その怪我は治らない
「ニンゲンが……大丈夫なの」
「全然大丈夫じゃねえよ。
異世界の魔王の隠れ家から来たらしんだけど全身ズタボロで、しかも魔法がかかってるっぽいんだよ」
「そうじゃなくて……私たちみたいなのに触られて嫌でしょう……」
「平気だろ。裸見られた時は嫌がってたけどそれ以外は大人しくしてた」
「裸見たの!?」
「あんま大声出すなよ……」
レッドと、女の人の声だ。カノンは目を開けた。
輝く銀色の彼の横に、白っぽい女性がいた。
大きな耳と尻尾はレッドと変わらないが、手は普通の女性の手と変わらない。指が節のところで歪んで変形して見えるが……半獣の形体にも様々あるのだろう。
「ほらー、起きちまったじゃねえか」
「ごめんなさい……?」
女性は首を傾げながらも謝る。
カノンは身を起こそうとしながら答えた。
「いえ、元々起きてたので」
「……私たちの言葉分かるのね」
「そういえば」
ここに来てから言葉の壁は感じていない。
何故だろう。
「魔王の隠れ家の力?」
「最初から俺と話せるし、そうだと思う」
女性はカノンの横に立つ。
カノンはなんとか起きようともがいていたがそれを制止した。
「そのままで平気ですよ。
私はコミ。今あなたの体を治しますね」
女性はフワフワのプラチナブロンドの髪を後ろに結び、おデコを出し、真面目そうな印象を与えていた。歳は30手前……20代後半くらいだろうか?
獣の耳にはレッドと同じ銀色のピアスが一つ付いている。
目付きは鋭く、いかにも軍人といった出で立ちだ。
だが口調は柔らかく何より今もカノンのことを気遣ってくれている。
「私は、水分火音です……」
「ミクマリカノンさん」
「……カノンと、呼んでください」
どうも彼等には家名の存在を知らないらしい。
レッドにも聞こえるようにカノンははっきりそう言った。
「かしこまりました。
レッド、あなたお水くらいあげたらどうなの?」
「あー、悪い」
カノンは言われて喉が渇いていたことに気が付く。
痛みや、状況の混乱で自分の渇きに気が付いてもいなかった。
「カノン」
レッドはベッドに座りカノンの肩を抱いて半身を起こした。手にはグラスを持っている。
彼女はありがたくそれを飲もうとしたがコミが慌てた様子でそれを止めた。
「レッド! あなた、気安いわよ!?
同じベッドに乗らない! 承知もなく触らない!」
「オマエは細かすぎるんだよ……。
いいだろ、コイツ今手足動かせないし仕方ない」
「コイツ……!? 無礼だわ!」
「あー面倒くさい……。
カノン様は動けないそうなので私めが不躾ながらもこうして、身を起こして差し上げてるんです」
二人はギャンギャンと言い争いをしている。
カノンは目の前に揺れる水を見つめた。
もうなんでもいいから水が飲みたい。
「レッドさん、あの……お水が欲しいです」
「悪い悪い」
レッドはグラスをカノンの唇に当てた。彼女は動かせる方の手でグラスを支え一気に流し込む。
喉が潤っていく。なんて美味しいのだろう。
「ハア……ありがとうございます」
「ん」
彼はカノンの唇から溢れた水を骨張った指で乱暴に拭う。それを見たコミがまた悲鳴を上げた。
「な、破廉恥よ!」
「破廉恥って思うオマエの心が破廉恥だろ」
「女性に対してそんなベタベタしない!」
「ハー? 半獣の俺たちが人間の性別なんて気にする必要無いだろ」
「生殖は出来なくても機能はするのよ」
「オマエの方がよっぽど破廉恥じゃねえか!」
レッドは舌打ちをして顔を赤くしているカノンを見つめた。
慰めるように彼女の傷付いていない方の肩を叩く。
「気にすんな。
それよりコミ、早く治してやれよ」
「あ、ああ。そうだった。
じゃあちょっと失礼しますね……」
コミはカノンの手を取ると何か呪文のようなものを唱えた。
瞬間、体が軽くなる。痛みが和らぐのが感じられる。
「……ん?」
「なんだよ……魔法かけ終えてそういう反応やめろよ」
「いえ、なんだか……治ってる気がしない……。
カノン、ちょっと腕を見せてもらえますか?」
カノンは腕を差し出そうとした。その時違和感に気が付く。
痛くはない……が、上手く動かせない。
「あ、れ、動かない」
レッドがカノンの腕に巻かれている包帯と添え木を外した。
骨はくっ付いているようだ。痛みも無い。
だが動かせなかった。
足も同じようにしてみるが筋肉が震えるだけだ。
「おい、失敗してんなよ」
「失敗してない。
魔王の魔法が強すぎるんだ……」
コミはグッと赤い唇を噛んだ。悔しいのだろう。
カノンは気遣うように彼女の金色の目を覗き込んだ。
「痛くなくなっただけでもすごく楽になりました。ありがとうございます」
「……ごめんなさい。
私の力ではどうしようもなくて……。
ピンショー様ならきっとどうにか出来る、かも」
「ピンショー様?」
その名前を聞いたレッドはグッとカノンを抱く腕に力を込めた。
「……いずれ報告しなきゃいけないからな……」
「もしかして例の直属の上司ですか?」
「ああ。まあオマエには危害を加えないから大丈夫だよ」
「あなたたちには?」
カノンの質問に二人は顔を曇らせた。
「危害は加えないけどな……」
「底が浅い人だから害があるわけじゃ……ただ……うーん……」
気になる言い方だ。カノンが伺うようにレッドを見るとまた「大丈夫」と呟いた。
本当に大丈夫だろうか……。
「早いうちに報告した方がいいわよね」
「ああ……多分」
「それまでカノンはどうしましょうか?
私の宿舎に来る?」
「は? なんでだよ」
「性別は同じなんだし、その方がいいでしょう」
「でもコイツ……あ、いや、カノンは動けないんだぞ。
あの距離を抱えて行くのは現実的じゃない。バケモンだって出るかもしれないんだ」
「でも今後体を拭いたりだとかするわけだし…」
「別に俺は……いいんだけど。カノンは嫌か。
なら宿舎交換するか?」
「配置換えはマズイんじゃない……?
私は中間地点にいないと何かあった時困る……レッドは魔法あんまり使えないじゃない」
「ならどうするよ」
二人は困った顔でお互い見合っている。
カノンは申し訳なく思うも、どうしたら二人に迷惑が掛からないのか分からなかった。
「あの、私、ご迷惑でしたら……どこかに行きますから」
「迷惑じゃない。むしろ居てもらわないと。魔王の隠れ家のこととか聞きたいしな」
「じゃあ……私は自分のことは自分でやりますから。
体洗うのとか、片手でも出来ますし、大丈夫です」
痛みが無くなった分、移動は出来なくてもちょっとしたことなら出来そうだ。
「でもレッドはこの通り無神経助平ですよ」
「ハア!? 誰が助平だ」
「今、女性の肩を抱いて離そうとしない人」
「これは体を支えてるだけだろ!」
「お、落ち着いてください……。分かってますから」
カノンがレッドの腕を掴むと、彼はギョッとしたようにカノンを見た。
彼女は慌てて手を離す。いきなり触っては悪かっただろうか。
「……本当に異世界から来たんだな」
「え? いや、そう言ってるじゃないですか」
「だな。
……敬語じゃなくていい。俺のことも呼び捨てにしていい。
コミに対してもな。むしろ俺がオマエに敬語を使わなきゃいけないんだ」
いきなりなんの話だ。
カノンは怪訝な顔になりながらも頷く。
「分か、った。
でも、あなたも別に敬語じゃなくていい。今のままで……」
「そうか。なら遠慮なく」
「コミも……」
「分かった。
……じゃあ、取り敢えずカノンはここに居てね。
何かあったらすぐ呼んで」
「うん」
コミは儚げに笑うと「そろそろ行かないと」と言った。
魔王軍たちがいつ襲ってくるか分からないのだ。
持ち場に戻らないといけないのだろう。
「魔法、ありがとう」
「ううん。きっとピンショー様なら治してくれるから」
「うん……」
「レッドも破廉恥なことしないでね」
「しねえっての」
「じゃあね……」
コミは手を振って出て行った。
レッドが重々しく溜息を吐き、カノンをベッドに寝かせると彼もその横に倒れこんだ。
「わ、大丈夫?」
「ん。疲れたな……。
あと3時間したら見回り交代の時間だからそれまでは寝る」
「3時間!? ごめん、私のせいで寝る時間が減っちゃったね……」
「半獣は、そんなに寝なくて良いんだ。楽で良いだろ」
レッドはニヤリと笑う。鋭い犬歯が見えた。
それにつられるようにカノンもフッと笑った。
「だね……」
「オマエも寝てろよ。
ピンショー様いつ来るか分かんねえし……」
レッドはカノンの頭を乱暴に撫でた。
彼女は分かったと頷いたがふと疑問が浮かぶ。
「……あの、ここで、寝るの?」
「その為のベッドだろうが」
「わ、私、椅子に座ってるよ」
「なんだ、なんかやりたいことあんの?」
「いや……だって、その、一緒の布団で寝るのは……」
カノンが顔を真っ赤にして囁くとレッドはああ、と頷く。
「慣れろよ。俺たちはオマエに何かしないから」
「そうかもしれないけど! でも私は、恥ずかしい、し。
お、男の人と接触したり、する機会、そんなに無かったから」
そう言ってからカノンは益々顔を赤くする。
「俺のこと男だと思うからだ。子犬だと思えば良い」
「そんなに可愛くない」
「失敬な。
コミも言ってただろ? 生殖は出来ないんだって。
安心しろって」
「き、機能はするって……」
「……抱こうとすれば抱けるよ。
でも繁殖は出来ない。
それに人間相手に襲わないように躾けもされてる」
その言葉にカノンは恥を感じた。照れではない。
自分の言動はレッドの、半獣の立場を考えていない言動だったと思ったのだ。
彼等の躾けがどんなものか知らないがきっと酷いものだ。
繁殖が出来ないというのも恐らく人間の手によるものだろう。自分たちの手に余ることのないよう個体数をコントロールしている……。
「……ごめん」
「なんで謝る」
「無神経だったから。
私に……人間に何かすることがないように、されたのに、信じないのは酷いことだと思った」
「ああ。別に良いよ。
ただ人間に男として扱われるのは変な気分になるな」
「ごめん」
「変だけど嫌じゃない。
俺だって躾けられてなかったらとっくにカノンを襲ってる」
「うん……うん?」
「流石に怪我人にどうこうしねえよ」
「いや、え、あ、そう」
「お休み」
「お、お休み……」
瞬く間にレッドから寝息が聞こえてきたが、カノンは眠ることも動くこともできず、息を詰めてジッと天井のシミを眺めていた。
無神経助平……言い得て妙だ。