重ねてゆく。
「とりあえず私の持っているお金全部だ。これで足りるだろうか? 足りなければどうにかしてお金を稼いでくる」
躊躇なく有り金全てを差し出してきたハクラを、タランダはまじまじと見つめて、彼女の瞳に嘘がないのを見てとり、盛大な溜息を零した。
「世にも稀なお人好しか世間知らずが目の前にいるね」
そうしてタランダは革袋の一つを取り、中身を確かめてから
「これ一つでいいよ。もっと駆け引きってものを学びな。私みたいなお人好しばかりじゃないんだから、痛い目を見るよ」
「私は私の目的が果たせればそれでいい。私にとってお金は執着するものではないだけの話だ」
「そうかい。あんたみたいのばかりなら、この楽都も平穏で退屈な街になるんだろうけれどね。さて、料金を貰った以上、きっちり仕事はするから安心してお待ち。それとあんた達の隠れ家も紹介してあげるよ」
「わあ、ありがとうございます、タランダさん!」
「きちんとお礼が言えるいい子だね、あんたは。おっかさんの躾が行き届いている証拠だ。それで隠れ家だけれど……」
呆れた調子のタランダの告げた隠れ家へと移動する為、クガイとクムが部屋を後にし、最後にハクラが退出しようとした時、不意に足を止めるとタランダを振り返り、クムには決して見せない復讐者の顔を浮かべていた。
「おや、そっちがあんたの本性、いや本音かい、白麗族のお嬢ちゃん。水晶みたいに透き通った魂をしているのに、今は憤怒の赤と憎悪の黒の二色で染めているね」
「私が白麗族であることを知っているか。クガイの言う通り貴女は優れた情報屋のようだ。その腕を見込んで尋ねる。占いでも構わん」
「なんだい?」
言葉を間違えればそのまま斬りかかってきそうな剣呑さに、タランダは目を細めた。
「ラゴクを知っているか? 知らなければ情報が欲しい。クムの情報の代金さえ残れば、後は有り金全て差し出そう」