第五十八楽章 悪魔、降臨。
ステージ裏に設営された楽屋代わりの巨大なテントの中に、ぼくたちは案内された。
だだっ広い空間に折りたたみテーブルとパイプ椅子が並べられているだけで、間仕切りなどは何もない、実に質素な場所だった。
他の出演者とは顔見知りらしく、鶴さんは、いろんな人と忙しく挨拶のやり取りをしている。
「少年、見ろ」
ドラマーさんが、ぼくそっと近づいて来て耳打ちする。
その視線の先には、昔のルーク篁みたいなモジャモジャな髪型をしたおじさんが座っていた。
ちょっと見ている間だけでも、いろんな人がその「モジャモジャのおじさん」に近寄っては、お辞儀し、握手をして、サインをもらったり一緒に写真を撮ったりしている。
「誰ですか」
ぼくが訊くと、
「さっき話した、中田マサユキだよ」
と、ベーシストさんが答えた。
てっきり、ゲスト出演するくらいのスターは、たくさんの「お付きのひとびと」を引き連れて、別室に待機しているものだとばかり思っていたので、ぼくは少し驚いた。
お付きの人などは見当たらず、自分でファンに応対し、自分で、ペットボトルから紙コップにお茶を注いでいる。……言っちゃ悪いが、髪型以外はどこにでもいる普通のおじさんにしか見えなかった。
「まぁ、ハイトーンボイスが売りだったのに、もう、昔みたいには歌えないらしいって聞いたからな」
隣に座った鶴さんが、中田マサユキに聞こえないよう小声で言った。
「ヒット曲を何個か持ってるから、一生、食うには困らないんだろうけど」
鶴さんの話を聞きながら、ぼくは、なぜか波多津薫の事を考えていた。
それだけのヒット曲を持っていて、紅白に出るくらいに有名でも、晩年は、地方の祭りに、マネージャーも付けずに出演する……。
波多津薫は、あれだけギターが弾けるけど、この後の人生を、いったい、どうしようと考えているのだろう。
音楽の道に進むのか、ギターは趣味として割り切って、まったく違う仕事に就くのか。
思えば、波多津薫と一緒にいてもギターと聖飢魔IIの話ばっかりで、進路の事や将来の事など、一度だって話した事はなかった。
今度、彼女に会ったら訊いてみよう。
今日のライブを成功させて、波多津薫が退院して……。そしたら、直接あって訊いてみようと思った。
……と、ぼくがぼーっと物思いに耽っていると、なにやら、テントの外から大勢の人が騒めく気配が伝わって来た。
だんだん、その騒めきが近づいて来る。
テントの中の面々が「何事か」とそちらの様子を伺う。ぼくは、思わず唾を飲んだ。
無造作にテントの出入り口に掛かるビニール製の暖簾が開かれ、そこに、ギターケースを背負った長身細身の男が立った。
ぼくは、息を飲んだ。
そこに立った男の顔には、白地に、赤く刺々しいメイクが施されていた。
男の左耳のピアスが、例によって煌めく。
……悪魔メイクの男は、部長だった。聖飢魔IIのデビュー時のベーシスト、ゾッド星島のメイク(本物は素顔だけど)だ。
鶴さんと狡決亜Ⅱのふたりは、拍手と笑いで部長を迎え、自分の横の椅子に導いた。
「すごいね大久保君。それで家から来たの?」
「はい。まあ、十分くらい歩きましたね」
と、部長は澄ました顔だ。悪魔なのに。
「歩いてるとね、バーっと、無言で人垣が開くんですよ。“モーゼの十戒”みたいで気持ちよかったですね」
そう話す部長に、ぼくは、おそるおそる訊ねる。
「……でも、なんでゾッド星島なんですか。部長、ギターなのに」
ぼくの質問に、部長は、
「これが一番かっこいいからだろ」
と、きわめて真面目な顔で、そう答えた。




