第十二楽章 先輩信者(ガチ勢)。
入学式当日に季節はずれのインフルエンザを発症したぼくは、皆から一週間おくれて初登校した。
恐る恐る教室に入ったぼくが最初に目にしたのは、数人の男女に囲まれてケラケラと笑っている波多津薫だった。
こんなに可愛い子を見たのは、初めてだった。
波多津薫は、その時にはすでにクラスの中心人物だった。
ホームルームで、担任から皆に紹介された。
その時、このクラスは、なんというか、もう「自分が入り込む余地がない空間なのだ」という事を、ぼくはなんとなく肌で感じた。
圧倒的な、疎外感。
休み時間入っても、誰も、ぼくに話しかけてもこなかった。そしてぼくもまた、自分から人に話しかける様な性格でもない。
ただ、黙って席に着いていた。
そんな時、波多津薫が、声を掛けてくれた。
「今日から宜しく、高田君」
ニコリと笑って、たった、それだけ。お互い名前も名乗っていない。
だけど、なんだかその一言と笑顔で、ぼくはずいぶん救われた。
そのまま、その一言と笑顔を胸の奥に収めたまま、一年が経った。
そんな波多津が、聖飢魔Ⅱを知っている。
それどころか、ルーク篁と同じKiller製のギターを携え、ステージで聖飢魔Ⅱを演奏してみせた。
これは、衝撃だった。
去年の文化祭の軽音部のライブでは「SEKAI NO OWARI」やら「ゲスの極み乙女」やら、誰もが知ってるバンドのだれもが知ってるヒット曲の数々を、波多津は、楽しそうに演奏していた。
同じくギターを弾いている、軽音部の部長(これまた“いかにも”な、リア充イケメンだ)と度々アイコンタクトを交わし、曲のサビの部分では、ひとつのスタンドマイクに二人で顔を近づけてハモって見せた。
黄色い歓声と、学校に大勢いる部長のファンの悲鳴で、講堂は、凄い有様だった。
ぼくはそれを見て「けっ」と思った。
流行りの音楽、流行りのファッション、流行りの恋愛観で、流行りのタピオカミルクティーを飲みに行く。
ぼくは、違う。
聖飢魔Ⅱという、皆が知らない本物を知っているし、
「何も考えずに世間に迎合するのは、愚か者の所業だ」
という、デーモン閣下の有難い教えも守っている。
ぼくは、こいつらとは違うんだ。……と、思っていた。
その、誰も知らない「高次元」に、波多津薫がいた。
リア充の代表みたいな顔をして、普通の青春を謳歌している波多津が、聖飢魔Ⅱを知っているのだ。
ぼくは、動揺した。
*****
「聖飢魔Ⅱ、好きなの?」
「はえ?」
思わず上げたぼくの素っ頓狂な声を聞いて、波多津薫は、お腹を押さえて大笑いした。
「“はえ?”だって。どっから声だしてんのさ、もう」
そう言いながら、波多津薫はぼくの肩を平手でペシペシと叩いた。
「あんなところで、学校の人に会うなんて思わなかった」
波多津薫は細い指で、笑いすぎて流れ出した細い涙を拭きながら、笑って言った。
「は、初めて行ったんだ」
ぼくは、どぎまぎしながら答えた。
波多津薫と、こんなにたくさん言葉を交わしたのは、初めてだった。
波彼女の髪からはなにやら甘酸っぱい良い香りがしていた。ぼくは、なんだか頭がくらくらしてきた。
「聖飢魔Ⅱ、どのくらい聴いてるの?」
波多津薫が、キラキラと瞳を輝かせる。
「きょ、去年の夏休みに、ユーチューブで観て……」
ぼくがおそるおそる答えると、波多津薫はにやりと笑い、
「私のが古参だな。小学生から聴いてるからね」
と、言った。
「しょ、小学生から」
ぼくが言うと、
「お父さんがギター好きでさ。私もよくいじって遊んでたんだけど、ある日、どっかから“解散ミサ”のDVDを持ってきたんだよね」
波多津薫は、また、瞳を輝かせた。
「それで、ルーク参謀に一目惚れ。次の日から早弾きの猛特訓」
そう言うと、波多津薫は、ギターをかき鳴らす素振りをしてみせた。
“参謀”
構成員を「役職」で呼ぶのは、ガチの信者の証だ。
「薫〜」
突然、通路側から波多津薫に声が掛けられた。
例の、いつも波多津薫がつるんでいる、ふたりの女子軽音部員だ。
「今いく!」
波多津薫は、軽音部員に手を振って応えると、ぼくの目の前に自分のスマホを差し出した。
「LINE、教えてよ」
「は?」
ぼくは、我ながら間の抜けた声を上げた。
「LINE。ID教えて」
「いや、その……」
ぼくは、下を向いて口ごもる。
「やってないんだ」
それを聞いた波多津薫は目を丸くして、
「なんで?」
と、訊いた。
「セキュリティとか、プライバシーとか、心配だから……」
ぼくがボソボソと答えると、一瞬だけ間を置いて、波多津薫は、ふたたびお腹を押さえて大笑いした。
「君はなに? 某国のスパイかなんかなの?」
「は?」
また、肩がペシペシと叩かれた。
「そんなに隠さなきゃいけないプライバシーとか、普通の高校生にないでしょうよ。ほら、スマホ貸して」
ぼくがしぶしぶとロックを解除したスマホを差し出すと、波多津薫は、勝手にアプリのインストールを始めた。
そのあと、暗証番号を入力するために再びぼくにスマホが戻され、アプリのダウンロードが始まった。
「じゃ、わたし、ちょっと昼練してくるから」
そう言うと波多津薫は立ち上がって、膝丈のスカートにくっついた芝生の欠片をパンパンと軽く払い落とした。
「昼休みが終わるまでここにいてね。ID、交換しに来るから!」
ぼくに笑顔で手を振り、そのまま、部室棟に駆けていった。
ぼくはその後ろ姿を、口を半開きにして見送った。
いろんなことが起こりすぎて、なにがなんだかよくわからなかった。