その感触に流される
—スイブンさん
どこからか賀仁の声がする。
カノンは手を動かす。
「鳴滝くん!? どこにいるの!?」
—俺は大丈夫……大丈夫だよ。でもスイブンさんはっ……。
ごめん、こんなことになるなんて。バジリスクなんて……
賀仁は泣いているようで鼻声混じりの声だった。
カノンは慰めたかったが、何が何だかよく分からない。
「鳴滝くん? よく分からないんだけど何があった?」
—ごめんねえ……。俺のせいだ……カメラのことも……
「カメラ? もう気にしないでいいって。でも説明して。
今鳴滝くんどこにいるの? なんで泣いてるの?」
—俺がバカだった……。ごめん、ごめんね……。必ず迎えに行くから
最早最後の方は微か風の音のようにしか聞こえなかった。
「鳴滝くん!?」
カノンは名前を呼んだ。だが賀仁からの返事は無かった。
ふとカノンの左目がジンワリと温かくなる。
暖かな日差しがそこだけ当たっているかのような感覚……彼女は心地よさを感じたまま目を覚ました。
*
「カノン!」
目を開けるとレッドの不安そうな顔が飛び込んできた。
彼女は手を広げ、ゆっくりと左目を抑える。
……眼球の柔らかな感触を感じた。視界も良好だ。
「レッド、私……何が」
身を起こそうとするが、肩をやんわり抑えられる。
「まだ寝てろ。
……蛇のバケモンがお前を襲ったんだ。それで」
「目が溶けた……」
「……ああ。でもピンショー様が治してくれたから」
カノンは右目を閉じて左目だけで周りを見る。
前と変わらない鮮やかな世界がそこには広がっていた。
「……お礼、言わなきゃ……」
「後ででいいだろ。今はまだ休んでな。
ピンショー様は治ったのが不思議だって言ってた……本当……良かった」
レッドがカノンの左瞼を親指でなぞる。彼女はボーッと何があったのかを思い返していた。
あの大蛇に襲われ、目を溶かされ、そして……見知らぬ美しい男が立っていた。
「……お迎えが、来たから……死んだと思った」
「お迎え?」
レッドの耳がピンと跳ねる。
「うん。神様みたいな男の人が立ってたから」
いや、注射器を取り出していたから神様ではないかもしれない。
だがあの男の美しさは尋常ならざるものがあった。
「ああ。ヨガイラのことか」
「ヨガイラ?」
「マルール隊のやつだよ。
見てくれは良い」
そういえば半獣だったな、とカノンは思い出す。
じゃああの男はレッド達と同じ隊員なのか。
「首に注射ぶっ刺されたんだけどあれは神的な儀式ではない?」
「注射? なんでンなもん持ってんだ……」
レッドは目を瞑りんー、と唸ったが首を振った。
考えるのをやめたのか思い当たることがあったのか。
「ヨガイラのことは良い。アイツちょっと変わってるから」
「そうなんだ?
あ、ねえ。あの蛇はなんだったの? 今までのと随分デザイン違うけど……」
カノンの質問にまたレッドは目を瞑り唸る。
「分からねえ。
魔王軍ってのは、魔王が作り出してる擬似生命体っつーやつだからどんな形でも行動は出来るんだ。
ただし簡単な命令しかこなせない。
物音がした方を襲うだとか、人を優先して襲うだとか、そういうな。
でもあの大蛇は、馬車を襲って混乱したところに群れで行って、先に俺たちを動けなくしてから人を襲った。
賢くなってんだよ」
「……ど、うして」
レッドは首を振る。
「魔王が何か……力を手に入れたのかもしれない」
「それ」
賀仁のことだろうか。カノンは一気に不安になった。
賀仁の身にやはり何かあったのだ。だから彼は泣いていた。彼女はガバリと身を起こす。
「私さっき……友達からテレパシーみたいなの来たよ。
どうしよう、その子運動神経良くないし、力弱いし、何かされても抵抗出来ないかも」
カノンはレッドの腕を掴んだ。賀仁が心配で堪らない。
そもそもこの世界に来た発端は賀仁だが、カノンは彼のことを悪く思っていなかった。
大学での友人であることは確かだし憎めない男である。
そんな彼が泣いている、苦しめられていると思うと居ても立っても居られなくなる。
「落ち着け。テレパシーって、交信の魔法のことだよな?
それが出来るなら少なくとも命に別状は無い」
「拷問とかされてるかもしれない」
「されてたら助けを求めるだろうし、そもそも魔法使う間も無いんじゃねえか?
一回ピンショー様に言おう。交信の魔法が来たことも……」
「でも」
「落ち着けって。カノンが今優先するべきなのは体を休めることだ」
なおベッドから降りようとするカノンの腰をレッドは優しく掴んで座らせる。
「カノン。良い子だから俺の話をよく聞け。な?
心配なのは分かるがすぐに動ける状況じゃないんだ」
レッドはカノンの肩をポンポンと叩いて諭す。カノンは薄く長く息を吐いた。
考えるまでもなく、レッドの言う通りだ。
カノンに出来ることは殆どなく、またああして魔法が使えるということは多少なりとも余裕があるということである。
カノンは不安が霧散していくのを感じた。
「……ごめん……」
「分かるよ。大事なものは守りたい……我武者羅に」
彼は肩を叩くのをやめてカノンを抱きしめた。
突然のことに彼女は驚く。
「れ、れれ、れっ」
「もう少ししたらピンショー様に友達のことを話しておくから。
今は馬の手配とか、色々と立て込んでなあ。
まあここも軍の施設なんだしなんとかなると思うが」
温かい腕の中、茹だった頭でカノンはここが軍の施設であることを知る。
「やっと動かなくなったな……よしよし。もう少し休むんだ」
レッドは抱き締めたままの彼女の背中を優しく撫でる。
そしてつむじにキスを落とした。
「ひぇ!?」
「あっ、悪い。つい」
「つ、ついって! こ、こら!だめ!」
恥ずかしさからカノンは身を捩るが、レッドは爽やかに笑うと己のピアスを撫でた。
「全然躾け起こらないもんだな」
そういって彼はフッと、ひどく色っぽく唇を歪める。
キスを嫌がっていないと言われカノンはますます顔を赤くした。
「嫌、とかじゃ、でも」
「しかし……どこまで平気なのか今まで試してたが……本当に全く……」
レッドの指がカノンの首筋を撫で流れるように鎖骨を撫でた。
「レッ、ド」
「そんな可愛い顔するなよ」
彼の指は鎖骨を何度も往復しカノンの肌を擽る。
彼女の体の力はすっかり抜けてレッドに身を預けていた。
やっぱりレッドになら何されても……どこまで触れられても……
「レッド! 何回も呼んでるのに」
扉がガチャンと開いて、コミが現れた。
カノンは慌ててレッドから離れようとするが腰を掴まれていて動けない。
コミはそんな2人の姿を見て愕然とした表情になる。だが何も言わないでそのまま背を向けた。
「お邪魔しました…………」
「ちが! 待って!」
「なんちゅータイミングだ」
「あの〜……カルパティアもいるから……あんまり……ね……それだけ……。
では……」
「お願いです! お待ちください!」
コミは頬を染めながら「ええっと、あまり野暮なことはしたくないのだけど……」とブツブツ呟いている。
「い、いかがわしいことじゃなくて……スキンシップ? てきな?」
真っ赤になって首を振るカノン。
それを見下ろすレッドは唇を歪め愉快そうにしていた。
「そうだったのか。いやあてっきりそういうつもりかと……」
「な、何言ってんの」
「カノンが望むなら俺はなんだってするから。頑張るよ」
「何を!?」
レッドは楽しそうに笑う。カノンはただただ恥ずかしかった。
彼の手から逃れた彼女はコミの側に駆け寄る。
「えーっと、それで、何か用があったんだよね?」
彼女は咳払いしながらコミに尋ねた。
「うん。でも全然後で……多分大丈夫だし……。あ、カルパティアには聞こえちゃうと思うから声は抑えて……」
「いや! 違うんです! 許して!」
「ピンショー様が、起きたのならカノンに会いたいって。
1時間後とかにって言っておこうか?」
「いいい今すぐ会いましょう! ね!?」
「あんまり揶揄うなよ」
すぐ横でレッドの声がした。カノンは慌てて距離を取る。
そんな彼女にレッドはクスクス笑いながら尻尾を振った。
「悪い悪い。歯止めが利かなかった。
いやあ、落ち着かせようと思っただけなんだけどな……」
目を細め嬉しそうにする彼に、カノンは何も言えなかった。
レッドを責められまい。自分もかなり流されていたのだから。
「……ぴ、ピンショー様に会う……」
「そうしましょうか。
元気そうでよかった。少し……ううん、かなり辛かったよね」
コミは悲しげな顔でカノンの左目を見ていた。
思わずカノンは首を振る。
「ピンショー様が治してくれたから全然痛くない。
確かに目玉が溶け落ちた時は怖かったけど……もう大丈夫だよ」
「……ごめんね。私たちあんまり強くないの」
「そんな! あの化け物を倒せるんだよ? 強いよ……私なんて逃げることもできなかった」
「うん、でもきっとカルパティアなら」
沈んだ声でコミは呟く。
ふとカノンは疑問に思った。カルパティアはやたらと強い……らしい。
私たちあんまり強くない、ということはそこにレッドも含まれている。
何故あの幼い少年とコミやレッドは力量差があるのだろうか。
「コミ。今はそんな話ししてる場合じゃねえだろ」
「あ、うん。そうだよね……。
行こっか」
カノンは一瞬ドキリとした。
レッドの表情がわずかに険しく、声音が低くなった。
だがコミに腕を引かれ結局その真意は読めない。
お伽話の続きに何があるのか。