第三十五楽章 白い奇蹟を、弾いてみた!
部長の家のリビングにある防音室の中で、ぼくと波多津薫は、部長を挟むようにして座っている。
出された飲み物に手もつけず、ただ押し黙って、ぼくらはそろって下を向いていた。
「……あのなぁ。おれがせっかく場を設けたんだから、なんか言えよ、ふたりとも」
部長が、苦笑いしながら言った。
ちらりと、波多津薫の顔をうかがう。顔はこちらを向いているが、目線は、ずっと斜め下に落とされている。少し怒った様な表情で傾げられた彼女の顔は、不謹慎だけど、なんだかドキドキするほど綺麗だった。
「あの……。昨日、忙しかった?」
ぼくは、意を決して話しかけた。
「……忙しかった」
波多津薫は、目線を床に落としたまま、そう言う。
「ごめん……」
ぼくは呟く。
「…………」
波多津薫が、無言で頷く。
……また、沈黙。
「あぁ、もうお前らイライラするなぁ、マジ!」
いきなり、部長が大きな声をあげた。
「高田、ギター出せ。薫、おれのギター持て!」
僕らは呆気に取られたが、部長に急かされるがままに、ギターを持って向かい合った。
「高田。お前、今日河原で練習したの、なんだった」
いきなり振られた。……え、聴いてたんだ、この人。
「えっと……“白い奇蹟”です」
と、ぼくは答えた。
「は? まだ教えてないでしょ」
思わず波多津薫が横から口を挟み、また、黙り込む。
「……波多津さんから理論を習ってるうちに、なんだかすごく弾いてみたくなって。内緒で、練習してたんだ」
ぼくがうつむいて言うと、波多津薫は、ため息をついた。
「……よし。じゃあ、それでいこう。メトロノーム使うか?」
部長が、リズムマシンの準備を始める。
「あ、お願いします」
この曲は、とにかく難しい。完璧に弾ききる自信はとてもないので、すこし遅めのテンポでぼくは部長にお願いした。
「……この曲、ギターソロ前からしか入れないよね」
波多津薫が、ポツリとそう言った。
「うん。参謀のパートをお願いしていいかな」
ぼくは、彼女の目を今日はじめて見て言った。波多津薫は、無言でうなずいた。
部長が、メトロノームをスタートさせた。
ぼくは頭の中で、
「いち、に、さん、し。
に、に、さん、し」
と、タイミングをはかり、ギターを鳴らした。
しっかりとメトロノームを聞き、オリジナルよりは随分ゆっくり、だけど、正確さを心がけて弾いた。丁寧に。とにかく丁寧に。
この美しいメロディを、波多津薫に聴かせてみたくて、隠れて練習していた。
あまいような、せつないような。
水面に落ちた一粒の水滴が拡げる波紋のような、エース長官が奏でる、美しいギターメロディ。
出来たら、褒めてくれるかな。
そう思って、家や、河原で練習した。
こんな形で披露するとは思わなかったけど、それでも、今のぼくの全力で弾こう。そう思った。
*****
部長が、リズムマシンを止める。
ぼくは、部長を見て、それから、波多津薫を見た。
波多津薫は、笑っていた。
ぼくも、笑い返した。
「ダメだね」
波多津薫が言った。
「へ?」
ぼくは、思わず間抜けな声をあげる。
「運指も、ピッキングもリズムも、全然ダメじゃん」
「そ、そうかな」
遠慮のない意見に、ぼくは落ち込む。
「……でも」
波多津薫が、穏やかに微笑んだ。
「すごい頑張ったのはわかった。練習してるんだね」
「……昨日は、ごめん」
ぼくは、素直に頭を下げた。
「わたしも。なんでもかんでも押し付けて、ごめん」
波多津薫は、うつむきながら言った。
それから、ぼくたちふたりは、顔を見合わせて笑った。
波多津薫が差し出した右手を、ぼくは、右手で握りしめた。彼女の柔らかい手のひらと、細長い指先の“ギターだこ”の感触に、ぼくはなんだかドギマギした。
「よし、仲直り出来たな」
部長が、そう言って笑って見せた。
*****
波多津薫を家に帰し、部長が、エントランスまで、ぼくを見送ってくれた。
別れ際に「今日は、ありがとうございました」とぼくが言うと、部長は、急に真顔になった。
「高田。さっきの河原のやつらだけどな」
部長が、小さな声で言う。
「……楠久ですか?」
ぼくが答えると、部長はゆっくりうなずき、
「……向かってこなくてよかったよ。おれ、ケンカすっげぇ弱いからな」
と、真面目な顔で言った。
一拍おいて、ぼくたちは大笑いした。




