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トクソウ最前線  作者: 春野きいろ
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 水木先生からまた電話があったのは、その日の晩のことだ。

「ここのところ、経谷中にはいらっしゃらないんですね」

 仕事なのだから、用事もなしに行くことはない。

「周年行事のある学校もありますし、プールの清掃が早々に入った学校もありますから。これで結構いろいろあるんです」

 学校だけじゃない。公共施設もマンションもあるのだし、ひとつの施設ばかり考えてはいられないのだ。

「身体を使う仕事って大変ですね。これからの季節は余計でしょう」

「学校の先生のほうが大変だと思いますよ。生徒指導もありますしね」

 教師の仕事を実際に見ると、しみじみと大変な仕事だと思う。だからもちろん、これは本音だ。けれど、それに対する水木先生の反応はどうかと思う。

「それは、そうです。身体よりも神経を使う仕事ですから」

 なんだか、お前の仕事は身体だけ使って、脳味噌はいらないだろうと言われた気がする。たしかに教師になるのも続けるのも、大変だっていうのはわかる。けれど和香の仕事は、神経を使わないものなのか?


「今日はバードウォッチングの会のお誘いです。アカデミックな知り合いが増えますよ。再来週の土曜日はおひまですか。」

 これには即答できる。

「申し訳ありません。その日は研修会があって、出勤なんです」

 そのための資料を作っている最中なのだ。

「ああ、社員になるとコンプライアンスとかの教育を受けなくちゃなりませんからね」

 いや、それは用務員として採用されたときに一通り説明されてます。まさか現場作業員には必要ないとか思ってませんか。

「清掃と施設管理の研修です。簡単なテクニックとか重要チェック項目とかの」

 和香だって用務員になるまでは、年配者ばっかりの楽な仕事だと思っていた。でもそれは子供のころの記憶の、学校にいても教育に携わっていない自分には関係のない人ってイメージが残っているからだ。

「へえ。ただ掃除したり花を育てたりするだけで、研修なんてあるんですね」


 和香の頭に感嘆符が並ぶ。水木先生は学校の中で用務員の作業を見ていて、あまつさえ作業依頼までしていたではないか。設備の簡易補修や体育館の床の状態、生徒たちが隠れてするワルサ、植栽の手入れや建物の劣化による不具合、それを副校長先生に報告していた場所は職員室だ。離任式のときに第二理科室の片付きかたを見なかったのか。あれを、ただ掃除しただけだと言うのか。

 これは和香だけの問題じゃない。水木先生がにこやかに労ってくれたのは、作業の内容に関してじゃない。面倒な依頼をハイハイと受ける相手に、話を繋げ易くしておくためだ。もしくは友達や由美さんの言う、嫁探しのため。

「残念ですね。鳥の写真を撮ったり生態を観察したりって、楽しいですよ。自然に関するレクチャーもあるので、勉強になりますし」

 水木先生は、自分が失礼なことを言ったことにすら気がついていない。誰にでもできる仕事について学習するよりも、和香には興味のない鳥の生態を学ぶことが重要だと考えているからだ。自然について学ぶことが重要じゃないとは言わない。けれど重要さの基準は、事柄によって違うのだ。


 悪意があることと想像力がないことは違う。けれども結果は同じだ。和香が腹を立てていることすら、水木先生には想像外だろう。

「先生。家庭科室の換気扇と理科室の換気扇で、使う洗剤が違うことを知っていますか」

「……いえ。何か?」

 今まで相槌だけだった和香が何かを言い出すとは、思っていなかったのかも知れない。

「サツキの剪定時期とアジサイの剪定時期を言えますか。コンクリートボードの補修ができますか」

「いや、何か?」

 スマートフォンを耳に当てながら、眉を寄せているのが見えるようだ。それを想像するだけで、和香は怯んでしまう。


 それでも、言いたい。誰にでもできるけれど、できる人すべてがプロじゃない。時間は限られていて、クォリティだって求められて、発注者の意向に沿えなければクレームだって発生するのだ。和香だけじゃなくて、この仕事に携わっている人すべてが同じ。

「前に生徒の清掃指導をしたときに、私が落ち葉を掃くのが早いと言ってくださいましたね」

「ああ、覚えてますよ。慣れている人は違うと思いました」

「慣れだけじゃないんです。竹箒を使うのも、コツや方向があるんです。私たちは日常清掃が仕事ですけど、ただ漫然と掃除しているんじゃなくて、プロのノウハウを持ってるんです」

 途中で、噛んだ。どもった。ここまで言うのが、精一杯だった。


 失礼します、と通話を終了させてしまった。言いたいことを言ってしまった動揺で、胸がドキドキする。あんなことを言ってしまって怒らせたかなと思う。もう少し言いかたってものがあったかなとも思う。

 けれどどこかでほっとしている和香もいて、ベッドに転がって顔を覆った。

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