1話 オッサンと彼女たちの出発点
社会人って、大変だけど楽しいものだと思ってた。
田舎で生まれ育った俺は、都会での生活に憧れていた。
スーツを着て、ビシッとネクタイを締めて出勤して。
格好よくパソコンの前に座り、取引先へ電話をかける。
いくつものプロジェクトを企画、成功させて仲間と美味しいお酒を飲む。
内定をもらい、大学を卒業するまで抱いていたのはそんな幻想だった。
けれど・・・。
待っていたのは課されたノルマを死ぬ気でこなす日々だった。
初出勤の日、先輩となった人から
『自分の給料は自分で稼げ、できないなら会社のお荷物。要らない人間だ。』
そう言われ、その考えを植え付けられた。
それからすぐ、数字を上げるため取引先に死ぬ気で頭を下げる毎日が始まった。
仕事の連絡でスマホは四六時中鳴る。
深夜でさえクレームがあれば飛んでいき、土下座した。
満員電車、人ごみ。
都会には心休まる場所はなかった。
疲れやストレスはドンドン溜まるばかりだった。
そんな生活を何年も続けたある日。
電話で起こされ、寝付けなくなったのでテレビを点けるとアニメをやっていた。
主人公が異世界へ転生し、野山を駆け巡りってダラダラと悠々自適な生活を送る
ストーリーだった。
ハラハラとする冒険話とか、女の子たちに囲まれてのハーレムとか
そんなものではなく、ただただ、ゆったりと過ごすだけの内容だった。
ネットの評判はよくなかった。
だけど、俺はそのアニメを夢中になって見た。
そして、それが最終回を迎えた翌日。
俺は会社に辞表を出した。
――――――
「ねぇ、雄太。
そろそろまともな仕事についた方がいいとあたしは思うんだけど」
山道が鮮やかなオレンジ色に染まっている。
その中を軽トラで走っていると母親が隣から話しかけてきた。
日に焼けたその顔を眩しさからか、それとも俺のことで悩んでいてか
しかめながら・・・おそらく後者だろう。
「またその話?
俺は会社員よりここで畑とかやって暮らしたいって言ってるよね」
都会から田舎へ帰って来て1年。
俺に新しい職場を探す気はまったくなかった。
あのアニメのように自然の中でゆっくりと暮らす。
それ以外の選択肢はない。
「農業って博打なんだよ?
保険や保障はない。安定した収入なんてもちろんない。
きついことばっかりで何もいいところはないんだから。
あんたも30になったんだから、そろそろ自分の人生に真剣にならないと」
「だから真剣に農業やろうとしてるんだよ」
心機一転、人生をやり直す。
30歳はいい節目じゃないか。
そりゃ、20代のように体は動かないし体力もない。
辞表を出した時、上司が言ったっけ・・・。
『お前ももうオッサンなんだから。
まともな就職先はそうそう見つからないと思うぞ』
へっ、うるせえクソ野郎。
アラサーだって、やればできるんだ。
数字とお金のために、理不尽に頭を下げ続けるのはもうごめんだ。
そりゃ、収入は不安定かもしれない。
でも、独身男1人。
農家やってれば『食事』にはきっと困らないだろう(たぶん)。
「母ちゃん。
俺はね、何回も言ってるけどもう二度と会社とか組織の中では働かないと
決めたんだ」
「はぁ、あたしと同じ苦労はしてほしくないと思ったから、
せっかく大学まで出したのに。
こんな田舎の、ちっぽけな『島』に帰って来るなんて・・・」
そう俺の田舎、ここは日本列島の西端にある、小さな島だ。
(島と言っても本土と橋で繋がってるけど)
小高い山があり、周囲は海に囲まれている。
俺の実家はその中にポツンとあって、黒崎家はそこで代々畑で作物を作り、
海で海藻や貝、魚を採って暮してきた。
「母ちゃんもさ、一回会社員やってみればわかるよ。
地獄だぜ。特に都会で一人暮らししながらだとね」
「だったら、せめて早く結婚すればよかったのに。
家族がいれば、守るものがあれば地獄でも頑張れるもんだろ?
大学の時に付き合っていた・・・ほら、あの子。有希ちゃんって言ったっけ」
その名前を聞いて、キュッと心臓が締め付けられる気がした。
俺にも大学の時から付き合っている彼女はいた。
いた、けど・・・仕事で追われる中、いつの間にか連絡が取れなくなった。
「・・・結婚できなかったのも会社の仕事のせいだよ」
「あんたがほったらかしにしたからじゃないのかい?」
うっ・・・。
今度は矢がグサリと突き刺さる。
最近、有希は都会のエリート会社員と結婚したとか噂で聞いた。
「大丈夫。農業は独身でもできる。自営業だからね。」
よくわからない理屈を母親にこねる。
うん、何が大丈夫なのか自分でもわからない。
「農家は一緒にやってくれる人がいるだけで大分違うもんだよ。
特にお嫁さんがいれば何かと助かるんだから」
「母ちゃんがいるじゃん」
「一生あんたのお守りとか、あたしは嫌」
「ちょっと、それはさすがにひどくない? 自分の息子だよ?」
「・・・ねぇ、町長さんに頼んでお見合いでもしてもらおうか?」
「ばっ、ばかっ。よよよ、余計なことすんなよ。
見合いとかそんなこと俺だけしたら・・・」
殺される、『あの3人』に。
「「「抜け駆けはするなよ、黒崎」」」そう言った『奴ら』の顔が
忘れられない。
「ま、まさか。あんた、アニメが見られなくなるから結婚したくないって
言うんじゃないだろうね!? いい歳して!」
母ちゃんはいきなりそんなことを言い出した。
確かにアニメを夜見るのは今の俺の日課になっている。
でも、それにはちゃんとした理由がある。
「待ってくれ母ちゃん。アニメを馬鹿にするな。
あれは俺の心を癒してくれる、回復魔法なんだ」
「テレビの向こうからお嫁さんはやって来てくれないよ、30にもなったんだから
そのくらいわかってくれないと」
「わ、わかってるよ!」
まったく、そのくらいの常識ちゃんと持ってるっての。
そりゃアニメや漫画、小説の女の子が別世界から現れてくれれば、
と思うことはある。
でも現実にはそんなことない。
アニメを見るのは仕事を辞めて1年経つ今でも叱責される夢を見たり、
電話が鳴っている気がして起きることがあるからだ。
そして寝れなくなる。
でも、不思議なことにアニメを見てからなら大抵幸せな気持ちで寝れるし、
悪夢もほとんど見ない。
「はぁ、あたしはもう仕送りで楽に生活させてもらったり、
可愛い孫を抱いたりすることはできないのかねぇ」
「・・・それが本音かよ。
俺だって本気で野菜作るし、孫は・・・いつか、いい人が見つかればな」
まぁ、どっちも期待せずに待っててもらうしかない。
なんせ農業はまだ初心者の域だし、結婚は簡単なことじゃない。
そもそも田舎は出会う機会が極端に少ないからね(人口も少ないし)。
そうこうしているうちに、軽トラは山道を抜けて本土へと繋がる橋を渡り始めた。
途中、窓の先に見えた水平線に沈む真っ赤な夕陽が本当にキレイだった。
―――――
・・・何てつまらない景色なのかしら。
窓の外には城下町が広がっていた。
そのずっと先へと沈んでいく夕陽を見ながら、
リリーナ・メイザースはため息をついた。
真っ白なドレスは赤く染まっていたが、彼女の心はどんよりと暗く重い。
この牢獄みたいな城で生まれて16年・・・か。
彼女はもう一度大きなため息をつくと、自分の部屋に向かって歩き出そうとした。
すると後ろから、どこか鼻につく偉そうな声に呼び止められる。
「おお、リリーナ。こんなところにいたのか」
「お父様・・・」
そこには豪華な刺繍を施された服を着て、首や腕、指に何色もの宝石を
まるで豊かさを証明するかのようにぶら下げた男が立っていた。
男はこの国の王であり、そしてリリーナの父親だった。
「部屋に行ってもおらぬのでな。探したぞ」
「すみません、お父様。夕陽を見ておりました」
リリーナはうやうやしく頭を下げる。
父は口ひげを触りながら満足気に頷いた。
「そうかそうか。ここからの景色を最高じゃろう?
城に住む者しかこれを見ることはできん。つまり選ばれた人間の特権じゃ」
「・・・そう、ですね。
私はメイザースの娘として生を受けたことを嬉しく思います」
リリーナは抑揚なく言ったが、父は気にしてないようだった。
「それでお父様。ご用と言うのは?」
「おお、そうじゃった。そうじゃった」
先ほどの会話などどうでもいい、とばかりに父は「ゴホンッ」と咳払いする。
「リリーナ、そなたも16になった。
この国の未来のため、そなたには大事な大事な役目がある」
「・・・」
「結婚して・・・子を作ることだ」
ああ、やっぱり。
予想された言葉にリリーナはむなしさを覚える。
いつか必ず言われるとわかっていたことで、それが今だった。
リリーナは生まれた時から国王の、父のための道具でしかない。
この国は男子が王となるしきたりで、一人娘のリリーナにその権利はない。
それならばリリーナの夫となる男に、となることを父は嫌がった。
父はメイザースの血のない人間を玉座に座らせたくなかった。
リリーナはある程度の年齢になったら誰かと結婚してメイザースの血を引く
男子を生む。
そのためだけに育てられた。
城からほとんど出たことはない。
城内にいて本を読んだり、侍従らとお喋りしたりする。
それが彼女にとっての16年だった。
そんな自分の人生がリリーナは心底嫌だった。
「どうじゃ、 誰かよいと思う男はおらぬのか?
父がお前の望みは何なりと叶えてやろうと思うぞ」
「・・・お父様。リリーナに気になる人などおりません。
そもそも、出会う機会などないのですから」
「ん?そうか。・・・まぁ、お前に想い人がいなければ儂が見繕うことにするか。
誰がよいかのぉ。・・・おお、そうじゃ!
公爵の息子なんかはどうだ? 仕事もできて有能らしいぞ。
ううむ、名前は何と言ったか。聞いたが忘れてしまったのぅ」
「リリーナはどういう方が存じ上げませんので」
「とにかく、一度会ってみてはどうじゃ?
うん、それがいい。決まりじゃ。早速準備をせねば」
リリーナの意思など関係なく、父はどんどん考えを進めて行く。
何を言っても無駄なことと彼女はわかっていた。
「・・・楽しみに待っております。お父様」
「うむ。この父に任せておけ。
夕食の時までには具体的な話を決めておくから。では、また後でな」
クルリと踵を返し、満足そうにそのお腹を揺らしながら父は歩き出した。
リリーナは頭は下げることなく、その背中を睨みつけるようにして見送った。
―――――――
「クラウス、お茶」
自室に戻ったリリーナは椅子へふてぶてしく座るとぶっきらぼうに言った。
中にいた老執事の男が腰を折り準備のため動き出す。
次にリリーナは入口付近に立っていた金色の髪の女に声をかけた。
「はぁ・・・どうにかしてここから逃げ出すことできないかしら。
ねえ、ユイ?」
ユイと呼ばれた女はリリーナの問いにやれやれと首を振った。
彼女はリリーナの座る椅子の傍まで来ると隣に立つ。
その腰には女性に似つかわしくない大剣を携えていた。
「姫様。ご冗談はおやめください」
「冗談なもんですか。本気です。
この腐りきった人生から逃げ出したい。
・・・そうだ! ユイ。壁を蹴破ってください。
そして穴を空けて屋根伝いにここから逃げましょう」
「そんなオテンバなお姫様。世界のどこを探してもいませんよ」
「世界中どこか探せばいるかもしれないじゃないですか。
ユイのように力持ちで、プリムのように活発で元気なお姫様だって
必ずいると思います」
「そんな噂、聞いたことがありません。
それで、何がありました? お父上に何か言われたのですか」
主従の関係にあるがユイはリリーナが心を許す数少ない人間の中の1人だ。
ユイの年齢がリリーナより少し上のこともあり、2人の仲は姉妹の関係に近い。
お互い礼儀は持ちつつも気兼ねのない会話ができる。
「はっ。結婚して子どもを産めと言われましたよ。あのヒゲ親父に」
「姫様。口汚いです。
本当のことだとしても言ってはいけないことがあります」
「構うものですか。私を、実の娘のことを権力のための道具としてしか
思っていない人物のことです。
あれに尊敬の念を抱けと言っても無理な話です」
「もしかしたら、何か考えのことあってだと思いますよ」
「国王って言うのはね、昔から相手をそそのかせてわずかなお金と
貧弱な武器や防具で自分のために世界を救って来いというような人種なの。
考えているのは自分のこと、どうやったら自分の権力が守れるかだけ。
そして、今回は私がそのために使われる番。
ねぇ、生まれた時から鎖で繋がれ、あてがわれた雄と飼い主のために
子どもを作らされる気持ち、ユイにわかる?」
リリーナは自嘲気味に言った。
「・・・すみません。
ですが、私はどんな時も姫様をお守りいたします。それが私の役目です」
「今まさに守って欲しい時なんですけど、あのヒゲ親父から」
リリーナは頬を膨らます。
何と答えていいかわからずユイは申し訳なさそうな顔をした。
「ふふっ。なんてね。すみませんユイ。少し意地悪な言い方をしました」
ペロッと舌を出しながらリリーナは微笑んだ。
先ほど父から受けたストレスをユイとの会話で少し発散できたようだった。
「姫様。お茶が入りました」
「ありがとうクラウス」
クラウスが甘い香りのお茶を運んで来て、リリーナへと差し出した。
彼女はそれをゆっくりと飲んでいく。
「ん・・・美味しい。
さて、それじゃ本当の策を始めましょうか」
リリーナは一息つくと、やる気のみなぎった顔で椅子から立ち上がった。
「は、・・・策?」
ユイはどことなく嫌な予感に襲われる。
こんな顔をしたリリーナは大抵ろくなことを考えていない。
「はい。
私が心から信頼する人間はこの世界に3人います。
剣で私を守るユイに、何でも屋のクラウス」
「すみません、姫様。私は何でも屋ではなく執事です」
クラウスがそう訂正を入れるがリリーナは構わず続ける。
「そしてもう1人、魔法使い。
そう、魔法使いのあの子が魔法でここから私を逃がしてくれます。
ね、そうでしょ? プリム」
リリーナは部屋の隅にある本棚の方を見た。
ユイとクラウスもそちらを向く。
そこにはゴソゴソと動く小さな影があった。
「ふっふっふっ。その通りだよ、リリーナ様。
ボクの大魔法にかかればそのくらい簡単さ」
不敵に笑う可愛らしい声とともに、影は暗がりからその姿を現した。
それは丈長のローブをズルズルと床で引きずり歩く、幼い女の子だった。
「プリム、準備はできてますね?」
「もちろん」
プリムと呼ばれた女の子はリリーナの前まで来ると自信満々に右手を出す。
そこには赤い水晶がキラリと輝くブレスレットがはめられていた。
リリーナとクラウスは上から覗き込み、ユイは何故か少し後退りした。
「プリム、これが何なのかユイとクラウスに教えてあげてください」
「転移魔法を使うための魔道具だよ」
「どこへだっていけるのよね?」
「うん、どこにだっていけるよ!」
リリーナは思わずグッとこぶしを握り締める。
喜びに体を震わせていた。
そして、プリム、クラウス、そしてユイと3人の顔を順番に見て、
ニッコリと満面の笑みで言った。
「壁を蹴破るのはやめです。
魔法を使って逃げ出すことにしましょう」
「は!? ひ、姫様? 冗談がきついです」
ユイは1歩、2歩と後ろへ下がる。
「私は冗談は好きですが、今は違います。
この目を見てください」
リリーナはユイを追いかけ、下からその顔を覗き込んだ。
ああ、本気の目だ。
リリーナと長い付き合いの自分だ。
彼女の表情、目を見れば彼女がどう思っているか何となくわかる。
ユイは観念するしかなかった。
クラウス、プリムも2人のところへ集まって来る。
「それで、姫様。
転移魔法と言われましたが、どこへ行かれるおつもりですか?」
そう聞いたのはクラウスだ。
いつも通り落ち着き払っている。
「遠くへ逃げたとしても、追手が来ませんか?
相手は国王で人手はたくさん使えます。
姫様の桃色の髪は目立ちますし」
「あら、ユイの金色の髪、プリムの紫色の髪、それにクラウスの白い髪だって
同じですよ」
「いえ、白髪の老人はどこにでもおりますが・・・。
まぁ、それは置いておいて。なら目立つのが4人もいれば逃げるのはさらに
難しいのではないですか? この世界のどこへ逃げたとしても」
「ふふっ。プリム、確認です。
その転移魔法は『どこに』だって行けるのですよね?」
「『どこに』だって行けるよ」
プリムは胸を張る。リリーナは頷いた。
「この世界に逃げ場がないのなら、違う世界に行けばいい・・・
と、思いませんか?」
「違う世界・・・」
「そう、こことは違う。別の世界、異世界です。
そうすればさすがのヒゲ親父も追って来れない。
まったく新しい人生を、今、みんなで異世界へ始めにいきましょう!」
「ちょ、ちょっと待ってください!
危険です。どんなところかもわからないのに」
不安な表情を浮かべるユイの手をリリーナは掴む。
「危険があったら・・・その時は、守ってくださいねユイ」
「で、でも! 何も今すぐじゃなくても!!」
「ダメです。
あのヒゲ親父は夕食までに私が逃げられないような段取りをしてくるはず。
もしかしたらユイ達を遠ざけるかもしれない。
そうなったら逃げることはできません」
「じゃ、やるよリリーナ様」
「お願いします」
ユイに反論する機会を与えないままリリーナはプリムへ命じる。
プリムは目を閉じ、右手を高く上げると呪文を唱え始めた。
右手の水晶が輝き始める。
すると足元には魔法陣が浮かび上がり、プリムだけでなく
リリーナ、ユイ、クラウスの4人全員を包み込んでいった。
「うっ、・・・ぐっ」
突然、ユイは顔を青くし、苦悶の表情を浮かべ始める。
リリーナは彼女の手を握りしめ、少しでもつらさを和らげようとしていた。
「本当にごめんなさい、ユイ。少しだけ、少しだけ耐えてください」
「準備できた。いくよ、みんな!」
水晶から目を開けていられないほどの光が発せられ、
ゴウッと凄まじい風が足元から吹き上がる。
その中でプリムは魔法を唱えた。
そして次の瞬間・・・。
リリーナ達は世界から完全に姿を消した。
――――――




