part04. 執事の語り4 ~笑う男爵令嬢
新米悪女として悪戦苦闘されていたお嬢様。しかし、最初の一年はまるっきり進展がないまま終わってしまいました。
進展したのは、一年後、学園の新入生としてユリ様が現れた時でした。
ユリ様はポムグラネイト男爵の一人娘です。この国では珍しい長く白い髪に金色の瞳。透き通るような白い肌をされています。どこか神話の世界から迷い込んでしまったようなそのお姿にとても注目を浴びておいででした。
豊かな黒髪を持つお嬢様と並ぶと、まるで光と影、朝と夜のように対極なものに見えました。
注目の新入生。その噂はお嬢様やピィール様にも届いておりました。そして、三人の出会いは案外、早くに訪れるのです。
中庭でピィール様とお嬢様が歩いていた時です。激しい怒号がし、誰かが倒される姿をお二人は目撃されました。
倒されたのは、ユリ様でした。それに気づいたピィール様がいち早く駆け寄りました。
「何をしている!」
「ピィール様!?」
「怪我はないかい?」
ユリ様に近づき肩を抱くピィール様。ユリ様は青白い顔をして、小さく頷きます。ユリ様を囲んでいたどこぞのご令嬢はまずいと思ったのか、後ずさります。
その退路をお嬢様が阻みました。
「あらあら皆様、こんな目立つ場所で、ずいぶん楽しそうなことをしてらっしゃいますのね」
この一年で、ずいぶん悪女が板についたお嬢様が言いました。毎夜行っている特訓のたまものです。
ご令嬢方は、お嬢様の姿に青ざめます。このお二方に見つかっては、どんなことになるか…それを想像して震えている者もいる。
お嬢様はユリ様を突き飛ばした主犯の令嬢にそっと耳打ちする。
「いじめるなら、もっと時と場所をお選びになさい」
そして、彼女たちに道をあける。彼女たちは脱兎のごとく走り去った。それを見てお嬢様は一つ息を吐く。そしてピィール様たちの方を向きました。
「ところで殿下。いつまで肩をお抱きになっているのですか。婚約者の私を差し置いて」
そう言われてピィール様が頬を染め、パッと離れました。
「大丈夫ですか?ーーあなたは…」
「助けて頂き、ありがとうございます。私はユリ・ポムグラネイトです。ピィール様、ダリア様」
ユリ様が丁寧にお辞儀をされる。
「乱暴をされていたように見えたけど、どうしてそんなことに?」
「それは…」
「殿下。ユリ様は色々と噂の的になっていますわ。女のやっかみでしょう」
お嬢様の言葉に、ピィール様はユリ様に向き直る。
「いつもあんなことが?」
「時々ですが…」
「それはいけない。なるべく僕たちのそばにいればいい。そうすれば、怖い思いもしないだろう」
「そんな…お二人のお側にいるなど、恐れ多いです…」
「そんなことを言わないで。これも何かの縁だよ。遠慮なく頼ってほしい。ダリアもそれでいいよね?」
お嬢様は少々不満げなお顔をしていました。まぁ、複雑な女心なのでしょう。
「殿下がよろしければそれで構いません。私も周りが騒がしいのは好ましくありませんから」
「じゃあ、決まりだね。宜しく、ユリ」
手を差し伸べるピィール様。その手をとるユリ様。それからお嬢様は目をそらしました。
「殿下、次の授業が始まりますわ」
「そうだね。じゃあ、ユリ。また後で。昼食を一緒に食べようね」
「はいっ!」
ユリ様の笑顔にピィール様も頬をゆるめる。そして、一足先にピィール様は学舎に向かわれました。お嬢様も向かわれようとしたその時です。
「ダリア様」
ユリ様が笑顔で声をかけました。
「なに?」
「やっと、会えましたね、ダリア様」
さぁと2人の間に風が吹きます。
「私はあなたのことを知らないわよ」
「そうでしょうね。でも、私はずっとずっと母から聞いておりました」
「あら、そうなの?」
「はい。だから、お会いできるのを楽しみにしておりました」
ユリ様が笑う。可愛らしい笑顔なのに、私はおぞましい何が透けて見えるような気がしました。
それにお嬢様は気づかなかったようで、「そうなの。よかったわね」と、一声かけて、さっさと学舎に行ってしまいました。
この日を境に、ユリ様とピィール様の距離は急激に近づいていきます。そして、ピィール様とお嬢様の心は離れていったのです。
お嬢様との関係に苦しんでいたピィール様にとって、ユリ様の存在は救いだったのでしょう。
ユリ様はそれはそれは楽しそうにピィール様のお話を聞いておられました。子供のように目を耀かせ、楽しそうに笑うユリ様。
ますます可愛いげがなくなったお嬢様にくらべたら、心惹かれるのも仕方ないことです。
それにユリ様はピィール様と同じ年齢。年上のお嬢様に劣等感を抱いていたピィール様にとって、ユリ様は自分の劣等感を刺激しないよい存在だったのです。
今日もまた三人で中庭の散歩されていました。ピィール様の横にはぴったりとユリ様が寄り添い、二人は談笑されています。
その一歩後ろをお嬢様が歩いております。その目は切ない目をされていました。
「まぁ、可愛いお花。ピィール様この花はなんというのでしょうか?」
「アジサイですね。花に見えますが、実は葉なんだよ。花はこれ。真ん中の小さいながそうなんだ」
「そうなんですね。ピィール様は物知りなんですね」
「いや…でも、この小さい花はユリのようだ。白くて可愛らしい」
「まぁ、そんな…」
ユリ様が微笑み、ピィール様も頬を染める。甘い雰囲気に胸焼けしそうになっていると、お嬢様が口を開く。
「ふふっ。アジサイがユリ様みたいだなんて…その花は殿下にぴったりではないですか?」
「どういうことだい?」
笑うお嬢様をピィール様が睨む。お嬢様は笑みを深めた。これは最上級の悪女笑いです。
「アジサイの花言葉をご存知ですか?花言葉は『浮気者』。今のピィール様にぴったりの言葉ですわ」
「なっ!…僕は!」
反論しようとしたピィール様をユリ様が制す。
「ピィール様、私は花言葉など気にしません。可愛いと思ってくださったピィール様の心がなにより嬉しいです」
「ユリ…」
はい。完璧なお言葉を頂きました。これにはお嬢様も次の言葉が出ないようです。
「それなら、お二人で存分に花を愛でてください」
そう言って立ち去ってしまいました。
いけません。私も草むらから移動しなければ。きっとお嬢様は、今日もアレをなさるはずだ。
人気のないところまで歩いたお嬢様は、ピタリと足を止めました。
「ローバーいるんでしょ?」
「はい。ここにっーーゴフっ!」
言い終わらないうちにお嬢様が抱きついてくる。強い衝撃でしたが、なんとか持ちこたえて姿勢を正します。
「…………」
なにも言わずただ抱きつくお嬢様。きっと傷ついておられるのです。目的があるためとはいえ、まだお心がついていかないのでしょう。
ここで、慰めの言葉はかけません。お嬢様も望んでおられないでしょうから。
代わりにそっと頭を撫でます。
「今日も立派な悪女でしたよ、お嬢様」
そういうと、お嬢様は「当然でしょ」と小さく言い、腕の力を強めました。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………そろそろ放してくれませんか?背骨が折れます」
そういうと、パッとお嬢様が離れる。その顔はむくれていた。でも、元気になったようです。よかった。
「お嬢様、お茶にしましょう。お好きなミルクティを入れましょう」
「お菓子はあるの?」
「もちろんございます。アップルパイをご用意してありますよ」
「素敵!」
笑顔になったお嬢様に目を細める。
アップルパイは罪滅ぼしでした。
この時、私はたった一つ、お嬢様に嘘をついていたのです。
それは、ピィール様の気持ちです。
お嬢様から心が離れているように見えたピィール様ですが、この頃はまだダリア様を慕っておいででした。
おそらくお嬢様に嫉妬してほしかったのでしょう。そうじゃなければ、中庭を三人で歩こうなんて言いません。空気の読めない大馬鹿野郎にも見えますが、ピィール様はそこまで愚かではありません。
でなければ、去っていくお嬢様の背中をあのように辛そうに見るはずないのです。
この時、もし、ピィール様のことをお伝えしていれば、違う道もあったのかもしれません。
でも、私はしませんでした。
この時の私は、ピィール様のことを歯がゆく思っていました。そんな回りくどいことをしなくてよいものを…
私ならもっとこう…
そんな執事にあるまじきことを思っていたのです。私のつまらぬ思いが、二人の運命を違ったものにしたのかと思うと、今でもやりきれません。
だから、大馬鹿野郎は、この私なのです。
また、話がそれてしまいましたね…お嬢様のこととなるとつい、感情的になってしまいます。申し訳ありません。では、続きを。
こうして、予定通りピィール様との仲は悪くなり、悪女の道を歩まれてきたお嬢様。
そんなお嬢様の悪役令嬢生活に一つ転機が訪れます。
それは、珍しくお嬢様と、ユリ様が二人きりになった時のことでした。
ーーーーー
「ダリア様、一つ聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「ダリア様はピィール様のこと、本当は好きなんですか?」
にっこりと微笑みながらユリ様がとんでもないことをおっしゃいました。私もお嬢様もポカンとしてしまいます。
「な、なんでそう思うのかしら?」
「だって、ダリア様はピィール様にそっけない態度をとっていますが、時々、切ない瞳をしています。だから、わざとそっけなくなさっているのかな? と、思ったんですけど」
するどい! するどいです、ユリ様。まさにおっしゃる通りです。さぁ、どうするのか、お嬢様!
「ま、まぁ、ピィール様があなたに優しくしているから、面白くないだけよ」
「つまり、嫉妬ですか?」
おおっと、墓穴を掘りました! さぁ、ピンチです、お嬢様!
「しっ、嫉妬? この私が? まさか! ピィール様は私にベタ惚れだから、からかっているだけよ。嫉妬だなんて」
「つまり、ピィール様を弄んでいるだけで、ダリア様自身はピィール様のこと、そんなに思っているわけではないのですね」
「そ、そうなるわね」
すると、ユリ様のお顔がパァッと明るくなる。
「よかった! なら、私がピィール様を頂いてもよろしいのですね!」
「は?」
またも笑いながら、とんでもないことを言うユリ様にポカンとする私達。ユリ様は気にせず頬を染め、嬉しそうに微笑まれます。
「私、ピィール様がとっても好きなのです。ダリア様も同じ気持ちなら諦めなくてはいけないと思っていたのですが…あー、本当に嬉しいです! ダリア様がピィール様を好きじゃなくて」
「………」
「これからも、よろしくお願いいたしますね、ダリア様。どんどん、ピィール様にそっけなくしてくださいませ。私、応援していますから!」
「え、ええ…」
そこは怒ってもよいはずですが、ユリ様の迫力に負けて、お嬢様は素直に頷いてしまいます。
「そろそろ行く時間ですね。それでは、ごきげんよう、ダリア様」
唖然とするお嬢様はお辞儀をすると去っていかれました。ユリ様の姿が見なくなる頃、私はお嬢様に近づきました。
「ローバー…私、応援されたの? それとも、馬鹿にされたの?」
「おそらく、宣戦布告されたのでしょう」
「なるほど…」
「よいではありませんか。ユリ様が協力してくれるのであれば、悪役がやりやすくなります」
「そうねぇ…」
お嬢様は納得されていないようでした。私も正直、驚いておりました。ユリ様が、ピィール様を好きで、お嬢様の悪女を応援なさるとは…
何か嫌な予感がします。ユリ様の動向に注意しなければ。
しかし、私が思うような不穏なことは起きませんでした。むしろユリ様が逐一、自分の行動を教えてくださったので、悪女の行動はやりやすくなりました。
やりやすくなったのはよいのですが、私はどうにもユリ様の思惑をはかりかねておりました。
彼女はただ単にピィール様が好き、ということ以外、なにかある気がしたのです。
それを決定的にする出来事が起こります。
ーーーーー
ある夜会のときのことです。
私は食べ過ぎでお腹を壊したお嬢様のために胃薬を用意し、水を運んでいる最中でした。
薄暗い廊下を足早に歩いていると、反対側から誰かが歩いてきました。その姿を見て、私は足をとめました。
「ポムグラネイト様…」
「あっ…あなたは確か…」
そうでした。私は覗き見しているので、すっかり顔馴染みになった気でいましたがこうやって、面と向かってお会いするのは初めてのです。
「こんな所で失礼します。私はタンジー家の執事をしております、ローバーです。以後、お見知りおきを」
「あなたが…私はユリ・ポムグラネイトです。ダリア様とは仲良くさせていただいております」
「私もポムグラネイト様のことは、お嬢様からよくお聞きしております」
「ポムグラネイト様なんて…ユリと、呼んでください」
「かしこまりました、ユリ様」
お辞儀をしようとしますが、水差しを持っているので、深くはできません。そうでした、早く胃薬を持っていかないと。
「ユリ様。少し急いでますので、これで失礼させて頂きます」
「そうですか。呼び止めてすみません」
「とんでもないです。お会いできて光栄でございました。それでは、失礼します」
「あ、ローバーさん…」
急ぐ足をとめられる。ユリ様を見つめる。ユリ様はいつものように微笑んでいらっしゃった。
「ダリア様にお伝えください。私はあなたの協力者です。手ぬるいことはせずに、遠慮なく私を辱しめてください」
言われている意味が一瞬、わかりませんでした。
「ダリア様が運命に従われているように。私も運命に従っています」
「っ!」
お嬢様の予言のことは一部の人しか知りません。お嬢様と、旦那様、奥様、私、そして二人の協力者。屋敷のものでさえ、知らないことをなぜ…
「お時間をとらせてしまいましたね。どうぞ、お急ぎください」
そうして、ユリ様は去ろうとする。
「ユリ様!」
思わず呼び止めてしまう。
「あなた様は一体…」
ユリ様はゆっくりと振り返り微笑まれた。その笑顔に背筋が凍った。笑っているのに瞳には、なんの感情もない。深淵の瞳。それにゾッとする。
ーーあれは、本物の「悪女」の笑顔だ。
ユリ様は何も言わないで去ってしまった。
私はこのことをお嬢様に言うか悩んだ。悩んで悩んで、私だけの胸のうちにしまうことになる。
ーーーーー
ユリ様のお話はいかがでしたか?だいぶ印象が違ったのではないでしょうか?
あの時、ユリ様のことをお嬢様に言いませんでしたが、それが良かったのか、悪かったのか…全てが終わった今もわかりません。
さてさて、話はだいぶ進んできましたね。これで前半といったところでしょうか。お付き合いくださり、ありがとうございます。
次はお嬢様の大事な協力者のお話をしましょう。
孤児院のシスター・アザミと、新聞記者のクロタ様です。とても癖が強い方々なのですが、お二方がいたから、お嬢様は今のお嬢様になられました。
【公開中の設定】
□プロメッサ王国
女神の祝福がある地といわれているが、女神を幽閉し、女神の予言の力に頼っている。この物語の舞台。
□女神
プロメッサ王国に幽閉されている。人の未来を予知し、予言として伝えることができる。その予言は外れない。
□タンジー公爵家
代々、国政にかかわってきたプロメッサ王国の二大貴族の一つ。
ーCAST
◆ダリア・タンジー
タンジー公爵家の令嬢。「この先、悪に身を落とし、18歳の年、婚約者に死を宣告されるだろう」と女神から予言を受け、悪役令嬢となるが、最初の頃はうまくいかず、ピィールにやりこめられていた。一年間のうちに自作の悪女語録を元に夜な夜な悪女の演技を磨き、ユリの応援もあって立派な悪女となる。本当は孤児院の手伝いをしたりする心優しい女性。ピィール王子と婚約中だが、王子がユリに心を移していくため不仲となる。食べることが好き。
◆ローバー
タンジー公爵家の執事。物語の語り手。飄々としているが、誰よりもダリアの気持ちを大事にして仕えている。また、「神殺し」の予言を受けており、ダリアと同じく運命に従おうとする。
ダリアに執事としてはあらぬ思いを抱いている。
◆ピィール
プロメッサ国の王子。ダリアの婚約者。
ダリアより一つ年下。ダリアが悪役令嬢になりたての頃は、彼女の心が離れたことに苦悩していた。
後に同じ年で庇護欲をそそるユリが現れ、ダリアと婚約中でありながらも心惹かれてしまう…と、みせかけて本当はダリアに嫉妬してほしかったために、あえてユリと仲良くしていた。
◆ユリ
ポムグラネイト男爵令嬢。ピィールと同じ年齢。奥ゆかしい性格とみせかけて、本物の悪女。ピィールが好きだとダリアに言い、ダリアの悪女を応援するという。しかし、ローバーには、「私は協力者。自分も運命に従っている」と何かを知っているような発言もしている。
◆タンジー公爵
ダリアの父親。『新たな国を作るただろう。ただし、愛する子供は死ぬことになる』との予言を受けている。娘の覚悟を受け、自身の運命を進もうとしている。
また、食と民を愛す「グルメ公爵」の異名をもつ面もあり、よく城下町に出没。しかも正装でくるので、有名人。
◆タンジー公爵婦人
ダリアの母親。娘の予言を聞いて倒れるが、強い一面ももつ。
◆タンジー公爵家の門番
タンジー公爵婦人が倒れた時に、いち早くローバーに伝えた。




