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今年度最初のプール清掃は、屋上に設置されている中学校だ。比較的新しい設備なので、プールサイドにこびりついたコケや、色の変わってしまった蛇口のメンテナンスはそんなに大変じゃない。それでも半年近く放置された水は滓がかっているし、ロッカールームはカビ臭い。プールの水はあらかた落ちているらしく、臭いがする。和香と由美さんでロッカールームのプラスティックの簀子を運び出し、ロッカーの上から順番に拭いていく。菊池さんと片岡さんが手洗いを掃除しはじめ、竹田さんと植田さんは高圧洗浄機とポリッシャーで使ってもいない腰水槽だの洗体用のシャワー槽だのを洗いはじめる。外はもう夏陽気で、水を使うのは苦じゃない。
「紫外線、怖いよね」
「水の反射で、下から焼けそうですよね」
ロッカールームの床にデッキブラシを使いながら、由美さんと言いあう。嬉しがっているのは竹田さんひとりで、気温の高い場所での肉体労働は、誰も歓迎していない。
「あれでテンション上がるって、竹田ちゃん若いなあ」
「水入れたら泳ぎたいとか、言ってましたね」
汚れた水をバケツでざあっと流し終わったころ、昼休憩になった。
「休憩が終わったら、プールサイドとプールの中に分かれて作業しよう。水が撥ねるから、女の子はプールサイドのほうがいいな」
車に向かいながら竹田さんが言い、煙草を吸う人たちが学校の敷地外に出ていく。近くのコンビニエンスストアの灰皿を借りるのだろう。
車の中は暑いので、すべてのドアを開け放して昼食を摂る。さすがに主事室に全員収まることはできないので、それは仕方ない。開けたドアからだらしなく靴を脱いだ足を投げ出し、菊池さんと片岡さんはもう寝ようとしている。
この人たち、私の親よりもかなり年上なんだよね。そう思うと、なんだかひどく申し訳なくなった。嘱託社員なのだから、おそらく給料はかなり低い。竹田さんが率先して、力仕事を引き受ける理由がわかる。他の人の負担が少しでも軽くなるように配分しているのだ。そういえば、水が撥ねるから女の子は~っていうのも、濡れたあとのことを心配しての言葉だろう。
竹田さんって、こっちが考えているよりもずっと気遣いの人だ。はじめの人前でのポリッシャー指導がイヤで、別に大した話をしたわけでもないし、いなくなっちゃうと思うと焦りはあったが、人となりはよく見ていなかった気がする。
煙草組が戻って来て、和香の膝に無造作にリンゴジュースが投げられた。驚いて顔を上げると、竹田さんが隣の車に入る背中が見えた。慌てて靴を履き、声を掛ける。
「あ、あのっ」
「早くメシ食って休憩しろよ。体力温存」
面白くなさそうな顔で弁当のテープを毟った竹田さんは、和香の顔を見ない。お礼くらい言わせてくれても良いのにと食い下がろうとすると、日陰に座り込んだ由美さんから声がかかった。
「和香ちゃん、ここが涼しいからごはん食べよう。まだでしょ?」
返事をして、自分の昼食を持って隣に座った。
「ダメだよ。自分のしたことに照れるような臍曲がりにお礼言っても、返事なんて来ない」
「照れてねえぞ!」
車の中から叫ぶ声が聞こえ、その後ろの座席に座る植田さんの、笑い声をごまかす咳払いが聞こえた。
「先生の件、どうなった?」
ここからは女の子の話だ。友達に言われたことを、由美さんに伝えてみた。
「ああ、納得。そうだね、和香ちゃんをお嫁さん候補にして観察してるんだと思うと、しっくりくる。それも良くない? 和香ちゃんはどうなの?」
「わかんないんです。なんか一点、モヤモヤが残るっていうか。ただ、私なんかに声かけてくれる人がこの先出るかどうか」
卑屈な言葉だ。
「私なんか、じゃないでしょ。まだ二十代前半じゃないの。向こうが観察してるんなら、和香ちゃんもじっくり観察させてもらいなさいよ。四回も誘っておいておつきあいしましょうなんて言葉も出ないんなら、なんか小狡い気もしないではないけどね」
それは、和香も少し気になっていた。どういうつもりで誘ってきているのかわからないから、対処ができないのだ。




