第四十九話 アイアンクローの可能性 成分はお仕置きとデレ
「はい座る。すぐ座る。とりあえずまずは乾かさないとどうしようもないからね」
「わかりましたわかりました今座ります。ユウ君はせっかちだなぁ」
帰ってきた先輩の肩を掴んで椅子に座らせば、この言い草である。
「先輩。出発まで後何分残ってるか、わかってます? マユみたいにノーメイクで行くんですか? それでいいんですか?」
まだ余裕ある、は遅刻フラグですよ。あと何分しかない、と考えましょう。大事なことですよ。
「わたしは別にそれでもいいんだけど、誰かに見つかるとまた怒られるから……。今日はユキコ居るからダメだねー」
またってことは、つまりそれ前にも何度か怒られてるってことじゃないですかやだー。
「全然良くないですよねそれ。俺はそういう女性特有のことはよくわかんないですけど、怒られるってことは必要な事なんですよね?」
「まぁ……そうだね。社会に出たら必須になるから、今のうちから練習しとけって」
女性にとっては必要な身だしなみの一つって事なんだろうけど、ホント大変だ。そこは同情する。
「それはした方がいいじゃなくて、しなきゃいけないって奴じゃないですか。大変だとは思いますが、大事なことならそこはちゃんとやりましょうよ」
結局は本人のためになるって話なら、やらなきゃ損になるってことでもあるしな。
「ううー。あんま人に見られるのとか、ヤなんだけどなぁ……」
まぁ、ビッと決めてる時の先輩は道でかなり振り返られてるのは事実なのだ。
黙ってれば美人だから、言いたいこともわからないではない。
「じゃあ帽子かなんか、かぶります?」
「うーん。今日はそんな気分じゃない感じ。まぁいいよ。適当に軽くやっとけば、ユキコもそんな文句言わないでしょ」
「先輩がそれでよきゃいいんですけどね。まぁともかくまずは乾かします」
とにかくまずは髪を乾かさないと、着替えも何もできやしない。
首を通すものを着るのなら、先に着替えておかないとメイクも出来ない。
「はーい。よろしくぅ」
そう言って両手をバンザイさせる先輩。……何故今バンザイした?
意味がよくわからないが両手を下げさせて、いつも通り後ろから乾かしていく。
「んで、今日着ていく服の用意とかはできてるんです? 見たとこ出てないみたいですけど……」
ベッドの上はさっき先輩が占領していた。先輩の下敷きにもなっていなかったので他の場所に吊るしてあるのかと思えば、それもない。
「えー? 何? 着替え? ……あっ!」
ああ、耳元でゴーゴードライヤー使ってたらそりゃ聞こえづらいよね。すみません。
で、そのあって何かな。もうイヤな予感しかしないよ俺。
「……先輩、まさか」
「あはは……。シャワー浴びた後、そのままベッドにダイブしたから……」
「用意してない、と……」
「してないねぇ……」
「してないねぇ……じゃないでしょうが! どーすんだこの時間のない時に!」
俺は空いてる右手で先輩の頭を掴むと、前後左右にぐりぐり揺らす。
左手のドライヤーはその間にも、下から上へ髪を煽リ続けている。
「あわわわわ……あ、あれでしょ! すぐ決めればいいんでしょ! 五分! 五分ちょうだい!」
「……五分ですからね。まぁどのみち乾かし終わるまでは動けませんから、その間にコーデでも考えといてください」
衣装ケースから実際に手にとってあれやこれややってる時間は、正直無い。
ここは脳内クロークで取っ替え引っ替えやっておいてもらう他無いだろう。
「コーデって言われてもなぁ。適当でいいじゃん適当で」
「先輩のそのファッションを頑なに拒む姿勢、ブレないですね。てか服装の指定がないと、髪もどうしていいのかわかんないんですけど」
「えー。うーん、適当に?」
「先輩のそれってあれですよね。奥さんが旦那に今日夕御飯何がいい? って聞いたらなんでもいいって言うのと同じですよね」
つまり先輩はぐうたら亭主。しかも下着で居間に転がるだらしない系と見た。
「そ、それはちょっと言いすぎじゃないかな? わたし、加齢臭とかまだだから!」
「いや今後もその予定はねーよ。てか女性にも加齢臭ってあるのか?」
キツい香水のあれは加齢臭とは関係ないだろうし。おんなじ臭いテロではあるけれど。
「し、しらない。要は髪型を決めればいいんでしょ? じゃあ、ストレートでいいよそのままで」
「まぁ、何もしないでそのまま下ろすにしたって、整える手間はかかるんですけどね。ストレートだからって、何もしてないわけじゃないでしょ」
逆に無加工は全体を自然に落ち着かせなくちゃいけないから、加工したほうが手間がかからないなんてこともザラにある。
「まぁそりゃね。でも、綺麗にドライヤー当ててから整えるってのは出来ないんでしょう?」
「んー、そうですね。じゃあ、サイドは軽く編みこんで、後ろでくるりんぱしちゃいましょうか。それで大分誤魔化せます」
ストレートと違って、自身で保持させる必要が無いこのような編んで縛っていくスタイルなら、その辺はある程度手抜きができる。
どうせ最後はゴムか何かで固定してしまうのだ。多少根本が暴れていても関係ない。
「お、ユウ君の中で完成像が見えたのかな? じゃあ、それで!」
「それで! はいいですけど。それに合わせる服はどうするんです」
「適当にパンツとカットソーでいいよもう。色味だけ見て適当にパパっと決めちゃうし」
「うーん。服装がシンプルなら、髪は少しだけ緩めに作っとくか……」
ひとまず後ろを終わらせた俺は、先輩の肩を引いて前後逆に座り直させる。
椅子の背もたれに軽く両手を置く形で、足首なんかパタパタさせてる。
先輩はほんと落ち着きないですねー。上半身までふらふらさせそうなので、早めに額を掴んで固定しておく。
「まぁね、ばっちりキメキメなのはマユちゃんに譲るよ。今日のところはね」
見れば先輩の視線は壁際のマユの方へ向けられていて、俺も釣られてちらりとそちらを見やる。
マユは手にした小説に夢中なようで、先程からずっと手元の世界に没入している。
「あれは綺麗にキマりましたからね。俺はあれを小悪魔モードと名づけました」
「なんだいそのセンスの欠片もない名前。見たまんまじゃないですか。キミはあれかね、そんなにマユちゃんにいたずらして欲しいのか。このヘンタイめ!」
やめてください。よろこんでしまいます。……はっ!? 今、俺は何を……?
「……とんでもない。イタズラ小僧は先輩だけで十分ですよ。これ以上は俺が持たない。てか先輩もそろそろ、そういうの卒業しよう?」
だから先輩、落ち着きが無いって言われるんですよ。あれか? わざとか?
「あのねぇ。わたしからイタズラ取ったら、一体何が残るってんだい。あ、エロい所が残るとか言うんでしょ? 大正解だよ!」
びっくりするから、突然叫ぶのやめましょうね。てか大声で何言ってんだこの人は。
「そこは誇っちゃいけないとこだから。あ、いや、二人の時なら大歓迎だけど。少なくともそれ人前じゃ口にしちゃいけない奴だから」
今はそこにマユが居るでしょ! 変に話に参加されたら困ることになるって、どうしてわからないのかこの先輩め。
「何言ってんだい。マユちゃんは小説に夢中で、こっちの話なんて聞いちゃいないよ。ほら、実質二人きり、だよ?」
ちょっと先輩いつもと違う! なんで今だけそんな色っぽい目つきで俺の目ガン見してくんの!?
確かにいつも俺の目の辺り見てろとは言ったけどさぁ! これはちょっと、意味が違うじゃん!?
もう、昨日今日と先輩欲求不満が過ぎるんじゃありません!?
俺は前髪まできっちり乾かし終わると、そのまま先輩の視線を右の手のひらで遮った。
「そういう悪いいたずらする子は、こうです」
そして指先にぎゅっと力を込める。技名、アイアンクローである。
「あいたたたたた! しない! もうしないから! 許して!」
「ほんとかなー? 悪い先輩はもう居ないのかなー?」
適当に、緩めて、締めて、緩めて、締めてとリズミカルにぎゅっぎゅっと。
「しない! いないから! あたたたたたた! てかほんとに痛いんですけど!?」
先輩必死のタップである。タップされちゃしょうがないなー。
「ちっ。痕が残ってもいけませんからね。今日はこのぐらいで勘弁してあげますよ」
俺が掴んでいた手を緩めると、先輩は掴まれたこめかみの辺りを一生懸命さすりだす。
「ユウ君はあれだよね。DV気質があるよね。知ってる? そういうの、デートDVっていうんだヨ?」
「どの口が! それを言うのか!! 悪い口がついてるのはこの顔かぁ!!」
あまりの言い草に再びのアイアンクローである。揉み揉みなのである。柔らかくは……ないな。残念。
「あいたたたたた! 痛いって! ギブ! ギブ! ユウ君ギブ!」
「……うるさいなぁ。ユウお兄ちゃん、出発まで後三十分切ったけど、そんな遊んでて大丈夫なの?」
割って入ったマユの声に、ばっと振り向いて時計を確認すればその通りの時間帯。
あかん。これはヤバい。
「……図ったな、先輩!」
「いや普通にユウ君がわたしで遊んでたせいでしょ」
俺の誤魔化し大作戦は、ここに見事に失敗に終わった。




