第十九楽章 come on join us !
「ちょ、ちょっと待って!」
ぼくは、両の掌を顔の前でぶんぶん振りながら、慌てて波多津薫にそう言った。
「無理だよ、そんなの」
波多津薫は首を傾げ、
「なにが」
と、真顔で言った。
「なにがって……」
ぼくは、救いを求めて鶴さんを見る。
その鶴さんは、ヤングギター誌のバックナンバーから目を離さずに、
「別にいいよ」
と、極めて軽い調子でそう言った。
「はい、決定!」
それを聞いた波多津薫は、笑顔を見せてパチパチと手を打ち鳴らした。
……冗談じゃない。
ぼくは、焦った。
「が、楽器なんて触った事もないよ」
そう言うと、
「今日から、触っていけばいいじゃん」
波多津薫は、事もなげに答えた。
「で、でも。こんなに上手い二人に挟まれて……」
ぼくが、しどろもどろになって言うと、
「大丈夫だって。ウチは、リズム隊は打ち込みだし。サイドギターと、コーラスだけでいいから」
と、波多津薫はあくまで軽い。
「本番まで、二ヶ月あるし。ガチれば充分いけるよ」
……本番?
「本番って?」
ぼくが訊ねると、
「秋祭り」
鶴さんが答える。
「……“秋祭り”?」
「今年の“いまり秋祭り”のステージイベントに、私と鶴さんで出る事が決まってるんだよ」
波多津薫は、涼しい顔だ。
……たった二ヶ月で、ステージに立つ?
おそらく、顔から血の気が引いているであろうぼくに向かって、
「大丈夫だよ。あんなん、誰も真剣に聴いちゃいないんだから」
と、鶴さんがおどけて言った。
「バンドの持ち時間は、十分くらい。……まぁ、二曲しかやらないしね」
機嫌が直った様子の波多津薫は、本棚から聖飢魔ⅡのCDを数枚とり出して、眺め始めた。
「そろそろ、曲決めしないとなぁ」
「一曲は“蝋人形”で決まりだから、あと一曲だけだぞ」
「えー。蝋人形はありきたり過ぎない?」
「バカ言え。ありゃ、聖飢魔IIコピーバンドの“課題曲”みたいなもんだから……」
ふたりが繰り広げる会話の中身は、ほとんど、僕の頭に入っては来なかった。
バンドを?
ぼくが?
大勢の人の前で?
……いつも、エース長官がギターを演奏する姿をモニターで観て、憧れてはいた。
こんな風にギターが弾けたら、気持ちいいだろうな。こんな風に綺麗なコーラスが歌えたら、気持ちいいだろうな。
パソコンの前で、演奏しながら首を“くいっ”とやるいつもの長官の仕草を真似しながらエアギターをやった事も、数え切れないほどある。
だけど、実際に、ぼくがギターを?
音楽の成績は「悪い」の一言だったし、なにより、人前でなにかをするのは、こどものころから大の苦手だ。小学校の合唱大会ですら、仮病を使って休んだ事がある。
「私、やっぱり“BRAND NEW SONG”だなぁ。あれがいちばんキャッチーでしょ」
「うーん。でも“EL DORADO”とかめちゃくちゃビシっと演りきったら、すげぇ盛り上がるぞ」
「あー。確かに」
ぼくの葛藤はお構いなしな様子で、ふたりの、のんびりした議論は続く。
大歓声に、手を振って応えているぼくの姿と、ブーイングを浴びながら、ステージで立ち尽くすぼくの姿が、交互に頭の中で浮かんでは消えた。
……そして。
一時間後。
ぼくは、鶴さんが「初心者はこれがいいだろ」と無造作に選んだ“エピフォンカジノ”が入ったギターケースを背負って、呆然と、家に向かって自転車のペダルを漕いでいた。