第36話 奈落の底で
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気絶してしまっていたのは、果たしてどれ程の時間だったのか。
(ぐっ……痛っ…………!)
全身を苛む痛みにエリックの意識が覚醒する。
痛い。熱い。まるで、湯だつ釜の中に体ごと放り込まれたかのようで、頭がおかしくなりそうだった。
(それでも……僕は、生きてるっ!)
瞼に力を込め、見開く。
ぼやけた視界が徐々に徐々に焦点を結んでいく。
状況的に、ここはあの縦穴の底だろう。
目を凝らせば、薄闇のそこかしこに大小様々な岩塊と数多の死体が無造作に転がっているのが見える。
恐らくは、ずっと昔から廃棄場にされていたのだろう。見覚えのある、捨てられたばかりの血塗れたものに混じり、干からびてしまったものから風化しかけた骨だけのものまであった。
それら全ての遺体は、奇妙なことに天へと残された手を伸ばしている。彼らはこの奈落の底で一体何を求めようとしているのか、物言えぬ口の代わりに音も無く伸ばした腕をゆら、ゆら、とゆらめかせている。
(寒い…………)
覚醒しきらぬ意識でそれらを眺めていると、まるで冷気に纏わりつかれるような錯覚を覚えてしまう。
引き込まれる訳にはいかない。エリックは唇を噛み切って意識を保つ。
今は何を置いても優先すべきことがあるのだから。
(テサは……っ!?)
大切な人を想い、軋む体に鞭を打つ。体の感覚が覚束ない。だが、そんな事は些細な問題である。
そんなエリックを、背中側から白い腕を回して何者かが押し留めた。
「駄目……。ひどい怪我だから、このままじっとしてて」
それが誰なのか等、考えるまでもない。
「今から、癒やしの魔法を掛けるよ」
エリックは抱きしめるように回されたその腕へ震える左手を添えた。
「だから覚えて、エル」
肩に触れる彼女の掌を通じて、いつもの優しい気配が体を満たしていく。
「これが、最後だから」
でも、それはいつもと違ってずっとずっと冷たくて。
「大丈夫、きっと出来るよ」
それでもエリックは促されるまま、癒やしの魔法を模倣するために意識を集中する。
何度も、何度も、二人で手を合わせて、練習を重ねてきた。共に微笑みあったあの夜以来、ずっと。
「そう、上手」
身体の中に、外に、伝う柔らかな波動を辿り、手繰り、エリックの中にもあるソレを撚り合わせ、紡ぐ。
ピタリと重なり合うような、響き合うような感触があった。同時に、エリックの体中の傷が時を逆廻しするかの様に次々と消えていく。
「良かった。これで……」
まず外れた関節が元に収まった。次に砕けた骨が繋がり、抉れた肉が盛り上がる。
内出血の青は明け方の霜の様に消えていき、裂けていた肌には僅かな轍すら見当たらない。
「出来……た…………?」
かつてエリックが夢にまで見た魔法。ついに発動することの出来たそれにエリックは暫し放心し――――、
「テサっ! テサっ!」
痛みもなくなり、自由に動くようになった身体を跳ね起こしてエリックはテサの姿を求める。
振り向いて背後を、更には左右を見渡して。
しかし、近くには見当たらない。
此方彼方を探す。
そうしてようやく見つけた彼女は、エリックと丁度反対側の壁際に倒れていた。
邪魔な瓦礫をいくつも飛び越えて、エリックは駆け寄る。
「テサ、やったよ! 僕にも魔法が、魔法が使えたよ!」
屈み、少女の小さな身体に手をかざした。
「待ってて、今度は僕の番だ!」
エリックが覚えたての癒やしの魔法を、少しだけつっかえながらも再度発動させる。
「すぐに、君の傷も治してあげるから!」
少しでも温もりが伝わるようにと、ありったけの想いを込めて。
「今度は、僕が助けるから!」
未熟故か、癒やしの魔法はすぐに止まってしまった。しかしエリックは気にする暇もなく何度も使い直す。
「だからさ、元気になったら、一杯一杯話そうよ!」
そうやって繰り返し魔法を使いながら、エリックはテサは語りかけ続けた。
「ねえ、テサ。僕はずっと考えてたんだ、ここを出てからどうしようかって」
初めてテサと出会った、あの頃のように。
「一緒に、何処かの町で小さなお店でも開いてみる?」
何度でも。
「ああ、でも、僕はタスクが無いから、テサに迷惑を掛けるかもしれないね」
何度でも。
「それなら、森の奥で小さな畑でも耕して暮らすのも良いかもしれない」
何度でも。
「大丈夫、僕の父さんは鍬捌きが凄かったんだよ。きっと、なんとかなるよ」
諦めること無く。
「それで、落ち着いたら、またお喋りしよう。君の声をもっともっと聴きたいんだ」
繰り返し。
「君が名前を呼んでくれた時ね、本当に、嬉しかったんだ」
繰り返し。
「だからね、テサ――――」
繰り返し。
「それからね、テサ――――」
「ねえ、テサ」
「テサ」
「テサ」
「テサ」
「テサ」
「テサ」




