取り戻した過去
季節は初夏を迎え、街中を躑躅の花弁の香りが包み込んでいた。玉野 光一郎はこの香りが大好きだった。何故だがウキウキした気分になるからだ。昨夜の夕立ちのせいもあり、花の香りはより濃く街を充満させていた。
真庭エキスプレスの駐輪場に自転車を停めた玉野は、事務所で点呼を終え、事務所を出た所で、先輩の新見 浩太と出会した。
「うぃーす、玉野」キチンと髪を梳かした玉野とは対照的に、新見の頭は寝癖で跳ねている。
「お…おはようございます」玉野はこの先輩が苦手だったのにも関わらず、何故か放っておけない感情が先んじていた。
「なんかコーヒー飲みてぇよなぁ」白々しくコーヒーを奢る様に、請求して来る辺りも嫌いだった。(この人もアッチの世界に行けば良いんだ)玉野はそんな事を思っていた。
昼食時になり、玉野の手作り弁当を冷やかして食堂を出た新見を見て、後輩の井原と笠岡が近付いて来た。
「玉野さん、良いんすか?あんな人、放っといて」普段から新見に対する不満を抱えている井原が話し掛けて来た。
「良いって、何が?あの人はそんなに悪い人じゃないですよ」弁当箱を片付けながら、玉野は淡々と答えた。
「悪い人じゃないって、あの人、少し横暴過ぎますよ」同じく笠岡も口を挟んだ。
「なんて言うのかな?上手くは言えないけど、人は変われます。もう少し様子を見ときましょう」玉野が新見に拘るのは、もしかしたら記憶を失う前の、玉野の野生の感の様なものが働いているのかも知れない。根拠は無かったが、新見は必ず変わる!漠然と玉野は思っていた。
それから更に1ヶ月経ったある日、玉野は悪夢にうなされた。それは入社後直ぐに見た悪夢をより鮮明にしたものだった。
「待てぇ、磯貝!お前だけは殺したる!」叫ぶのが先か?起きるのが先か?のタイミングで目を覚ました。
「若頭… !
そうか、思い出した!ワシは岡山組のタマミツや!ほんで、若頭を殺されて、そう…備後組の磯貝 俊英…アイツに復讐せなアカン…」
"アンタが死んだらワシ等が悲しい"
"アタシもそうだよ、タマミツさん"
「リュウさん…ケイちゃん…
そやんなぁ、もうエエねんなぁ。タマミツはアッチの世界で死んだんやから…新しい玉野 光一郎として生き返らせてくれたんは、あの二人や。これからは、懸命に生きていかんと、あの二人に申し訳が立たん」
全てを思い出した玉野は、"爆弾のタマミツ"と呼ばれた過去の自分を封印する事でこれからを生きて行こうと誓った。
朝になり、いつもの様にリュックを背負い、家を出た。テレビ台の横には、唯一残っていたスナップ写真が、安物の写真建てに入れて飾られている。自転車に跨がった玉野は、まだ微かに残る躑躅の香りを鼻いっぱいに吸い込んで深呼吸した。
「ヨッシャ!今日も頑張ろか!彰、ほな行って来るわ」まだ薄暗い空を見上げて、玉野は今は亡き盟友、井上 彰に挨拶をして、自転車を走らせた。




