第二十七話 死闘の開幕
「やあ、あの美しいが恐ろしい女性を退けてくれてありがとう。しかし、禍羅漢の復活は阻止できなかったか。だが、復活したものは仕方がない。禍羅漢は最初に冥業剣に貫かれた傷を治せずにいる。本調子からは程遠いから、撃破を狙うなら今が最良の時だよ、クガイ」
「てめえ、今までどこに隠れていやがった」
「柱の影、床の下、天上の裏、隠れる場所はいくらでもあったとも。それに私だって少しは役に立っていたのだよ? 瘴気を出来うる範囲で浄化して魔族の量産速度を抑えていたのだから。さあ、クムは私が安全なところまで連れて行こう」
クガイとハクラが視線を交わした。信用できるのか? とハクラ。渋い顔のクガイは、信用できない、と答えた。しかし、冥業剣が再封印の役に立たないという状況を信じるならば、クムは冥業剣ごと安全な場所へ連れて行かねばならない。
ヨウゼツは信用に値せずともちょうどよい人手ではある。クガイとハクラの迷いを、クゼとラドウが断った。
「ウロト、ゲンテツ、クムさんとそこの優男を連れて蔵の外に出ろ!」
「セイケンもついていっておあげ。ここは俺達でやれるだけやってみるよ」
それぞれの主人の命令に、それぞれの部下達は反論を唱えずに従う。この場に残って禍羅漢を相手にするとしても、果たして肉の盾になれるのかすら怪しい。ならば主人達の戦いやすい場を整える方が有益だと、彼らは理解していた。
「恩に着るぜ、二人とも。クム、四人と一緒にここを離れるんだ。いいな?」
「クガイさん……」
クムがくしゃりと顔を歪ませて泣きそうになるのを、正面からハクラが抱きしめて止めた。
「今は泣くではない、クムよ。我らは犠牲になるつもりは欠片もない。必ずやあの犬なのか猫なのか分からない怪物を討ち果たし、生還して見せる。涙を流すのならば再会を喜ぶ涙にしておけ」
クムはぎゅうっとハクラの胸に顔を押し付けてから、勢いよく話した。今にも大粒の涙が零れそうな少女の瞳がハクラを見る。
「分かりました。約束ですよ、ハクラさんもクガイさんも必ず生きて戻ってきてください!」
「うむ、承知した」
「絶対に破れねえ約束だな!」
「はい。あの、お待たせしました。よろしくお願いします、ええと、ヨウゼツさん」
「うんうん、君は守る甲斐のある良い子だねえ。それでは私から助言を。禍羅漢の胸部の穴は本来弱点ではない。だが今は冥業剣に貫かれた傷が残っている。狙うならそこだ。
そして他には、彼の頭部以外はいわば義手や義足でね。いくら攻撃を加えても痛打にはならないから、気を付けたまえ。では私達はこれにて失礼。無尽会の諸君、護衛をよろしく頼むよ」
「わっ」
言うが早いかヨウゼツはクムを両手で抱えあげ、すたこらさっさと背を向けて外に向かう。ウロト達無尽会の三人も背後の禍羅漢の動きを警戒しながら、ヨウゼツに続いて行く。
どうしてだか、禍羅漢は五人が蔵から出てしばらく離れるまで、その場から動かずにじっとクガイ達を見ていた。
「黙って見ていてくれたのは、こっちとしてはありがたいがどういうつもりだい?」
クガイが刀を肩に担ぎながら問えば、禍羅漢は律義にも答えた。魔王という称号とはどうも噛み合わない対応だ。
「今生の別れに水を差しては無粋だろう。それに祭壇を壊す前に冥業剣を深く刺された傷がある。それを塞ぐ時間を得るのにはお前達の好きなように話をさせるのが、俺にとっても都合が良かっただけだ」
見れば禍羅漢の胸の中央には冥業剣の刺し傷が亀裂のように走っており、祭壇に封印された時の刺し傷とたったいまクムが癇癪と共に突き込んで更に広がった傷の二つがある。
禍羅漢はクガイ達の会話の間にクムの癇癪による傷の方を塞ぎ切ったようだ。戦士ではないクムが我武者羅に突き立てた傷ならば、再生は難しくなかったようだ。
クガイ、ハクラ、クゼ、ラドウが横並びになり、禍羅漢は相対する四人が歯ごたえのある戦士だと認識して笑みらしきものを浮かべる。
「今生の別れになるかどうか、試してみな。骨董品!」
クガイの叫びが四人と一体の動くきっかけになった。ラドウはその場から動かず横に腕を交差させて、二振りの刃を全力で振り抜く。
「朱三日月、黄金爪!」
刃から放たれた朱色の三日月と三本の雷の爪が、禍羅漢へと向けて虚空を飛ぶ! 刃の形に圧縮された灼骨炎戯の業火と黄金に輝く雷の爪は、どちらも有象無象の魔族ならばまとめて数十と滅ぼせる。
しかるに禍羅漢は防ぐ素振りも避ける素振りも見せず、構わず頭から直撃を受けた。ヨウゼツが告げた通り、禍羅漢唯一の生身である頭部を狙ったのだが……
「ありゃ、無傷?」
焦る響きこそないが驚いている声を零すラドウを置き去りにして、クガイとクゼが左右から禍羅漢へと仕掛けた。
「羅象刃・電光石火!」
クガイは呼吸と関節の駆動、踏み込み、全てを連動させて最速に至り、突進しながらの最速の斬撃を。
「赤毒・曼殊沙華」
クゼは触れた敵の体内に気を流し込み、曼殊沙華の花のように広げて内側からずたずたに斬り裂く必殺の一撃を。
禍羅漢は首を刎ねるクガイの一撃を右の掌で、左脇腹を狙い澄ましたクゼの右手を左手の甲で容易く受け止めている。
「速いが俺の眼で追えん速さではない。そちらも鎧を通して俺の頭を爆破しようと狙ったようだが、俺の命に届くにはまだ気の練り具合が足りん。オアアア!」
禍羅漢がまさに獅子吼と呼ぶべき咆哮を上げるのと同時に、全周囲に途方もない衝撃が放たれてクガイとクゼは挑みかかった体勢からそのまま大きく弾き飛ばされる。
びりびりと肌を打つ衝撃もさることながら、間近に接近し触れた事で禍羅漢の規格外さも否応なく思い知らされた。
「だからといってクムとの約束を破っていいわけにはならねえよな!」
空中で体勢を立て直し、着地と同時にクガイは駆けた。右下段に下げた木刀の柄尻から切っ先に至るまで、彼が練りに練った気が充溢し、更にチャクラによって天地万物の気を取り入れ浄化した力も加わる。
ほんの一瞬で、しかもそれを連続して行えるクガイの技量は紛れもなく達人の更にその上の領域に達している。
しかしクガイとクゼ、ラドウが再び挑みかかるよりも早く、禍羅漢はまだ挑みかからずにその場で直剣を構えたままだったハクラへと狙いを定めていた。
「女、貴様はどうした、掛かっては来ないのか!」
巨体からは信じられない速さで禍羅漢は駆け、大質量の高速移動によって封印の間の大気が轟々と荒れ狂う程だった。
ハクラは凄まじい重圧と殺気の嵐を正面から受けながら、氷の彫像のように冷たい眼差しと雰囲気で答える。
「挑むとも。我龍拙式――白龍殻!」
振り下ろされる万物粉砕の一撃を、真っ向からハクラの長剣が迎撃し、ぎりぎりと拮抗状態を作り出す。禍羅漢の拳を受け止めている直剣は刃の幅が倍になり、刃の長さが身の丈に匹敵する巨大な代物へと変貌していた。
変貌は直剣だけではない。ハクラもまた白い龍の意匠を凝らした鎧を纏い、元より少なかった肌の露出は一切なくなり、鎧の背には刃を連ねたような一対の翼が生えて、腰の裏からは龍の尾が伸びていた。
さしずめ龍がそのまま人型となった存在――人龍とでも言うべきか。
白銀の籠手に包まれた禍羅漢の拳を、ハクラが真っ向から純粋な力勝負で受け止められたのはこの白龍の鎧――ハクラの言う白龍殻の恩恵あればこそ。
「借りものだろうが大した力だ。しかし、若いな!」
嬉しそうに笑う禍羅漢が右拳を引き、左右の腕が霞む。常人、いや武術の達人でさえ視認できない超高速の動きが、輪郭を消し去る速度に至ったのだ。それは白龍の鱗と霊気を鎧として纏ったハクラも同じであった。
紫水晶の部屋の中で白銀の獣と白い人龍の周囲には、嵐の如き暴風と眩い光が乱舞する。
人智を超えた膂力と速度を誇る両者の拳が、足が、刃が間断なく繰り出され、見る間に応酬の数を増す。
これほどの怪物同士の戦いとなると余波だかでも部屋の床、壁を問わず次々と罅が走り、霊的にも物理的にも堅牢に作られている筈のこの蔵を破壊してゆく。
「若いとは、龍のことか」
「そうだ。俺が戦ってきた龍の中でもとりわけ強力な力だが、違和感と若さを感じる。女、お前自身もそうだがな!」
ごおっと炎の燃え盛る音を立てて禍羅漢の胸の輝きが増し、禍羅漢の両拳が真っ赤に燃える。先程とは異次元の力が集約して行くのを、誰もが感じた。
「凄拳!」
「我龍拙式・龍牙!」
小さな太陽が生じたような輝きを放つ禍羅漢の拳と白々と輝き出したハクラの直剣が、互いの命を終わらせるべく交差する! 直後、封印の間を赤と白と、二色の光の洪水が暴力的な勢いで満たした。




