第二部 第十楽章 涙の訴え。
「バシリ」という音が、ぼくの左頬で鳴った。
一拍おいて、音を立てた場所が熱を帯びて来るのをぼくは感じた。
古賀が、平手でぼくの頬を張り付けたのだ。
ぼくは、波多津薫との間に起こった事を、包み隠さずに古賀と二里に話した。……この間の、木須裕子との会話を聞かれた事も。
古賀は、泣いていた。
「最低だろ、お前……」
泣きながら、そう呟いた。
ぼくは、下を向いて押し黙る事しか出来なかった。
「……ってか、高田っちと薫が付き合い始めたのは、みんな知ってたけど」
二里が、ぼそりと言った。
「え?」
ぼくが思わずそう言うと、
「見てりゃわかるよ。やたら距離ちかいし、なにかと見つめあってるし」
二里の言葉に、僕は赤面する。
「あぁ。薫もいろいろあっけど、やっと、わかり合える男が出来たんだな……って、思ってたけど。そんな事情だったんだ」
「……」
古賀が、膝を抱えるようにして座り込み、その肩を、二里がそっと触れた。古賀の肩は、小刻みに震えている。
「ウチと薫は、小学生から一緒でさ」
二里が、誰に言うともなく話す。
「薫は、ずっと女の子の格好で育って、ウチらもみんなそう接して来た。……だけど、中学生になる時、問題が起きた」
「問題?」
「あぁ。当然ちゃ当然だけど"男子生徒は男子用の制服を着ろ"ってなってさ」
二里は、懐かしそうに目を細めた。
「薫は"絶対に嫌だ"ってゴネて、ずっと、体操着で登校してたんだ」
「……」
「ウチら女子は、薫を仲間だと思ってたから、みんなで話し合って、全員が体操着で通ったんだよ。薫が女子の制服を着られるまで、みんなこうするって言ってさ」
そんな事が……。
ぼくは、また息を飲んだ。
二里の言葉は続く。
「そのうち、新聞やらジンケン団体やらまで巻き込んでちょっとした騒ぎになってさ。夏休み前に、ついに学校が折れたんだ」
二里は、古賀の肩を優しくさすりながら言う。
「あの時、薫は本当に嬉しそうだった。クラスのみんなでいっぱい泣いたし、いっぱい笑った。……だから。だからウチには信じられないんだよ、今回の事」
気がつくと、二里の目にも涙が浮かんでいた。
「高田っち。薫を助けてあげられるの、多分、お前だけだよ。薫、本当は泣いてるよ。心の中で」
二里の言葉で、ぼくの目にも涙が溢れて来た。
「薫の事、なんとか助けてあげてよ」
二里が、消え入りそうな声で言う。
ぼくは、下を向いたまま、ぐぐっと拳を握った。
足元に涙が落ちて、小さな染みが浮かんでいた。




