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クガイの剣 とある剣豪の異境活劇  作者: 永島 ひろあき
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第十話 穏やかな時

タランダに紹介された隠れ家での生活は、少なくともクムにとっては敷地の外に出られない窮屈さを除けば案外と快適なものだった。

 相変わらず自分が狙われている事への不安こそあったが、ハクラとクガイの存在が大いに不安を和らげてくれている。


 隠れ家に蓄えられていた食材はクムにとってなじみ深いものもあれば、庶民には手の届かない高級食材に他の地方どころか他国から輸入された希少な食材もあり、どんな料理を作ろうかと寝ても覚めても考えてしまう。

 加えて見慣れぬ調理器具や数は少ないが異国の料理を掲載している書籍の存在も相まって、これらを自由に扱える状況に料理人として大いに喜びを覚えていたからである。


 クムは根っからの料理人であった。そしてアカシャが隠れ家を去った日の夕食から、翌日の朝食、昼食は全てクムの手によって用意された。

 隠れ家の中央に置かれた円卓から、クガイとハクラの二人は三つある竈とまな板や水瓶、食材の間をちょこちょこと行き交うクムの背中をのんびりと眺めていた。張り切る幼い妹を見守る兄と姉と言っても通じるかもしれない


「クムが楽しそうで何よりだ」


 ハクラがしみじみと呟く。屋台で料理を作っている時も、せわしなさとは別に楽しそうな笑顔を浮かべていたが、危険の影が迫ってきてからは笑顔が少なくなったのを知っているから、今のクムの姿は喜ばしい事この上ない。


「こんな状況じゃどうしたって気落ちしちまうが、気が紛れるもんがあるなら何よりさ

実際、クムの料理は美味いしな。もっと早くに知っておけばよかったぜ」


「うむ。私としては味の好みが合っていたから贔屓にしていたが、クムの屋台はいつも賑わっていた。物心ついたころから母親と料理をしていたというから、クムの腕前は確かなのだろう」


「自分の店を持つって夢も、奇禍に見舞われなけりゃ割とすぐに叶えていたかもしれねえな」


 そして残念なことに、現在進行中で奇禍に見舞われている最中なのである。やるせなさそうに眉を顰めるクガイにつられてか、ハクラもまた同じように眉根を寄せて、クムに災いを齎した者達への怒りと不満を胸の中で募らせる。


「うむ、まったくだ。その頃には私の目的も果たしているだろうから、気兼ねなく料理を食べに行ける。そうする為にもクムを狙っている連中を根こそぎ叩きのめしてくれる」


「おっかない顔になっているぞ。子供を守ろうとする母親の顔みたいだと言ったら、機嫌を損ねるかい?」


「うむ……損ないはせんが年の差を考えれば、私は姉が妥当であろうな」


「はは、それもそうか。ところでまだ聞くには早いかとも思うんだが、お前さんは何の為にここに来たんだ? ちなみに俺はちっと厄介なもんを持たされちまってな。そいつをどうにか手放せないものかと、この街で手段か道具を探している」


「なるほど、今、お前が明かした範疇でよいから私の事情も明かせないか? というわけか」


「短い付き合いだが、お互い金を積まれたくらいじゃクムを裏切らないのは分かっているだろう。そうなるとそれ以外を警戒しておかないとな」


 ハクラが話すかどうかを迷った時間は、ごく短かった。


「話をしても構わないが、一つ尋ねたい。クガイ、お前はラゴクを知っているか?」


「ラゴク……いや、あいにくと聞いた覚えのない名前だ。人の名前か? それとも地名や道具か?」


「ある夜、私達の集落が一体の強力な妖怪に襲われて壊滅的な被害を受けた。集落を襲った妖怪の名がラゴクだ。

 私も命を山に還すのを覚悟する程の怪我を負ったが、類い稀なる幸運に恵まれて命を繋いだのだ。そして、私は復讐の為に、情報を求めて山を下りこうしてこの街に身を寄せている」


「仇討ちか。俺も新参者だが、この街なら多くの情報が集まるだろう。そのラゴクってのがどういう妖怪かは知らんが、この街には表も裏も知り尽くした連中がゴロゴロいる。

 お前さん程の手練れのいる集落を襲うような妖怪なら、地元では名の知れた奴に違いない。必ずと言ったら無責任だが、仇の情報が得られる見込みは高いと思うぜ」


「私もそうであることを願っている。だが、今はクムの身の安全が第一だ。ラゴクは必ずこの手で滅ぼすと決めているが、期限の限られた話ではないからな」


「ふうん、ラゴクとやらの名を口にすると、ずいぶんとおっかない目つきになるが、周りが見えなくなるわけでもないか。それならこれから先も安心してクムを任せられそうでよかったぜ」


「お前の方こそどうなのだ? 見たところ、厄介なものとは言ったが、普段からかなりの負荷が掛かっているようだ。表には出していないが苦しいだろうに」


 ハクラの指摘を受けて、クガイは左手で軽く自分の胸を撫でた。ソコにその『厄介なもの』を抱えているらしい。


「俺の方も別に期限付きってわけでもないさ。最悪、自分でどうにかする算段も付けているから安心しな。良くも悪くもここはずいぶんと変わった土地だが、俺の問題を解決できる見込みも大きい。

 それにクムみたいな子を犠牲にするのは偲びねえ。目の前に餌をぶら下げられても、笑って払いのけてみせるよ」


「うむ、それが偽りでも強がりでもないと期待しよう」


「ま、お互い様だわな。それでも少しは歩み寄れただろう。さて、そろそろ食器くらいは並べようぜ。昨日は食材を切るのも断られるとは思わなかったが、それくらいならクムも俺達に任せてくれるだろう」


「食材や料理法ばかりか、初めて見る調理器具や食器に触れるのも楽しんでいるようだが、流石にそれくらいは許してくれると私も思うぞ」


 調理と厨房に関して、絶対的支配権はクムの掌中にあるのだった。


「今日もまた美味そうだな」


 クムの用意した昼食を前に、お世辞抜きに上機嫌な声を出したのはクガイである。にへらと崩れた顔は食欲に負けた者の見本だ。

 食卓には、黄色いタレのかかった蝶のように身を切り開いた蒸し海老、瞬間的に燻製して香りをつけた焼き魚の切り身、香り豊かな茸と人参、豚のもも肉と葉野菜を刻んで炒めた後に甘酸っぱいあんかけを絡めた料理、野菜と鶏ガラで出汁を取った溶き卵の汁物、それと蒸し麺麭が並べられている。

 クガイとハクラに用意された蒸し麺麭は、二人の食欲に合わせて山盛りになっている。基本的にこの国の主食は米や小麦といった穀物とその加工品である。


「食材だけでも次から次に目移りしてしまうのに、私の知らなかった調理法や料理の載った本まであるから、ついつい作り過ぎちゃいました」


 クムはこのように言うが、いとけない顔には思う存分、新しい挑戦が出来て満足だと書いてある。


「海老と魚は街海(まちうみ)で獲れた楽都海老と楽都鯖ですよ」


「ああ、街海か。初めて見た時は驚いたもんだぜ」


 しみじみと頷くクガイとさも当然とばかりに街海と口にするクムに、ハクラがふむ、と一つ零してから尋ねた。


「二人は知っているようだが、街海とはなんだ? この辺りに海はないと記憶しているが」


 首をひねって疑問を態度で示すハクラに、クガイが街海の概要を思い出しながら答える。


「この街は内陸だからな。まっとうな海はずっと遠くだよ。外じゃなくて街の中に海があるのさ。だから街海って呼ぶわけだ。分かりやすいだろう?

 言いたいことは顔を見りゃわかる。街の中になんで海があるのかってな。答えは当然、大浸食の影響だ。後遺症といった方がいいかもしれん」


「どこまでまっすぐに進んでも、反対の岸に着かない不思議な海なんです。中心に近づく程濃い霧が出て、迷子になったり海に住んでいる魔物や妖怪に襲われるからって言われています。

 でも岸からそう遠くないところなら、そんなに危なくありませんし、世界中の海の幸が不規則に姿を見せる不思議な海でもあるんですよ。内陸の楽都で、世界の全ての海産物とこの世のものではない海産物を味わえる理由ですね」


「海を見たこともない私としては、想像もつかん」


「ふふ、そうですね。さあ、いただきましょう。早く食べないと冷めちゃいますから」

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