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舘岡中の工事の日程が決まり、緞帳の納品も同じだというので、その日ならば体育館に一日中入れると、全員で行くことになった。竹田さんは外部に頼んでいる職人さんと一緒に来るというので、図書館清掃員の休日サポートに出ている片岡さん以外の四人で、一台の車に乗り合わせる。どうせならと昇降口付近のペンキ剥がれの補修や連絡通路の洗浄をしてしまおうと、組分けすれば作業開始だ。体育館は大抵体育科の管理で、部活持ち回りで清掃していることが多いはずだけれど、生徒たちは換気扇や手洗いや放送室の掃除なんかしない。床にモップをかければオシマイってなもんで、儀式等で外部の人がそれを使うとは想像もしていない。そして教員たちは忙しいので、そこまでチェックできない。だからこそ用務員は時間があるときに巡回清掃するのだが、仕様には入っていないので、頻度は高くない。
和香が抜けた舘岡中には新しい用務員が入っていて、和香がいなくてもそれなりに回っているらしい。喜ばしいことではあるが、一方ではとても寂しい。植え直してもらった花壇は整っているし、昇降口は綺麗になっている。がっかりとまでは行かなくとも、拍子抜け感は確かにある。
和香が頑張って綺麗にしていたのだと、認められたかった。和香がいたからこそ仕事が上手くまわったのだと思われたかった。そんなはずはないのに。和香が用務員として入る前から、舘岡中の日常管理にはクレームは来ていなかった。一定のレベルさえ保つことができれば、それで良いのである。
本当に誰にでもできる仕事なんだなと思ってから、自分の言葉を思い出した。誰でもできる仕事ですが、誰もがする仕事ではありません。南公民館の新人用務員に、そう言った。誰から言えと指示されたわけじゃなく、自分で言ったじゃないか。
日常的に行われる清掃に、特別な技術は必要ないのだ。そんなこと知っていたじゃないか。自分は舘岡中で、何をしていたというのか。誰にでもできることをしていただけなのに、身体が動くってだけで他の人より優れた気になっていただけだ。
逆を考えよう。誰でもする仕事じゃないのだから、満遍なく把握することなんて誰もしてない。特技がないのだから、全部できるようになれば良い。
「私が連絡通路にポリッシャーかけて、良いですか」
もう長靴を履いて準備していた由美さんに、お願いしてみる。
「やっと動かせるようになったところだから、もう少し練習したい」
快く立っている場所を変わってくれた由美さんが見守る中、和香はポリッシャーのスイッチを入れた。大丈夫、ちゃんと操作できる。
「大丈夫そうだね。じゃ、私はトイレ掃除してくる」
由美さんの後姿を少々心細く見送ったけれど、できることが増えるのは気分が良い。汚れていたコンクリートの色がどんどん白っぽくなっていくのが嬉しくて、夢中でポリッシャーを動かしているうちに端まで到着した。
そういえば、竹田さんが遅い。ポリッシャーのコードを巻きながら、和香はふと顔を上げた。メインの工事が始まっていないから、まだ床掃除はできない。どうしたんだろうと思っていたところへ、白いバンが体育館前に到着した。中から出てくる人たちは、佐久間サービスとは違う作業着を着ている。その中に、見慣れた茶髪があった。依頼した職人さんたちと同じ作業着で、肩に竹田の名前入りだ。和香を見て、こちらへ歩いてくる。
「榎本がポリッシャーやったの? 頑張ったじゃん」
作業着だけじゃなくて、なんだか違う。知らない人みたい。和香の微妙な緊張に気がつかず、竹田さんは車に戻って荷降ろしをはじめた。おそらく竹田さんと同年代の、他のふたりも動きが早くて力が強い。馬立ち脚立や養生シートが運び込まれて、体育館は一気に作業現場の様相になる。
ほどなくして今度は緞帳の納入業者が訪れた。双方天井近くの作業だから、これから派手に埃が舞うことは容易に予測される。そうすると床や窓を今はじめるのはナンセンスだから、ドアで外部と遮られる放送室と手洗い以外は一回手が止まることになる。
「ちょっと作業、見に行こうよ」
由美さんに誘われて、体育館の中に入った。ステージの上では緞帳の交換作業をしている。色が褪せて房の取れかけた緞帳を外している途中で、やけに広々として見える。あんな移動式の足場があるんだねなんて頷き合って、やはり明るくなっているギャラリーを見上げた。
ギャラリーの上に更に高い脚立を広げ、上を向いてインパクトドライバーを使う竹田さんがいる。
「竹田ちゃん、かっこいいじゃない」
和香が頭のなかで呟いたことを、由美さんが声に出した。やけにキラキラして見えるのは、知らないことをしているからか。




