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トクソウ最前線  作者: 春野きいろ
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 研修にスライドが使えるので、テキストは書き込めるように簡単に作り、PowerPointで画像やチャートを入れてみた。一通り見直した後に、明らかに説明不足だと思える部分を差し替えたりする。久しぶりのデスクワークは目が疲れて肩が凝るけれど、意外に楽しい。

 無駄じゃなかったんだなあ。仲間内の会話に入れなくて悲しかった記憶しかない会社員生活でも、まったくの無駄じゃなかったんだ。だって今、自分の中に残っているものはあるじゃないか。少なくとも事務経験がなければ、こんな風に複数のソフトを使いながらのプレゼン資料なんてできない。そしてまた、違うことに気がついた。

 これが使えるようになったのって、自力で勉強したんじゃない。誰かに教えてもらったから、操作できているのだ。複雑なテクニックは使えなくとも、基本操作を教えてもらったことは間違いない。パソコンの操作に嫌悪感がないってことは、それについてイヤな記憶がないってことだ。新入社員だったから親切にしてもらっていただけだったのか?

 固まっていく仲良しグループ、同じロッカールームにいるのに自分だけ誘われない夕食の相談、ついていけない話題の盛り上がり。隣に誰もいないことに気がついてもらえず、孤独感ばかり膨らませていたけれど、何か間違ってた?


 昼休憩に入る時間に、今日は自分からキッチンでお茶を淹れてみた。一緒に昼食を摂るつもりで、あらかじめ朝からベーカリーでパンを買って来ている。

「そこのお店、私も好き。デニッシュ系がカリカリで美味しいよね。パンが好きなの?」

「カロリーが高いのはわかってるんですが、好きなんです」

 そこでもう一声、がんばれ和香。

「おすすめのお店ってありますか。同じ店ばっかりグルグルしてるから、新規開拓したいです」

 たった一言で、話は広がるのだ。気に入ったベーカリーの話からケーキ屋の話になり、またパン屋の話に戻る。あちこち飛ぶ会話で、賑やかになる。

「そのお店、気になります。行ってみようかな」

 和香の言葉に、反応する人がいる。

「結構近いから、帰りに寄ってく? 案内するよ」

 おそらく一歳か二歳若い女の子が、にこにこする。

「じゃ、頑張って定時に帰れるように資料作るね」

 会社でのスムーズな会話なんて、はじまりはこんなものだ。返事を言い切りの形で終わらせなければ、雑談に参加できる。雑談に参加できれば、その中で気が合う人ができるかも知れない。


 これで良いだろうと作った資料をプリントアウトして、副社長に提出した。

「現場なんて一番詳しいのは和香ちゃんなんだから、誰が作るのより正解だよ。あとは竹田に見てもらってね」

 ざっと見ただけでオーケーをもらうのは、信用されているのか投げやりなのかわからない。戻ってきた片岡・菊池ペアは和香に大甘で、すごいねえ大したもんだねえと褒めるだけ褒めて帰り支度をしているし、少し遅れた由美さんは学童保育の用事があると慌てて帰ってしまった。竹田さんと植田さんが遅いなーと思いながら待っていたら、ノックがあって事務さんが顔を出した。

「榎本さん、出られる? パン屋さんに行こ、お茶飲むスペースもあるから」

 定時はもう過ぎているのだから、帰っても大丈夫。

「出られます! お茶も飲めるの?」

 バッグを掴み、すれ違うように戻ってきた竹田さんにチェックしてくれるように頼んだ。

「何、俺にだけ残業させて帰るわけ?」

 途端に申し訳なさそうな顔になる和香に、竹田さんは笑う。

「ウソだよ、まったく。トクソウ以外とも喋れるようになって、良かったじゃん」

 社内にいるときにトクソウ部の部屋から出ない和香に、竹田さんは気がついていたのか。


 紹介されたベーカリーは、小麦の香りが強くて美味しかった。少しずつ話していくうちに、お互いに好きな漫画が被っていることを知った。そうなれば会話を続けるのは簡単で、お茶なんかすぐに飲み終わってしまう。

「ああ、楽しかった。まさか社内で漫画の話ができると思わなかった」

「私も」

「榎本さんっていつも挨拶だけしてトクソウの部屋に籠っちゃうし、なんか謎の人だったんだよね。もっと出てくれば良いのに」

 嬉しい。和香のアクションは一言だけで、おすすめのパン屋を訊いたってことだ。そんな小さな一歩すら気がつかなかった自分は、なんて大回りをしたんだろう。

「さっき言ってた紅茶の専門店、今度一緒に連れてって。興味あるんだ」

「もちろん! 素敵な店なの!」

 どうせ行くのなら、水木先生よりも彼女と行きたい。

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