その熱は心を溶かす
—スイブンさん。ごめんね。
どこからか賀仁の声が聞こえる。
—俺のせいでこんなことに巻き込まれてしまった。
「……鳴滝くんのせいじゃ……ま、半分は違うよ」
—そうだね……。ああ、スイブンさん。本当にごめん。でももう行かないと
「待って……。どこに居るの、大丈夫なの?
魔王のところ?」
—こっちは大丈夫だよ。俺はスイブンさんが心配だよ
「私も大丈夫。ね、何が起こってるの」
—俺にもよく分からない。でも多分俺は大丈夫だから。元の世界に帰ろう。
「うん。私、鳴滝くんのこと探すね」
—俺も探すよ……
「……元の、世界に帰ろう……」
そう言って、自分が言葉を口に出していたことに気が付いた。
寝言を言っていたようだ。
徐々に思考がクリアになる。今のは夢……ではない?
カノンの知っている賀仁にしてはしおらしかった。
普段の彼なら軽く謝るだけだろうに、予想外にも反省しているようだった。
……今のはなんらかの魔法だろう。
賀仁に魔法が使えると思えないが……何か、夢で会える手段がある……?
「カノン、起きたのか」
横を見るとレッドが寝そべっていた。
少し驚きつつもカノンは頷く。外は明るくなっていた。
「おはよう。
夢……かな。魔王に攫われた友達と会話してた」
「……交信の魔法か……? となるとそう遠くはないな……」
「近くにいるの」
「多分な。つっても街なのか山なのか海なのか……。
どこに隠れてんのかまでは分かんねえな」
「そっか……」
カノンはフッと息を吐いた。
早く賀仁を助けないと。彼は多分大丈夫と言っていた。確実に安全ではないのだ。
「ピンショー様ならきっとなんとかしてくれるから」
「その人凄い人なんだね」
「一応俺たちの部隊を仕切ってる訳だしな。
血筋も古くて……まあ、よく分かんねえが魔法に強いらしい。
村一つ分の結界張ったりもしてたから、凄い人には間違いねえよ」
彼はカノンの頭を撫でる。
「オマエの足も治してもらって、友達も助けて、元の世界に戻してもらおう」
「……うん。ありがと」
「どうする? もう起きるか?」
「うん」
カノンの脇に手を入れるとレッドは軽々と持ち上げた。
彼女を奥のダイニングに連れて行く。
「なんか食うよな。つっても、美味いもんは無い。
半獣用の栄養だけは沢山ある不味い食いもんだけだ」
カノンは椅子に座りながらキッチンの棚を漁るレッドを見つめた。
フワフワの尻尾が揺れ、大きな耳がパタパタと動いている。
肘の下から手の甲まで銀色の毛で覆われているその姿はどこか犬を思い起こさせる。
可愛い犬……。カノンが実家で飼っていたポメラニアンは非常に人懐っこく可愛かった。
しかし多分、レッドやコミやカルパティアは可愛いだけじゃない。
あの化け物相手に武器も持たずに戦っている。強いのだ。
そんな彼等を奴隷として扱う人間は多分もっと……。
果たしてそれはカノンと同じ「人間」なのだろうか?
「カノン? どうしたボーッとして」
「う、ううん。なんでもない……」
レッドはほら、と言って缶詰を差し出してきた。中にはビスケットの浮いたスープが入っている。
「ありがとう」
カノンは礼を言って一口飲んでみた。
……見た目ほど悪くはないが……。
「ま、栄養はある」
カノンの表情から察したレッドがスープを啜りながらそう言った。
簡素な食事が終わると着替えを差し出された。
女性ものの下着まである。
「コミが支給品を貸してくれた。サイズ合うか?」
少し大きそうだがブラトップだし、そこまで問題はないだろう。彼女は頷いた。
ベッドの上に着替えを並べ片手でなんとか着替えを始める。だがシャツを脱ぐのすら一苦労だ。
下着も履き替える。
半獣用の為お尻の部分にスリットとボタンが付いていた。ここから尻尾を通してボタンを留めるのだろう。後ろが空いている状態になるので心許ない。
更なる鬼門はズボンだ。
隊員用のズボンの為か固い素材でできているせいで、うまく上がらない。両足を伸ばすことも出来ないので布団に足を伸ばしてズリズリと地道にズボンを上げて履く。
「カノン。悪いが時間切れだ」
「へっ!?」
奥の部屋で待機していたレッドがやれやれと首を振って現れた。
「もう俺行かねえと」
「ひ、ひとりで出来るから」
「誰か入ってきたら困るだろ。コミとかカルパティアならともかくピンショー様だとお互い気まずいだろうし」
彼は慌てるカノンのズボンを掴んで腰まで上げた。
それからズボンのチャックを上げボタンを留める。
半獣用のため、やはりズボンにもスリットがありそこから臀部が見え隠れしてしまう。カノンは慌ててシャツで隠した。
「……その、いい、平気」
「俺オマエの裸見てんだからさ……」
「それはそうだけど! いや、じゃなくてね。
一人で出来るようにならないと」
「大した手間じゃないし、どっちかっていうとこのままのオマエを置いていく方が……あまり良くないな」
ゴワゴワとしたシャツのボタンを外したレッドはカノンの腕に袖を通していく。
レッドの手の熱に彼女の胸が早鐘を打つ。
「……ごめん」
「オマエもうちょっとドーンと構えてろよ。身の回りの世話させてあげてるのよ、くらいにさ」
「それは無理だよ」
レッドは丁寧にボタンを留めていく。カノンは恥ずかしくなって目を逸らした。
これはまるで……。
「慣れない?」
「……照れ、る。
でも、レッドは私が嫌がることしないって分かってるから。
これはもう条件反射というか……それこそ気にしないで……」
「ああ。俺はカノンの嫌がることは絶対にしない」
そう言ってからレッドはカノンの首筋を撫でた。
いつもの慰めるような触り方ではない。もっと、別の目的を持った触り方。
「カノンが望むことをする。望むならな」
彼はボタンを上まで留めると真っ赤になって硬直しているカノンに「じゃあ行ってくる」と爽やかに微笑んだ。
カノンは何も言えない。ただ頷いて閉まるドアをジッと見ていた。
それから徐にベッドに倒れこむ。
首筋を触られた時ですらレッドの躾けは発動しなかった。それはそうだろう。レッドもそれを分かっていて彼女に触れている。
カノンは羞恥で半泣きになった。彼に触られても躾けは発動しない。多分どこまで触られても。
自分は痴女だったのだろうか……。
いや、そんなはずはない。以前ちょっとしたアクシデントで賀仁に二の腕を触れられた時思わず振り払って、その手が彼の目に入ってしまった。軽い傷害だ。
賀仁は泣きながら「わざとじゃないんです」と謝っていた……あの時は可哀想だったなとカノンは回想する。
他の男、いや女からだって自分はあまり触られたくない方だ。それなのにレッドには二の腕を触られるどころか、彼女から抱きついてすらいるのだ。
会ったばかりだというのに……彼が人間に危害を加えない躾け、をされているからだろうか。
いや違う。初めて会った時、彼はカノンを助けてくれたから。それだけで彼女はレッドに全幅の信頼を寄せているのだ。彼は単に人間を助けなければならないという躾けに従っただけなのだろう。
だとしても……。
そこまで考えてカノンは息を吐いた。
このままだと自分はレッドに依存し溺れてしまう。
気を付けなくては。
と思っていたのに。
カノンは横に眠るレッドの顔を伺う。
帰って来るなり彼はカノンを抱き締め寝てしまった。確実に接触が増えている。
元々レッドは身体接触を躊躇わない方だったが……これは流石に。カノンはそう思うのだが、一方でレッドに抱き締められながら眠ると安心するのもまた事実だ。
また化け物が襲ってきた時……きっとレッドなら守ってくれるし、こうやって密着していればなお安心だ。
「レッド……」
カノンがそっと名前を囁く。するとレッドは身じろぎした。起きてしまったようだ。
「……どうした……」
「ごめん、なんでも」
「眠くないか。ま、そりゃそうだよな。
俺が帰るまで寝てただろうし……でもここにいろよ。
なんかあってもこうしてれば守れるから」
「……あのね、レッド。
躾けなんて絶対しないから……私が横でモゾモゾしてたらゆっくり休めないでしょう? 私奥の部屋にいるよ。
なんかあったら叫ぶし……」
「奥の部屋にいたいのか?」
「そうじゃないよ。
レッドにゆっくり休んで欲しいってこと」
カノンは恐る恐るレッドの頬に手のひらを当てた。彼は頬を摺り寄せる。
「ならここに居てくれよ。
手の届く範囲にいないと不安だ」
「でも」
「頼むから……。オマエが側を離れた方が眠れなくなる」
「……分かった」
レッドの頬に触れていた手を今度は彼の手に持っていく。そっと手を繋ぐと彼は握り返した。
硬い皮膚だ。
「私も嫌なことは言う。だからレッドも嫌なことは言ってね」
「分かった」
「絶対だよ」
「分かったって」
彼は耳を少し下げながらクスクス笑った。
カノンは不服そうにしながらも目を閉じる。
眠くはないが大人しくしていよう。