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誰もこうはなりたくなかった

夜。

カノンはまたレッドと同じベッドで寝ていた。

流石にこれはもうおかしいと思う、と伝えたがレッドが悲しそうな顔で黙ったまま彼女の瞼を撫でるので何も言えなくなってしまった。


レッドは横になってはいるが寝てはいない。カノンが身動ぎする度に筋肉がびくりと動くし、物音がするとサッとそちらに意識を向けているのが分かる。

彼は恐れているのだ。また知能のある魔王軍がやってくることを。

そしてそれはカノンにはどうしようもできなかった。例え見張りの時間まで休んだ方がいいと思っていても、彼の不安がわかるだけに無責任なことは言えなかった。


とは言え密着する必要はない。


「……何かあったら私もレッドのこと呼ぶから……」


カノンはチラリとレッドを盗み見る。彼は真っ直ぐ彼女を見つめていた。


「カノン」


レッドの腕がカノンの体に回された。


「俺は、オマエを元の世界に帰す使命がある。

もう傷付けたくない」


「ありがとう、でも、そのー……ここまでしてもらわなくても」


「オマエのことを何度も何度も危険な目に合わせている。これ以上はダメだ。

……頼むから、俺の手の届くところに居てくれよ」


ギュッと苦しいほどにカノンを抱き締めるレッド。

その仕草はまるで幼子を守る母親のようだった。

しかし、だとしても羞恥は覚える。カノンは顔を赤くしたまま首を振った。


「じゃ、じゃあ、ほら、抱き締めなくても、ね?」


カノンは恥ずかしさからレッドの鍛えられた腕を掴んで離させようとする。

その様子をレッドは不思議そうに眺めた後、ああと頷いた。


「良い匂いだ」


「へ?」


「カノンが望むことをするって言ってるだろ」


レッドの指が、カノンの内太腿を撫でる。


「昼間の時もそうだった。望んでいるなら求めれば良い」


喉が詰まった感じがした。カノンは、どうしたら良いのか分からず身を捩る。


「な、なにを、お触り禁止だからダメ! へ、変態!」


「……なあ、俺たち半獣はさ、耳も良いけど鼻も良いんだよ」


「う、ん?」


「どんなに誤魔化しても無駄だってことだよ、カノン。

会った時からずっとオマエからは良い匂いがしてる」


彼女は暫く口がきけなかった。

良い匂い?

不意にカノンの脳裏にいつか見た犬の話がよぎった。彼等はその鋭い嗅覚で、汗や呼気といった体臭からその人が緊張している、怒っている、そういった感情を読み取れるという。

それが人と変わらない知能を持つ半獣なら? より細かな感情を正確に読み取れるとしたら?

カノンがレッドに抱いていた淡い恋心を、彼女自身が自覚するよりも前に気が付いていた?


「あ、わ、わたし」


レッドの硬い爪が当たった。カノンの体が跳ねる。


「抱きたいならそう言えよ」


「だ!? いや、そんな」


自分が煮え切らない態度をしていたのが悪かったのだろうか?

この状況は悪いとは言えないが、良いとも言えない。

それからふと気が付いた。


「も、もしかして、今まで、レッドが、いやらしーく私を触ってたのって、私の、匂いのせい?」


「うん? そうだけど」


カノンの顔がますます赤くなる。そういうことだったのか。

レッドがカノンを触るのは躾けの起こらないボーダーラインを探るためと、カノンが求めていると思ったせい。


「つまり、レッドは、別に……」


「ん?」


恥ずかしかった。彼も少なからずカノンのことを好いてくれていると勘違いしていた。

そうじゃない……そりゃそうだ。彼等とは種族が違う。

ひどい思い上がりだ。

人間に支配されてきた彼は単に人間を喜ばせようと……。

思えば彼はカノンと誰かを重ねている節があった。

レッドが望んでいるのは……?


「……私そういうことしたくない」


「カノン?」


「い、言ったでしょ? 慣れてないって……。

すぐに思い上がっちゃうんだよ……。

レッドが、望まないことをするつもりはないから」


「カノン……。

なあ、ずっと言いたかったんだが……そんなことは良いんだよ」


「え……」


「俺の望みなんてカノンが気にする必要ないんだから」


レッドは優しく微笑んだ。穏やかな笑顔だった。

その笑顔にカノンは悲鳴を上げたくなる。

何故自らを貶めるようなことを……自ら人の支配に屈しているかのようなことを。

何が彼をこうしたというのだ。

何が。

彼女の頭の中で今日あったことがフラッシュバックする。巨大な蛇の怪物、解けた目玉、発狂するマルール、正気に戻ったビアロウィーザ、カルパティアの手袋……。手袋?

その時カノンの脳裏に一つの考えが浮かんだ。

そうか、そもそも彼等は……。

彼女の頬を熱い涙が伝った。


「レッド……」


「どうした? なんで泣いてる?」


「あなた、人間なんでしょう……?」


お伽話の存在じゃない。

そんなもの最初から無かった。


レッドの動きが止まった。金色の目が見開かれる。


「何、を」


「カルパティアが、大事なものを見せてくれたんだ。

手袋、五本指の手袋。それとセットになってる耳当て付きの帽子も持ってたって言ってた。

けど、でもさ、半獣の指じゃあの手袋は付けられない……爪が鋭いから破れてしまう。耳当てだって、あなたたちの大きな耳は入れられない」


カノンは嗚咽を漏らした。


「人間の耳じゃないとアレは使えないよ……」


泣き噦るカノンをレッドは見下ろしていた。その顔は青白い。

隠していた秘密を白日の下へ晒されたのだ。


「……なんで、なんでそんなことで気が付いちまうんだよ。

知らなければ良かったのに。こんなの知らない方が良い。

知らないで異世界に帰したかったのに」


「ごめん……」


「オマエは本当、勘が良い……。

気を付けるべきだった……」


「教えて、ベーマーの村で何があったの? 半獣って何?

レッドに何があったの?」


「なんでその名前……。

そんなの知らないで良い。もう何も知る必要ない」


レッドはカノンの手を掴んだ。尻尾が警戒するように揺れている。


「知っても何にもならない」


「……教えてくれないなら、私の考えを言うね」


「言わなくて良い。聞きたくない」


彼は床に蹲り耳を塞いだ。だが彼の鋭い聴覚ではそんなことしても無駄だろう。


「ベーマーの村の人は全員半獣にされた……。

コミも、ビアロウィーザさんも、ヨガイラさんも。

ビアロウィーザさんとピンショー様は恋人だった……結婚の約束もしてたのかも」


ピンショーに行くはずだったとはそういうことだろう。

だが実際は行くことはできなかった。


「ピンショー様がビアロウィーザさんを側に置いているのは他の人にひどいことをさせないため。

レッドはされたんだね。ひどいこと。最悪なことをされた」


「違う。俺は、ひどいことなんてされてない」


「無理矢理相手をさせられた……」


だからコミはあの時、女の扱いがうまかったと言った時、絶望したのだ。

そもそもコミの中で彼が女に慣れているはずがなかったのだ。

彼女はレッドはモテないと思うと言っていた。つまりコミの把握している限り恋人などはいなかった。

かつていた可能性も低い。8年前にここに来たとレッドは言っていた。13歳の時だ。

それまでの間に女性慣れするような出来事があるとはとても思えない。


「違う!」


レッドは素早く立ち上がりカノンをベッドに押し倒した。


「違う! 違う! 俺は役に立っただけだ!

ひどいことじゃない! 役目を果たしたんだよ!」


躾けのせいで抵抗も出来なかっただろう。


「俺は、半獣だ。もう人間じゃなくなったんだ。

武器だよ俺たちは。動いて、少しの知能があるだけの武器。

それ以上でもそれ以下でもない。

武器として役に立たなければ他で役立たなくちゃならない。

あの時は、16なのにまだ戦い慣れてなかった俺に、他の役目を充てがわれただけだ。ひどいことじゃない。仕事だ、役目だ」


レッドはそう言いながらこれ以上余計なことを言わせないようにとカノンの首を絞めた。


「レッド……ッ! 苦しい……!」


「違う。違う。あれは役目だった。無理矢理じゃない」


「レッド!」


カノンはもがきながらレッドの手を掴んだ。彼はハッとし、慌てて体を退かす。


「あ……俺……。カ、カノンを傷付けるつもりなんか……」


「分かってる……。ごめんね、私が余計なこと言ったから」


「カノンを傷付けたくない……。もう誰も死んで欲しくない。

シラカミも居ない。カーディナル……妹も逝ってしまった。皆俺を置いて死んでいく」


彼の声が震え、己の体を抱えて蹲った。


「こんなはずじゃなかった……。誰もこうはなりたくなかった。

皆村を救いたかっただけなんだ。兵隊になれば補助金が出るからって言われて、村人全員施設に連れて行かれた。その年は、晴天が続いて、作物が全部枯れたから、助けて欲しかったんだ……。

気が付いたら俺たちはこうなってた。全員だ。犬と魂を分け合ったんだよ。


失敗した奴もいた。俺たちは試作だったから魔法がまだきちんと作用しなくて、背骨が犬みたいに曲がってる奴とか、舌がしまえなくなるほど長く伸びている奴とか、中には、手だけ人間であと犬になってる奴もいた。カーディナルだ。失敗した奴は全員殺された。

俺は、男で、若いから、戦力になるからって後に回されたけど、歳いってる奴やまだ小さい奴は前半に回されたんだ。

皆の吠える声が今も聞こえる……。叫び声じゃないんだよ。吠えることしかできなくなってんだ……。


生き残っても、結局は醜い獣の姿だ。

ビアロウィーザは絶望して狂った。ギフォードの奴に捨てられると思ったんだよ。

コミも、自分の体を噛むんだ。それを自分で治す。ひどい時は指を切断する。

こんな風になるなら誰も兵隊になろうなんて言わなかった。施設になんか行かなかった……」


カノンは涙を流すレッドの体を抱き締めた。彼は一瞬怯えたように肩が跳ねたが、同じように泣いている彼女を見つめキツく抱き締め返した。


「カノン……これは、全部悪い夢なんだ。

元の世界戻ったら忘れて。オマエの幸せな生活にこれを持ち込むなよ……」


彼女は返事をしなかった。

忘れるものか。この痛みは絶対に忘れたりしない。

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★★個人サイトでも小説投稿しています★★ 小説家になろうには掲載していないものもあるので是非〜
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