第五十七楽章 いまり秋祭り、開幕!
昨日までのぐずついた様子が嘘だったみたいに、澄み切った秋晴れが、伊万里市の空に広がった。
「いまり秋祭り」の当日。
「家から直接むかう」と言った部長以外のバンドメンバーは、夢竜の一階に集まっていた。
遠くから、ちいさく号砲の音が聞こえてきた。あれが、祭りのステージイベント開始の合図だろうか。
店内では、発声練習をしてみたり、ギターの弦を張り替えたり、入念なストレッチに励んだり……各々が、自由に過ごしている。
と、いきなりガラス戸が開けられ、ふたりの女の子が入って来た。
「プログラム表、会場でもらって来たよー」
そう言いながら、持参した数枚のチラシを店内の皆に配り始める。
軽音部の、古賀と二里だ。
今回の祭りの全プログラムを掲載したパンフレットが会場で配布されていると聞き、取りに行ってくれたのだ。いつも以上に派手めなメイクに、ピンクや赤の、華やかな浴衣に身を包んでいる。
「どれどれ」
鶴さんが、受け取ったパンフレットのページをペラペラとめくる。そして、
「おっ、うちがトリじゃんか」
と、のんびりした声で言った。
「トリって……一番さいごに演るんですか!?」
ぼくは、動揺して訊いた。
「ほれ」
と、鶴さんは、無造作にパンフレットをぼくに投げてよこした。
ステージイベントのページに「秋祭り・バンド演奏の部」という項があり、
「ヨルムンガンド」
「VUG‘Z」
「H4」
と、書いてある。
……今さらながら、ぼくは、自分のバンド名が「H4」だという事を、始めて知った。
「……なんで“H4”なんですか」
と、ぼくはが鶴さんに訊ねた。
「それな。最初は、“は、は、は、は、波多津さんバンド”ってバンド名だったんだよ」
……は?
ぼくが首をかしげる後ろで、狡決亜Ⅱのメンバーふたりが「由緒正しい!」と、腹を抱えて笑っている。
さっぱり意味がわからない。
「で、薫が“ぜったいイヤだ”って言うもんだから“H4”になった」
鶴さんが、自分のギブソンレスポールのペグを調節しながら言う。
「そりゃ、嫌だったでしょう……」
ぼくは、波多津薫に同情しながら、再びパンフレットを読み始めた。
ぼくらの演奏の次のプログラム「伊万里観光大使スペシャルライブ」というのが目に留まり、また、鶴さんに訊ねる。
「この、伊万里観光大使の“中田マサユキ”って、有名な人なんですか?」
ぼくが何の気なしに発したその一言に、
「えっ!? 今日、中田マサユキ来てるの!?」
と反応したのは、狡決亜Ⅱのふたりだった。
「知ってるんですか?」
ぼくが訊ねると、
「いやいや、超大物でしょ! “エメラルドキング”って知らない?」
と、ドラマーさん。
ぼくが首を横に振ると、
「少年もぜったい知ってるよ。……“大摩天楼”とか“恋を取り戻せ”とか。紅白にだって出てるし、ミリオンヒットだし」
ベーシストさんも、どこかちょっと興奮気味だ。
「……いや、ちょっと……」
ぼくは、なんだか申し訳ない気持ちになりながら答える。
「まあ、こいつが生まれてすらいない時ですからねぇ」
と、鶴さんが横からフォローしてくれる。
「エメラルドキングってのは、聖飢魔IIがデビューするよりも前にバンバン売れてた佐世保出身のツインボーカルのバンドでな。高音パートのボーカリストの“中田マサユキ”って人が、伊万里出身なんだよ」
「……へぇ。伊万里にも、そんな有名人がいるんですね」
ぼくがエメラルドキングについての説明を受けている側で、狡決亜Ⅱのふたりは「サインもらえるかな」「写真オッケーかな」と、なんだかそわそわ落ち着かない様子だ。
「ま、要するにおれたちは中田マサユキの前座って事だ。隆。なんなら“喰っちまう”くらいの勢いでいけよ。相手はロートルだからな」
などと、鶴さんは軽口を叩いた。
前座。
そう考えると、少し気分が軽くなった。
ぼくもう一度チューニングでも……と、ギターに手を伸ばした。
その時、後ろから、
「お、そうだ。……今日な、お前の給料日だったんだ、隆」
と、ぼくの肩を軽く平手で叩きながらそう言うと、立ち上がった鶴さんは二階に上がって行った。
給料日……?
夢竜で働いてるのは、ギターを習うための奉仕作業で、ぼくも波多津薫も、今まで「まかない飯」以外はなにも貰ってこなかったのだが。
キョトンとして階段を見上げていると、鶴さんは、ハードタイプのギターケースを持って降りてきた。
「現物支給で悪いんだけど。これ、給料な」
ぼくの前に、ギターケースがどんと置かれる。
おそるおそる、開けてみる。
最初に僕の目に飛び込んできたのは、鮮烈な「赤色」だった。
そこには、室内灯を受けて妖しく煌めく、真っ赤なギターが横たえられていた。
「これって……」
ぼくは、思わず息を飲んだ。
間違いない。
聖飢魔IIの映像で何度も何度も見た、エース清水長官の愛機。キャパリソン製「アンジェラス・エース」だ。
「ウチで埃を被ってたのを、今日のためにメンテナンスに出しててな。昨日、やっと届いたんだ」
鶴さんは顎をくいっと上げ「持ってみろ」と言った。
ぼくは、震える手で、アンジェラスを抱え上げる。
“重い”
これが、最初の印象だった。
ぼくが借りているエピフォンカジノより、明らかに“ずしり”とした重さを感じた。ところが、構えてみると、その重さはまったく苦にならず、むしろ、プレイするうえでベストな比重に思えた。
なにより、音が違う。
ぼくみたいな初心者でも、アンプも通さずに軽く爪弾いた音の“質感”が、まったく違うのがわかる。
「これ……ほんとにぼくが弾いていいんですか」
ぼくは、こわごわと鶴さんに訊ねる。
鶴さんはにやりと笑い、
「もちろんいいさ。お前の、正当な給料だからな」
と、言った。
こんなに凄いギターを、ぼくが弾ける。これを弾いて、波多津薫に、聖飢魔IIの歌を届けられる……!
ぼくは、自分の心臓のあたりが「カッ」っと熱を帯びるのを感じた。
「ありがとうございます!」
ぼくは、鶴さんに頭を下げた。
下げた視線の先、アンジェラスが入っていたケースの底に、一枚の紙が入っているのを、ぼくは見つけた。
その紙には、
「なお、全然ギター代に足りていないので、当面は夢竜でこき使われる事」
と、乱暴な調子の文字で、そう書いてあった。




