第二十九楽章 嵐の予感
夏休みの終わりが近い午後の学校は、とても静かで、淋しい雰囲気だった。
少なくなった蝉の声と、甲子園への道を断たれ、新たな布陣で再始動した野球部が練習する音が、遠くで、小さく聴こえていた。
部室棟と食科棟の間のいつもの芝生の上に、ぼくは、久々に制服を着て座っていた。
波多津薫を、待っている。
とにかく、昨日の事を謝って、なんとか元の状態に戻りたかった。今夜からは、真面目に講義も聞こうと思った。
波多津薫は、昼過ぎから、軽音部の練習で音楽室にいるはずだ。
今が、午後四時。そろそろ、この部室に戻って来るはずだった。
昨日LINEをしてはみたが、既読すらつけてくれない。かと言って、このまま夢竜で顔を合わせるのも気まずい。なら、いっそのこと、学校で謝ってしまおう……と、ぼくは思った。
日陰を選んで座ってはいるけれどもど、残暑の日差しの熱量は、まだまだ強い。ぼくの身体は、見る間にぬるぬるの汗だくになってしまった。
芝生の角に立っている、時計を見る。
四時十分。
……ずいぶん遅い。
ひょっとして、今日は部活が休みだったりするのか。
練習場所の音楽室の様子でも窺いに行くべきか、と腰を浮かしかけたその時、少し離れたところから、女子たちの談笑する声が聞こえた。
古賀と二里、聞き覚えのあるふたりの声だ。
ぼくは、ズボンの芝を払って立ち上がる。
体育館側の通路から、話し声と足音が近づいてくる。
さっきから、早いテンポで収縮し続けている心臓を鎮めようと、ぼくは、大きく深呼吸をした。
波多津薫を先頭に、三人が歩いて来た。
まっすぐに前を見据えて、ギターケースを背負って無言で歩く波多津薫のすぐ背後を、同じくギターケースを背負ったふたりが談笑しながら後に続いている。
「あ、あの!」
ぼくは、波多津薫に呼びかけた。
一瞬「なぜここにいるのか」という表情を見せ、次の瞬間にはぷいとそっぽを向いて、波多津薫は、部室の方へ歩いていった
すぐ後ろのふたりが「あ、高田っちじゃん」と、ぼくに気付いた。
“波多津薫は、ぼくに気付かなかったのだろう”と思ったのか、古賀が大きな声で、
「薫! 高田っちいるんだけど」
と、叫んだ。
波多津薫は一瞬だけ立ち止まり、無言で、部室に入っていった。バタン! と乱暴にドアを閉める音が、周囲に響いた。
「なんなん。ケンカしたの?」
チュッパチャプスを咥えたまま、古賀が言う。
ぼくはうなずき、
「ちょっと、波多津さんとふたりで話したいんだけど」
と言った。
二里と古賀のふたりは目を丸くして、次に、いきなり僕に軽いボディブロウを入れてきた。
「なにこれ、いつの間にそうなった」
「ヤバいこれ! 興奮してくる」
と、騒ぎ始めた。
「お前、その手のばっか読みすぎ!」
「マジでヤバい。リアルだと半端なくクるんだけど!」
ふたりは、てんでに勝手な事を言って盛り上がっていく。
「あの……部室、借りてもいいかな」
騒ぐふたりに、なんとか頼み込む。
「行け行け! 行って、薫を落としてみせろ!」
顔を紅潮させた古賀が言った。横の二里も、なにやら鼻息を荒くしている。
……完全に、誤解されている。
ぼくは「ありがとう」とふたりに言うと、ゆっくりと歩を進めて、軽音部の部室のドアの前に立った。
ノックしようとあげた右拳が、緊張で小刻みに震えていた。




