その少女は制御できない
カノンの居るところは小さな、崩れかけた小屋だった。こんなのが軍事施設? とカノンは首を傾げたがその崩れかけた柱を見てハッとする。
大きな爪痕。多分、あの魔王軍に襲われたのだ。
やはりここも安全とは言えない。
2人は並んで歩いている。カノンは先程の場面を見られたことがどうも気恥ずかしく、俯きがちになる。
コミもそれに気づいているのか、バツが悪そうにカノンに対して微笑みかける。
「誰かに言ったりしないから。別に、そのー……悪いことじゃない……多分」
「すみません……こんな状況なのに、色欲が……」
「し、色欲。
いえ、私が言いたいのはレッドとそういう関係になるのは……微妙かなあって」
「え?」
そう言われてカノンはハッとする。
もしかしてかつてレッドとコミはそういう関係だった……?
昔からの知り合いのようだしその可能性は充分にあり得る。
だがコミは顔を顰めた。
「なんか変な想像してるでしょ。そうじゃないわよ」
「あ、そう? ごめん。
じゃあどうして? レッドってやっぱモテるから?」
かっこいいし優しいし、さぞモテることだろう。
カノンはそう思ったが、コミは苦々しい顔になった。
「モテないと思うけど」
「そうかなあ。女性の扱いうまいけど」
「そんなはずない。だってレッドは」
彼女はそこで言葉を切った。
半獣、だから? カノンはそう思う。
半獣は迫害を受ける存在だから恋愛も自由にできない?
「……扱いうまかった?」
「……えっと、多分? 慣れてる感じがした……かも」
「嗚呼」
コミは絶望したように呻き声を上げた。
突然のことにカノンは驚く。何がそんなにコミを苦しめた?
「……半獣と、人が、愛し合っても……良いことにならない」
「どうして……」
「今に分かる」
それだけ言うと黙って歩き出した。
カノンは苦しげなコミの後ろ姿を眺め、そしてその後を歩いた。
コミは外の馬車の前に立つピンショーを指し示した。彼女に手を振りピンショーの元まで駆ける。
「すみません、お待たせしました」
カノンが声をかけるとピンショーと……その後ろからバンビのように大きく、青い瞳を持った少年が現れた。
短い金色の髪で、勲章がビッチリ付いた軍服を着ている。ピンショーと同じかあるいは上の階級だろう。
「初めまして……君がカノンさん?」
声が柔らかく高いことでカノンは間違いに気がつく。女の子だ。恐らくカノンより年下の。
「は、じめまして」
「オレはマルール。君は異世界から来たんだってね?」
「ええ、そうです」
「やだな、そんな畏まらなくていいよお。
確かに階級は高いけど……でも親の七光りってやつだからさ」
マルールは爽やかに笑うとカノンに手を差し出した。カノンはその手を握る。
熱く柔らかい手だったがあちこちに豆ができている。
「よろしくね?」
「……よろしく」
何を? と思いながらも頷き、手を離す。それにマルールは満足そうに笑った。
「しかし魔王軍は困ったものだね。知能を得るとは。
ピンショーさんはどう思う?」
「力を付けた、ということでしょう。
早急に見つけなくてはドンドン力を付けていきますよ」
「だよねえ。
ハア……一先ず馬車を手に入れて……もうちょっとこっちに戦力回してもらう?」
「念のため各地で捜索した方がいいかもしれませんよ。特に辺境の辺りなんか隠れやすそうですし。
またミクマリカノンさんと連絡を取ったようで、居場所は特定しつつありますが……これは囮かもしれない」
「なるほどねえ。じゃあそうしよっか」
彼女はフンフンと頷いている。ピンショーが明らかに年下であるマルールに敬語を使っていることから、彼女の方が立場が上であることは察せられる。しかし彼女の方は経験の多いピンショーの意見に耳をしっかり傾けていた。
どうも掴み所のない少女ではあるがそういった点は弁えているらしい。
「そしたらー……オレたちは罠かもしれないけど魔王に攫われた人のところ、行ってみよっか?」
「そうしましょう。
ミクマリカノンさん、どうしますか?
あなたがもし不安だというのなら近くの軍の施設に居てもらっても構いません。
移動している我々よりはしっかり守れます」
目が溶けたことでカノンが戦線離脱すると思っているのだろう。
きっとピンショーはカノンの意思確認をする為に呼んだのだ。
彼女自身もここで抜けてどこかでじっとしていたほうが良いのではないかと考えてはいた。
だがカノンは何もしていない。カノンがしたことよりも、してもらったことの方がずっと多いのだ。
恩義を感じていた彼女はそれが返せたと思うまで隊の中に居させてもらいたかった。
何より賀仁のことがある。ここは友人であるカノン自身が迎えに行くべきだと、そう思ったのだ。
「足手纏いでしょうか、私は」
「いえそんなことは……。
平気なら一緒に来てもらえると助かります」
「なら行きます。友達が心配ですから」
「そうですね……。でもきっとご友人は大丈夫ですよ。
魔王があなたを殺さなかったということは彼も殺されない可能性が高い」
ピンショーは安心させるように軽く微笑んだ。
魔王の目的が分からない以上安心するのは早計だが、それでもカノンは力を抜いた。
確かにその通りだ……それに賀仁自身も「大丈夫」と言っていた。その言葉を信じるしかない。
「……ん」
「どうかしました?」
「いえ。あの……。
あ、私、友達から交信の魔法があったこと話してませんよね? どうして分かったんですか?」
「交信の魔法を使うと分かるんですよ……。魔力が揺れるので」
ピンショーが榛色の目を閉じた。
「内容までは分かりませんから安心してください。
ただ使っていることがわかるだけです」
「秘密にするようなことじゃないです。
自分は大丈夫とか、迎えに行くとか……そう言って……しょげてました」
賀仁が泣いていたことは言わないでおいた。カノンの優しさである。
しかし、賀仁は恐らく交信の魔法を使うと周囲に知られるということを知らない。
だから使うのだろう……いや、そもそも何故賀仁は魔法を使える?
「私から友人に交信の魔法は使えないんですか?」
「あなたがご友人の持ち物を持っていれば出来ますが……」
カノンは首を振る。本を借りたりもしていたがついこの間返してしまって手元には無い。
そもそもカノンの手荷物はこちらに来る時にあの館に全部置いてきてしまった。
同時に合点もいく。賀仁がカノンに交信の魔法を使えるのは、カノンのカメラを持っているからだ。
「持ってないです……」
彼女はがっくりと項垂れる。この間まで持っていたのに、悔しくて堪らない。
「も、持っていたとしても、魔法を使うのってコツがいりますから!
もしかしたらミクマリカノンさんは使えないかもしれない」
「え? 逆に使えるようになります?」
「どうでしょう。向き不向きがありますから……。
教えても良いですが……向いてるかな……」
ピンショーはうーんと首を傾げカノンを見つめる。金の髪が揺れた。
適性があるかどうか見極めようとしているらしい。
そうなると賀仁は魔法に向いていた、ということだ。そして誰かから魔法を教わった……。
「まァ、使えなくても大抵魔法道具があるから大丈夫だよ? 交信の魔法は分かんないけど」
マルールが慰めるようにカノンに言った。
「魔法道具?」
「そそ。んーと、レッド・ベーマーたちと一緒に居るんだよね?」
ベーマー。カノンはハッとする。
レッドの家名、いや、村の名前だ。
本人からではなく人伝に聞いたことを申し訳なく思いながらも彼女の質問に頷く。
「ならよく見てるんじゃないかな。
ピアスしてるでしょ? あれも魔法道具だよ。
本来なら呪文を唱えて奴等にお仕置きをしないといけないところを、ピアスが人間の感情に反応して勝手にやってくれてるってわけ」
便利でしょ? と朗らかに笑う彼女に、カノンは怖気が走った。
この少女はあちら側だ。レッド達を虐げることに疑問を抱いていない恐ろしい人々。
カノンの慄いた表情を見て、ピンショーは何を思ったのか分かったのだろう。
彼は悲しそうに眉を下げた。
「……ミクマリカノンさん。
そろそろ戻りますか? 馬車の手配が済んだらすぐに移動します。それまでは休んだ方がいいでしょう」
「そう、します」
ピンショーがそっとカノンの背中を押した。彼女は振り返らないで来た道を戻る。
あんな、カノンよりも年下の少女なのに、半獣達の置かれた残酷な状況に疑問を抱いていない。いやむしろそれが当然だと思っている。
それだけここでは当たり前のように半獣達が見下され、傷付けられているのだ。カノンを救ってくれた彼らのことを。
*
カノンがふらふらと歩いていると目の前に影が下りた。
顔を上げると、そこには腰を抜かしそうになる程美しい男がいた。
ヨガイラだ。
神々しさすらある男はカノンに対してフッと微笑んだ。
カノンの手が勝手に合わさり、拝むような形になる。
「ありがたや……いえ、ありがとうございました。
助けてもらいましたよね」
彼女は手を擦り合わせながらお辞儀をする。完全に拝んでいる。
こんなに綺麗な人がいるなんて……カノンは自分の汚れたスニーカーを見つめながら思った。
是非描いてみたい。彼をデッサンするのはさぞ楽しいだろう。いやこの美しさの再現は難しいだろうか。
歳は幾つくらいなのか。30はいってないと思われる。
コミと同じ歳くらい?カノンは再度ヨガイラを見る。
何歳と言われても驚くような驚かないような、そんな神秘的でどこか危うい美しさがあった。
彼のせいで人生を狂わされた人も多いだろう。
「ファムファタル」という言葉が脳を過ぎる。あるいは「ベニスに死す」のタジオや「九月が永遠に続けば」の亜沙美のような……。
カノンが拝みながら悩んでいるとヨガイラが覗き込んできた。美麗な顔が近付いてきたことに驚き、カノンの白い喉から悲鳴が漏れる。
「グワッ!? あ、いえ……びっくりしちゃって。すみません……」
彼女は謝るがヨガイラは何も言わない。
そういえばさっきから彼は一言も言葉を発していない。
「もしかして私の言葉通じてないですか?
あー……レッドに、お願いして……」
門の魔法とやらが効いてないのかもしれない。そう思ったカノンはレッドを探そうと歩き出そうとする。
しかしヨガイラは彼女の前に立ち塞がり、喉を反らした。
カノンはまた驚く。その喉には首輪のようにぐるりとギザギザの紋様が刻まれていたのだ。
「なにそれ……」
戸惑うカノンに、ヨガイラは優しく笑う。
「まさか、声が出ないように……」
彼は微笑んだまま頷いた。その仕草にカノンは遣り切れない怒りを感じる。
どこまでも非道だ。何故そんな……。
ヨガイラの耳についた大量のピアスも、喉の紋様も、全てが恐ろしかった。
それらは人はどこまでも残酷になれるという証な気がした。
カノンが動けないでいるとヨガイラは唇を動かした。だがカノンにはなんと言っているのか分からない。
声は日本語だとしても口の動きはあちらの世界のもののままなのだから。
「ごめんなさい。何言ってるか分かんない」
「ヨガイラ!!」
カノンの言葉に怒りの声音が被さった。
振り返るとマルールが、怒りに満ちた瞳でヨガイラを睨んでいた。
「また勝手なことを……ッ! 何回言ったら分かるんだよ!」
そう叫ぶとマルールはヨガイラに手を伸ばした。
突如彼は苦悶の表情を浮かべ床に崩れ落ちる。この姿をカノンは見たことがあった。
そう、カルパティアに誤って躾けが発動してしまった時のような—。
「待って、やめて下さい! どうしていきなり!?
私が話してただけです!」
「それが悪いんだろ!? 私に許可なく人とッ! 女と話した!」
マルールの青い瞳がギラギラと、異様な輝きを放つ。
「それの何が悪いんですか!」
「悪い! コイツはオレの物なんだ! オレの! オレだけの!」
マルールが金色の髪を掻き毟る。喉から唸り声が漏れた。
その不気味な変貌にカノンの体が硬直する。
マルールは何を言っている?
「話すなって言ってるのにィ! なんでッ!」
小柄な少女は発狂したように体を震わせる。
ヨガイラは苦しげに体を折り曲げ地べたにうずくまっている。
「わ、分かった。もう話さないです。彼とは……」
「言葉を、奪ったのに……全部、全部奪って、なのにヨガイラは」
「もうやめて……」
そうしてカノンはハッとした。
ヨガイラの首の紋様はマルールによるものだ。
「……なぜ、そんなことするの……」
「うるさい! うるさいッ! うるさいッ!!
なんで女が来るんだ! なんでお前みたいなのがッ!
お前みたいなのがオレから奪うんだ! オレからッ! クソ!」
マルールが髪を振り乱し怒鳴り散らす。
カノンはどうしたらいいのか分からず、とにかく刺激しないようにヨガイラから離れマルールに近付く。
「私はあなたから何も奪わないから。落ち着いて。
ね?」
カノンが恐る恐るマルールの肩に触れる。彼女はギョッとしたようにカノンを見たが、荒い息を続けるだけで攻撃はしてこなかった。
「……ア……ハー……うう……」
「……大丈夫?」
「ごめん、取り乱し、た」
苦しげに息を吐いたマルールはその場にしゃがみこむ。
反対にヨガイラはよろよろと立ち上がった。
そして彼はマルールを一瞥すると、しっかりとした足取りで建物の奥へと向かって行く。
マルールは掠れた声で「ヨガイラ」と名を呼んだか彼が振り返ることはなかった。




