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第拾八節(その1)

本日中に最後まで更新します。




-拾八-




 黒いスポーツカーは闇に溶け込むように疾走り、やがて廃ビル近くの空き地に線を引いただけの簡素な駐車場に停止した。

 停車し息を吐き出す。湧き上がる怒りを深呼吸で無理やり抑えつける。

 運転席から降りて周囲を確認。住宅の明かりがぽつりぽつりと灯っており、しかし網の目のように四方に走る路地には人の姿は無い。物音も無い。電柱に付けられた外灯が道を点々と照らしているだけだ。

 後部座席のドアを開けると未来が顔を上げた。状況を理解できていない彼女は、これから何をされるのかと怯え、涙で濡れ赤くなった眼を向けた。

 それを無視し彼女を縛っていた足の拘束を解く。それを見た未来の瞳に、解放されるかもという淡い期待が宿った。

 だが直後に彼女の栗色の髪が乱暴に掴まれた。際限なくこみ上げる怒りと苦しさを彼女にぶつけるようにして外に引きずり出し、無理やりに立たせる。


「~~っ!」


 ガムテープの下から悲鳴が上がる。ドア部で足首を打ち、砂利で膝を擦って血が滲んだ。それに一切の関心を示さずすぐに髪を引っ張り上げて強引に上を向かせる。未来の瞳に怒りに満ちた犯人の顔が映った。

 そして首元に突きつけられる金属の感触。それが意味するものを瞬時に察して未来は体を強張らせた。


「……騒ぐな」


 月明かりに反射した光が如実に殺意を示す。未来は震えながら小さく何度も頷いて従順の意を示す。死にたくない。識也と離れたくない。それが叶わぬ願いになるだろうことを未来は感じていたが、それでも微かな可能性に縋って今は犯人の言われるがままに口を噤んだ。

 彼女が黙ったのを確認すると犯人は首を掴んで廃ビルへと向かった。半ば引きずり、乱暴に未来と共に廃ビルの中へ進んでいく。中は暗く静か。吹き抜ける風がおどろおどろしい物音を立てる。カタカタと鳴った廃棄物が一層未来に怖気を浴びせてきて、未来の鼓動はどうしようもないくらいに早鐘を打ち続けた。

 月明かりも余り入らず足元も覚束無い程の暗さ。床材が貼られる前の土の地面はあちこちに凹凸があり、未来は足を取られて転びそうになるも、先程の刃物が脳裏にちらついて必死で耐える。


(しーちゃん……助けてよ)


 識也なら何とかしてくれる。何の根拠もなく未来はそう心の中で繰り返した。そうしていなければ恐怖で壊れてしまいそうだった。

 犯人はそんな未来に目もくれず奥へ進んでいく。窓枠に貼り付けられたビニールシートが風にはためき、そうしてできた隙間から微かな月明かりが時折むき出しになったままの鉄骨を照らし、淡く世界を染めている。

 その時、ゴウ、と強く風が吹き込んだ。

 月明かりを隠していたシートが剥がれ飛び、鮮やかな月明かりが幾つも筋状に差し込んで二人を照らし出す。暗闇に慣れた眼にはそれさえ眩く、二人は眼を細めた。


「やっと来てくれましたね」


 声が響いた。

 月明かりの青白い光に照らされ、識也は二人の姿を見つめながらゆっくりと姿を現した。

 細められた眼差しは鋭く、対象的に口元には不敵な笑み。識也は犯人の前に立つと大仰な身振りで両手を広げて歓迎の意を現し、執事の様に深々と一礼した。

 そんな彼に向かって、犯人から驚嘆を多分に含んだ声が発せられた。


「みず、さき……?」

「ええ、水崎です。お待ちしておりましたよ――」


 識也はニコリ、と笑う。

 そして、相対する者の名を口にした。


「――音無先生」


 風が吹き込み、被っていたフードが飛ばされる。雑に束ねていた音無の黒髪が広がり、艶やかなそれが月明かりに反射した。

 音無はまさかの人物に唖然と口を半開きにし、だがすぐに気を取り直して識也を睨めつけた。


「本当にお前が……?」

「ええ、そうですよ。音無先生が都筑未来を誘拐したのと同じように、僕の方でも先生の大切なものを奪わせて頂きました」


 穏やかに笑い、まるでそうするのが当たり前のように話す識也。音無に睨まれても、メスを首に押し当てられている未来を見ても動じた素振りは見せない。音無はそれが解せずにいた。


「一体どうやって私の家に忍び込んだ?」

「簡単な事ですよ」識也はポケットから鍵を取り出してみせた。「先生のご自宅の鍵で開けただけです。事前に合鍵を作っておいたんですよ」

「いつの間に……!

 そうか、つまり、君は」

「ええ、知ってますよ。先生が伊藤 しずるを殺害した犯人であることも、それ以前にも何人もの女性の首切り死体を作り出した殺人犯である事も。そして――四年前の最初の殺人の事も、ね」


 音無は切れ長の眼を見開き、奥歯を強く噛み締めて識也を睨みつけた。手にしているメスを強く握りしめて思考を巡らせる。

 最早音無の頭の中は如何に識也を殺すかで占められていた。自分の欲望を知られたからには生きて返すわけにはいかない。殺し損ねて逃げられてはダメだ。そのためには一撃、ただの一撃で確実に急所を一刺ししなければ。幾分荒い呼吸のまま、識也が隙を見せるタイミングを伺っていた。

 識也はそんな彼女の心中を察していたが、滲み出る殺人の気配に臆した様子をおくびも見せずクツクツと喉を鳴らす。


「随分とお怒りの様ですが、悠長にしてていいんですか?」

「なに?」

「大事な先生の想い人―― 一ノ瀬 薫(いちのせ かをる)さんは長く保ちませんよ?」


 その言葉に音無はハッと我に返った。頭から一気に血の気が引き、普段の彼女からは想像できない大声を張り上げて識也に詰め寄る。


「薫は、薫は何処だ!? 早く……早く彼女を返せ! じゃないと――」

「落ち着いて下さいよ、音無先生。ああは言いましたが、まだ大丈夫です。ちゃんとドライアイスで冷やしてますからそこまで慌てなくても大丈夫です。

 ですからまずはお互いに約束を果たしましょう。

 先に、未来を返してください」


 識也は手を音無に差し出した。音無は脇で固めたままの未来を見下ろし、識也と顔を交互に向ける。

 ここで彼女を解放してしまえば逃げられてしまうかもしれない。せっかく手に入れた待望の女性。それを手放すのは惜しいし、逃げられて警察に駆け込まれれば多くを失ってしまう。社会的な死など惜しくはないが、これまで集めた女性の肉体と未来を失うのは耐え難い苦痛だった。しかしながらこのまま交渉に応じなければ、薫を永久に失ってしまう。それこそ、想像もしたくない。

 葛藤で音無は身動きが取れない。そんな彼女を見透かした識也は軽く溜息を付き、背中を押してやる。


「別にそう警戒しなくてもいいですよ。別に先生の事は警察に通報したりもしないですし、この事をネタに強請るつもりもありません」

「……それを信じろというのか、君は?」

「信じてくれて結構です。どうやって僕と未来を殺そうか考えてるのでしょうけど、僕だって殺されたくはありませんし、仮に逃げ出したとしても警察で事情聴取を受けるのも面倒なんです。そんなことで貴重な時間を浪費したくないんですよ」


 識也は軽く肩を竦めてみせた。


「……」

「信じられませんか?」

「君も俄に信じろという方が無理な話だと分かってるのだろう?」

「まあそうですよね。

 仕方ありません。ならお教えしましょう。

 僕も先生と同じなんです」

「なに?」

「警察にお世話になるわけにはいかない趣味があるという事です。詳細は言えませんけどね。

 だから下手に警察なんかに通報して痛い腹を探られるのは僕としても好ましくないんですよ」


 音無の表情がやや険しくなる。だが未来に押し付けていたメスが、その首元から少しだけ離れた。

 音無に迷いが生じた、と感じた識也は何処か突き放すように吐き捨てた。


「正直に言いますと、僕は音無先生がどんな趣味を持っていようが興味はないんですよ。未来とこの先も一緒に過ごせれば、それだけで僕は十分なんですよ。

 未来にさえ手を出さなければ、先生の好みに合致した他の女の子を何人殺そうが首を斬り落として肉体を愛でようが干渉はしません。社会的な悪に対する義憤を撒き散らす気力なんてないですし、そもそも僕はそんな奴が大っ嫌いだ。

 他人なんてどうだっていい。僕にとって、僕と未来が無事であるなら全ては些事です。先生の方から僕らに関わろうとしなければ、先生は先生で好きにしてもらって結構。

 ああ、もちろん先生が今後何かヘマをして警察が事情を聞きに来ることが万一あったとしても知らぬ存ぜぬを貫き通しますよ」

「……」

「僕と先生は今日出会わなかった。僕も未来も先生も、学校を出て真っ直ぐに家に帰った。つまりは、そういうことです。

 なあ、未来?」


 識也が同意を求めると、未来は口を塞がれたまま勢いよく何度も頷いた。

 音無は識也の視線と未来の眼を覗き込み、眉根に深い皺を寄せて考え込む。探る視線を受けても識也の表情は揺らがない。それを見て音無は、識也が本心からそう言っているのだと感じ取った。


「……分かった。水崎、君を信じよう」

「ありがとうございます。話が分かる人で良かった」


 音無が未来から手を離した。未来は音無を一度見上げるも、すぐに識也へと走っていった。


「おっと」


 脚がもつれ、転びそうになりながらも未来は識也の胸に飛び込み、識也は彼女をしっかりと抱き留めた。嗚咽が聞こえ、制服越しにすがりつく彼女の温もりが微かに感じられる。それは、未来が生きている証拠だ。


(やっと……)


 やっと未来を取り戻した。彼女の柔らかな髪、そして暖かい頬。胸に押し付けられた眼から零れた涙が識也の制服に染み込んでいく。未来の頭を、愛おしそうに抱きしめた。


「……約束通り彼女は返した。薫を返してくれ」

「ええ、分かってます。

 未来、悪いな。もうちょっとだけここで待っててくれ。終わったら拘束もすぐに解いてやるから」


 未来の頭を名残惜しそうに引き剥がし、識也は微笑みかける。涙に濡れ、悲しそうな瞳を彼に向ける未来だったが、ぎこちなく微笑んで小さく頷くとその場に座り込んだ。


「お待たせしました。こちらです。足元が少し悪いので気をつけてください」


 優しく未来の頭を撫で、識也は音無を誘導していく。音無は無言のままで付いていき、十メートル程歩いていたところで識也は脚を止めて彼女へと振り返った。


「どうぞ、こちらです」


 識也が示した場所。そこには人が一人くらい横になれる程の大きさで、長方形に地面が掘られていた。そしてその中に横たわる――首なしの死体。


「薫……!」


 仄かな月明かりに照らされたその死体を認めた途端、音無の両眼からは涙が零れ落ちた。左手に握っていたメスが地面に落ち、感極まった様子で口元を覆ってすぐに穴の中へ飛び降りた。

 一ノ瀬 薫の死体を抱き起こす。そして優しくその豊かな胸を、尻を、背中を撫でていく。

 識也が告げたように穴の中にはいくつもドライアイスが並べられていて、死体は酷く冷たい。だがそれも気にせずに音無は死体の体をそっと抱きしめた。


「薫、薫……!」震える声と共に吐息が漏れた。「ああ、良かった……無事で良かった……すまない、もう傍から離さないからな……!」


 まるで生者に語りかけるかのように謝罪を繰り返し、音無はすでにあちこちに傷の入った死体を抱き、愛撫する。頬を伝った涙が死体を濡らし、再会を心から喜んだ。

 泣きじゃくる声が静かな廃ビルに木霊する。穴の中の二人を識也はしばし見下ろしていたが一度息を吐き出し、ゆっくりと音無へ近づいた。彼女の背後に回り、膝を突く。そして音無の首にするりと腕を回した。

 先程、未来に対してしたのと同じように音無の艶やかな黒髪を撫で、頬を包み込み優しく涙を拭う。指先に乗った雫は、冷えていた。


「水崎……?」

「僕の為に――ありがとうございました」


 そして――識也の左腕が勢い良く引かれた。




お読み頂きまして、誠にありがとうございました<(_ _)>

次話以降も宜しくお願い致します。

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