第二部 第十二楽章 ふたりの帰路。
ベッドに制服のまま横になって、ぼくは、ぼんやりと天井を眺めていた。
去年の暮れに波多津薫と買った色違いのbluetoothスピーカー。そこからは、聖飢魔Ⅱのアルバム「MOVE」が流れている。
……一曲目の「エガオノママデ」が、薄暗い部屋の中でゆったりと鳴り響いている。いつの間にか、アルバムが一巡していたらしい。
ぼくは、デーモン閣下の優しい歌声を聴きながら、なんだか、涙が止まらなかった。
***
「わたしね、小四の時に、初恋の人の出来たんだ」
二人での帰り道、波多津薫は、唐突に話し始めた。
赤い夕陽が、やけに僕らをギラギラと照りつけた。
「相手は、サッカー部の六年生。いつも笑ってて、人に囲まれてて、自信に溢れてて……。憧れだった」
波多津薫は、遠い目で、彼方を見つめた。
「その先輩に、バレンタインのチョコをあげたんだ」
「……」
「初めて、手作りのチョコを作った。家族に手伝ってもらって、マジで一所懸命に作ったよ」
波多津薫は、笑いながら言った。
「そして、いざ当日。わたし、勇気を振り絞って、手渡しした。……だけど、断られた」
「断られた?」
「うん」
波多津薫は、寂しそうに笑った。
「"キモい。オカマのチョコなんかいらねぇよ"だって」
「……」
ぼくは、何と言えばいいのかわからずに、ただ黙りこくった。
「それから、一週間も寝込んだ。もう、恋愛なんかしなくていいって思ったな」
波多津薫は、また、遠い目をした。
ぼくたちは、無言で歩いた。
「中学の時の話、もう聞いた?」
波多津薫の問いに、ぼくはちいさくうなずく。
二里が教えてくれた、あの話のことだ。
「あの時も、大変だった。わたしはただ女の子として暮らしたかっただけだったのに、周りがどんどん騒がしくなって」
「…………」
「味方してくれる人がたくさん出来て、それはすごく嬉しかった。だけどその分、悪口や陰口も増えた」
波多津薫は、また、寂し気に笑った。
「年配の先生なんか露骨に言うからね。"面倒な時代になったもんだ"とか」
「…………」
ぼくは、さっきからなにも言えないで黙りこくったままだった。
「よっつ下の妹が、羨ましかったな。普通に女の子の格好して、普通に女の子として暮らしてる。……それはわたしもおんなじなはずなのに、なんで、自分の周りはこんなに大事になっちゃったんだろう……って」
ぼくたちは、また、無言で歩く。
やたらとウーファーを効かせた黒いアルファードが、騒がしい重低音を響かせながらぼくたちの横を通って行った。
「今だから言うけど。わたし、結構前から、君の事ずっと気になってた」
「はっ?」
予想外の言葉に、ぼくは思わず大きな声を出した。
波多津薫が、小さく笑った。
「なんだろう。……他のクラスメイトと、なんか、距離感が違ってたから」
「距離感?」
ぼくが訊くと、波多津薫は話を続けた。
「最初に"わたしは、男です"って言っても、実業のみんなは、戸惑いながらでも受け入れてくれた。男子も女子も先生たちも、みんな仲良くしてくれた。……少なくとも、わたしの見える範囲では」
不意に、強い風が吹いた。
波多津薫は、両手で乱された髪を直しながら話し続ける。
「でも、やっぱり、どこかよそよそしかった。……仕方ないとは分かってる。みんな、頭では理解できても、それでも、わたしは"男"なんだからね」
寂しそうな笑みを、波多津薫は浮かべた。
「だけど、君は、なんだかほかのみんなと違ってた。なんだかわからないけど、そう感じてた」
「……」
「だから、君が"聖飢魔IIが好き"って知って、本当に嬉しかった。……本当に、嬉しかったんだ」
ぼくは、何も言えずに隣りを歩く。
足が、鉛のように重かった。
「だけど、それは"勘違い"だった。君は、わたしの事を知らなかっただけだった」
そうだ。
ぼくは、波多津薫が「男」だとは知らなかった。
知ってからも、後から気付いた事は伏せていた。
たとえ「男」だとしても、ぼくは波多津薫を好きでいようとした。
だけど……どうしても、違和感が生じていた。
「付き合い始めてから、なんだか、君は変わっちゃった」
波多津薫は、その違和感を感じ取っていた。
そして、ぼくと木須裕子の会話を聞いてしまった。
そこで、波多津薫は違和感の正体に気付いた。
ぼくが、波多津薫は男だと知らなかった事を、知ってしまった。
「もう、無理だよ」
波多津薫が、ぼそりと言った。
「もう無理だと思う。自分の身体を受け入れて、これからは、頑張って"男"として生きていこうと思う」
波多津薫の足が止まった。
ぼくも、足を止めた。
波多津薫は、笑っていた。
笑いながら、一筋の涙を、シャム猫みたいに大きな両眼から流していた。
「今まで、ありがとう。これで、恋人はおしまいにしよう」
波多津薫は、少し震える声で、そう言った。
***
いつの間にか、二曲目の「MASQUEARADE」が流れていた。
その歌詞を聴いて、ぼくは「はっ」として起き上がった。
デーモン閣下の歌う言葉のひとつひとつが、今の波多津薫に向けられたものに、ぼくには思えた。
この歌を、ぼくの口から、波多津薫に聴かせたい……!
そう思った次の瞬間には、ぼくは、鶴さんの「夢竜」に向かってギターケースを抱えて走り出していた。




