第六十八楽章 1999 secret object
あの夜から、一ヶ月が過ぎた。
図らずも、ぼくと波多津薫は「愛を確かめ合った」わけだけど、だからといって何か特別な事が起きるわけでもなく、日々は過ぎていった。
学校に復帰した波多津薫は相変わらずクラスの中心人物だし、ぼくは、軽音部に入ったとはいえ、やはり、クラスでは目立たない陰キャのままだ。
部長は、佐賀大学の教育学部合格を目指して、かなり本気で勉強に打ち込んでいる。
古賀と二里のふたりは、波多津薫が復帰してから、また、元のだらけた状態に戻ってしまった。それでも一年生部員からの信頼は厚く、なんだかんだで波多津薫と三人で力をあわせ、新体制の軽音部をうまく回している。
鶴さんと佐知子さんの間には、結婚八年目にして、待望の赤ちゃんができた。
ぼくと波多津薫は「まだ無理のできない佐知子さんの分まで頑張ろう」と、ギターの練習時間を削ってでも夢竜の手伝いに励んだ。
で、今はその帰り道。
クリスマスがすぐそこまで近付いて、伊万里駅周辺の街路樹には、キラキラとイルミネーションが瞬いている。
ちょっとだけ遠回りして、ぼくたちは、それを見ながら帰る事にした。
波多津薫が無言で差し出した手をぼくは優しく握って、それから、ゆっくりと歩道を歩いた。
ぼくたちの間で変わった事と言えば、
ふたりの時は、名前に「くん」「ちゃん」付けで呼び合うようになった事。
たまに、手を繋いで歩くようになった事。ケンカをしたら、最後はハグで仲直りするようになった事……。これだけだった。
イルミネーションに負けないくらいに瞳を輝かせて笑っている波多津薫は、性別はさて置き、やっぱり、とてもとても綺麗だった。
何度かスキンシップを重ねるうちに、ぼくは、彼女が「男性」だということが、だんだん、どうでもよくなって来た。
ぼくが好きになった「波多津薫」は、ぼくたちの関係が少しだけ変わっても、当たり前っちゃ当たり前だけど、そのままだった。
楽しそうにギターの話しをして、
機嫌が悪いとすぐにそれが顔に出て、
決めつけ気味な文句を言ってきて、
すぐ泣き出して、
そして仲直りをすると、すぐにまた笑顔になる。
やっぱり、ぼくは、この子が好きだ。
ローソンの前の横断歩道を渡り、駅ロータリーの横を通って、やがてぼくたちは、いつも解散場所にしている、バス停留所前のベンチに着いた。
「じゃ、また。あとでLINEするね」
と、ぼくが言うと、
「うん。またね」
と、波多津薫は言った。
……だけど、握ったその手を離そうしなかった。
「……薫ちゃん?」
ぼくは、戸惑いながら、波多津薫の名前を呼んだ。
波多津薫は、ぼくの手を握ったまま、黙ってうつむいている。
ひょっとして、これって。
ぼくの頭の中で、目まぐるしく思考が回る。
はじめての「キス」をするタイミングなのだろうか。
いや、しかし。
いくら好きでも、いくら可愛くても、キスって、男どうしでしていい事なのか?
波多津薫が、ぼくの手をギュッと握って、うつむいていた顔を上げた。
艶のある黒髪に、長いまつ毛に、二重まぶたのシャム猫みたいに大きな目。真っ直ぐに通った鼻筋に、ぷっくりとしたピンクの唇。おまけに、シャンプーの甘い香り。
くそ。なんでこんなに可愛いんだ、男のくせに。
ぼくは、もう、なにがなんだかわからなくなってきた。
波多津薫が、目を閉じた。
ぼくは、彼女のもう片方の手を握り返して、真正面から向きあった。
行くのか?
行くのか!?
ぼくが、一瞬だけ躊躇し、そして、覚悟を決めたその時、
「こんなところで見せつけてんじゃねぇよ!」
と、いきなり横から声を掛けられた。
声の方向にぼくらふたりが同時に振り向くと、ローソンのビニール袋を右手にぶら下げて、茶髪の男が笑っていた。左耳のピアスが、車のヘッドライトに反射して煌めいた。
部長だった。
「バカ。人目につくような場所で“ふたりの世界”に入ってるんじゃねぇよ」
部長はこちらに近づくと、苦笑いして、小声でぼくたちをたしなめた。
言われて周りを見てみると、数人の客待ちしているタクシーの運転手が、にやにやしながらこちらを見ていた。
……ぼくは、ちょっとホッとしたような、残念だったような。複雑な気分になった。
その横で、波多津薫は、ぼくの手を握ったまま、少しだけふくれっ面をした。
怒った彼女の瞳の中で、キラキラと、黄金卿のようにイルミネーションが瞬いていた。




