拉致
その日、光一郎は彰とは別行動だった。東京進出に向けて、光一郎は朝一番から飛行機のチケットの手配や必要となる物の買い出しなどの雑用をこなしていた。
彰は東京進出の人員を決めて行く話し合いに玉野に呼ばれていた。しかし、これは玉野のミスだった。
玉野の本当にしたかった指示は、光一郎を事務所に呼び、彰に雑用をさせたかったのだった。
この事が、光一郎と彰の運命を大きく変える事になるとは、この時の岡山組の誰しもが知る由もなかった。
光一郎が伊丹空港でチケットを手配し終えた時だった。光一郎のポケットベルが鳴った。
「何や?事務所からかい?」光一郎は公衆電話を見つけて、直ぐに電話を掛けた。
「お早うさんです。光一郎です」
「おぅ!光一郎か?何やっとんねん!時間なっても来んて、ワレ舐めとんか?」電話に出たのは玉野だった。
「時間になっても来んって…ワシは朝一番で伊丹に来とりますよ。事務所に呼ばれとんのは彰ちゃいますのん?」光一郎は、珍しくちんぷんかんぷんな事を言って来た玉野に対して不審に思った。
「何やと?えっ?ちょっと待て」玉野は受話器の話し口を手で押さえて誰かと話している様だった。
「光一郎、スマン、ワシの言い違いや!ホンマはお前に事務所に来て欲しかったんやけど、しゃあない。しかし、お前らの部屋に電話したけど誰も出んかったぞ」
光一郎が家を出る時はまだ彰は寝ていた。彰が電話を無視するとかはあり得ないし、着信音に気付ずに寝たままとも考えられない。
「とりあえず、ワシからも連絡してみますわ。それから、まだ買い出しも済んでませんので、もうちょい遅くなります」そう言って受話器を置いた時、再びポケットベルが、けたたましく鳴った。しかし、それは大阪市内からの知らない番号だった。
「誰やねん、これ?」光一郎は再び受話器を上げ、その知らない番号に掛けた。
「おい!お前がタマミツか?」やたらと低音の効いた声だった。
「タマミツ?何のこっちゃ」光一郎も負けない様に精一杯に低音を効かせた声で返した。
「お前の連れか?彰っちゅうヤツや。ウチで預かっとる。助けたかったらワレ一人で備後組の事務所に来いや」そう言った後、電話口の男は高笑いを上げた。
「ワレ!舐めとんかい?コロすぞ!」受話器を握る光一郎の左手が、一層握る力を増した。
「コロす?ハハッ、コロしたいんやったら早よ来たらエエ!但しな、一時間や。後、一時間だけ待ったる!その後はどないなるか保証せんけどな」と言い残すと電話口は'プーップーッ'と音を立てた。
「コロしたる!絶対にコロしたる!皆殺しや」光一郎は、こめかみに図太い青筋を立てて、そのままロータリーのタクシー乗り場に向かった。
生憎タクシー乗り場は列を成していた。光一郎はお構いなしに列の先頭に行くと「どけ!」と並んでいた客を押し退けた。
「兄ちゃん!この列が見えへんのか?ちゃんとマナーくらい、守れや」先頭の客が文句を言った。
「じゃかましい!オドレが先に死ぬか?」振り返った光一郎の顔は紅潮し、正に鬼の形相だった。言われた客はその場に尻餅を付いてしまった。
タクシーに乗り込んだ光一郎は「運転手、コロされた、なかったら交通規則なんかどうでもエエ!速攻で西成の梅南まで行ったってくれや」と言った。
「はっ…ハイ!」死の危険を感じ取ったタクシー運転手は、直ぐ様に阪神高速池田線を猛スピードで南下した。




