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トクソウ最前線  作者: 春野きいろ
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 ビクビクしながら本社に出勤し、作業着に着替えると、本日の仕事はもう決まっていた。

「今日は俺と榎本さんが一緒に動く。由美さんと植田さんは区民図書館の植え込み管理、片岡・菊池ペアはマンション巡回お願いします」

 リーダーの竹田さんの言葉で、それぞれが準備をはじめる。何をするのかは事前に知っているらしく、ロッカーや棚からいくつかの道具を持ち出して、ほんの数分で消えていった。

 決まった手順で日常清掃をこなすのとは、もうそこから違う。ホワイトボードには日時が決定している案件と、火急でなくとも依頼のあった案件が書き出してある。もちろん中学校でもイレギュラーな仕事はあったが、ここはイレギュラーがレギュラーなのだ。

「さて榎本さん、我々も動こうか。今日は学校の昇降口を五件やっつけるから、ポリッシャーと高圧洗浄機を使うよ。使える?」

 和香はぶんぶんと首を横に振る。触ったことすらない。

「まあ、ないだろうなあ。今日チャレンジしてみて」

 高圧洗浄機はコマーシャルでしか見たことはない。ポリッシャーは床とかタイルとかの洗浄をしているのを見たことがある程度だが、結構なオバサンが使っていたのだから、難しくはないのだろう。


 助手席に座ったバンの中は、いきなり煙草臭かった。いつ入社したのかとか管理担当は誰だったとか、当たり障りのない話題のあとに、竹田さんはポケットを探って煙草に火をつけた。

 この人、同乗者に断りもせずに煙草に火をつけた? 非常識だよね、そういうの。考えが視線に出たらしく、竹田さんは灰皿で煙草を揉み消した。

「榎本さんも吸っていいよ」

「私、喫煙者じゃありません」

 自分ながら少々つっけんどんな返事だな、とは思う。けれど煙草臭い車内で更に煙草の煙をまき散らされ、自分の肌と髪が汚れた気がする。

「おおこわ。由美さんと植田さんは煙草吸うから、トクソウは半々だな。酒は飲める?」

「弱いです」

 アルコールに関しては、自分でも把握していない。今までの勤め先では宴会のときに小さくなって、愛想笑いでやり過ごすのが精一杯だったし、連絡をとる友人とのつきあいは食事までで、ちゃんと飲んだことはないかも。

「歓迎会しなくっちゃって、由美さんが張り切ってるから。女の仲間が欲しかったみたいだよ」

 それは和香に、ハードルが高い。なるべくなら人間関係は遠巻きにして、仕事だけを淡々と遂行したい。でないと以前みたいに、いつの間にか疎外されて、居場所がなくなる気がする。


 ひとつめの小学校に到着し、まず主事室と職員室に挨拶するのは、知っている手順だ。車からポリッシャーと高圧洗浄機を降ろし、昇降口にセットした。高圧洗浄機のタンクに水を入れると、なんだか緊張してきた。

「あれ、トクソウに新しい人が入ったの?」

 訪問先の学校用務員が質問し、竹田さんが返事する。

「昨日まで舘岡中で、用務員やってた人。優秀だからって、副社長が本社に持ってきたの」

 お手並み拝見とばかりに、作業を見学する常駐用務員たちを退かせて欲しい。和香が見せられるテクニックなんて、ないのだから。


 邪魔なものを昇降口から出すと、作業のはじまりはじまり。

「洗濯洗剤?」

 驚いた和香が、竹田さんの顔を見上げる。

「昇降口は泥汚れだから、これが一番」

 さっと水を流した床に粉洗剤を撒いて、竹田さんはポリッシャーを動かしはじめた。軽々と床の汚れが落ちてゆき、ブラシが通った場所とまだの場所が一目瞭然だ。変化が目の前で見えるのって、なんだかワクワクする。

「そっちの終わった辺から、隅っこ高圧洗浄して。レバー握るだけだから、できるでしょ。撥ね返るから角度に気をつけろよ」

 指示のままに和香も作業をはじめる。長靴ゴム手袋は普段通りでも、手にしている機材が違う。デッキブラシと雲泥の差。これは面白い、と夢中になっているうちに、角が全部綺麗になる。いつの間にかポリッシャーにコードを巻き付け終えた竹田さんが、端から洗剤を水で流している。地のコンクリートが、濡れている分鮮やかになる。

 思わず見蕩れていると、手に持っていた高圧洗浄機をひっぱられた。

「それ、残った水捨てて。次の学校に移動しないと、間に合わないから」

 これで終わり? なんだか半端な気がする。

「傘立てとか、戻すんじゃないんですか」

「乾いたら、担当者が戻すの。トクソウは、日常清掃でできないことをするのが仕事」

 そうか、仕上がった結果まで見られないのは残念だなと、次の小学校に到着した。慣れない相手との同乗は辛い。全部同じ区内なので、すぐ到着するのが救いだ。

「ポリッシャー、まわしてみる?」

「いいんですか?」

 一校目でしっかり見ていたつもりだけれど、そんなに難しそうじゃなかった。要は回転するブラシを、行きたい方向に移動させるだけ。大丈夫、楽勝だ。


 高さを調節してもらって、ハンドルを握った。コンセントの横に竹田さんがしゃがみこんだのを、何故だろうと目の端に捉えながら、スイッチを入れる。ブーンとうなる音と共に、ポリッシャーが回転をはじめる。そう、回転するのだ。

 ぐいっと持っていかれる身体を立て直そうとハンドルを掴むと、上半身が振り回された。いけない、このままだと下足入れにぶつかってしまう、と足を踏ん張れば引きずられ、自分が壁に叩きつけられそうになったときに、エンジンが止まった。竹田さんがコンセントを抜いてくれたらしい。

 ぜいぜいしながら膝に手をつくと、盛大な笑い声。

「どれくらいのパワーか理解した? 次の学校でもハンドル持ってみて、コツを覚えるまで慣らしていこう」

 次の学校にも、日常清掃の用務員はいるのだ。そこでまた同じことをやれ、と? 恨みがましく見る和香の顔を、竹田さんはニヤニヤしながら見返していた。

 この人、性格悪い。会社の駐車場で練習させてくれれば良いのに。

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