過去編 一年前 八月第二週 その三 AM10:50 サヤカと二限と救護対応
こちらは前日譚よりもっと以前の時間軸の追加となります。
過去編は先輩彼女と後輩彼氏と女子高生のそれぞれの昔を書いていきます。
AM10:50 サヤカと二限と救護対応
「……チッ!」
「ユキコ。気持ちはわかるけどそれはやめなって」
炎天下。長蛇の列。長い長い待ち時間。蒸し暑さ。汗。人人人人人。
不快な要素には事欠かない。この場には何かこのイライラをぶつける供物が必要になる。
それはわかる。わかるけど、それは己の中で始末すべき感情だ、ともわたしは思う。
だって、こんなところでトラブルでも起こしたら、ここまで苦労して並んだ時間が全てふいになってしまうのだ。そちらの方がよほど耐え難い。
「気持ちがわかるなら、ほっといてくれる? これが私のストレス発散になってるかもしれないでしょ」
かも知れないってことは、結局なってないってことじゃないの?
「私はユキコに賛成。リア充は滅ぶべき。具体的には私に彼氏が出来ないのが悪い」
「アヤさんはもうちょっと男の人に心を開かないと、彼氏は無理だと思うよ……」
寄ってくる男の人全員にキモいウザいてか臭いどっかいけとか言ってたら、そりゃ彼氏なんて出来ないよ。
「それだけは姫に言われたくない」
アヤさんもその辺は自覚あるのか、そう言ってそっぽ向いてしまう。
私はいいんだよ。そういうのはいいの。だからわたしは関係ない。
「姫って言わない。ホントやめてね」
それより問題なのは、こうやって変なあだ名で呼ばれるようになってしまったことだ。
この歳になって姫とか呼ばれるのは羞恥プレイ以外の何者でもないと思うんだけど、あれかな。みんなはあれなのかな。
もしかして、わたしを弄って楽しんでるのかな? 仕方ないこととはいえ、別に仲間内でまで使う必要性、ないよね?
「私をさん付けで呼ばなくなったら、考えてあげる」
「でも、アヤさんとはわたし知り合ったばかりだし……」
わかってる。もう知り合ってから三ヶ月が経つのだ。グズグズしてるのはわたしの方。それだけはハッキリしている。
「姫はちょっとめんどくさいぐらいの人見知りだからさ。まぁ、もうちょっと長い目で見てやってあげて」
でもそれを自分で自覚するのと、人に言われるのでは話がまったく違う。
「……ユキコ、もぐよ?」
「私だけ対応違くない!?」
だからそんな風につい恨みがましく見てしまうわたしが居ても、仕方ないことだと思う。思うよね。
「そんなうらやましいもの、二つもぶら下げてるのが悪いと思われ」
「私が悪いわけじゃないじゃんそれ! どうしようもないってそんなの!」
アヤさんも加勢してくれるが、どうやら恨みがましいポイントは別なようだ。ユキコのは確かに立派だもんね。
「ユキコが、静かにしてれば、いいと思うよ?」
「あっはい。静かにしてます」
「右に同じ」
と、そう言って私がにっこり笑うと、ユキコだけじゃなくアヤさんまで静かになってしまった。……失敗した。
沈黙に包まれてしまった三人の中で、わたしってそんな怖いのかなぁと地味に落ち込む。
ユキコはいつもの冗談交じりなんだろうと思えるけど、知り合ったばかりのアヤさんまでとなると本格的に自分を疑わなくてはならなくなる。
「はぁ……」
いつの頃から、こんな人を脅すようなことばかり上手になっちゃったんだろ。思わずため息が出てしまう。
昔はもっと、なにも考えずに笑えてたはずなんだけどな……。
「ねぇねぇユウ兄ちゃん。このキャラって前巻でどうなってたっけ? なんかいきなりこんなとこでドヤ顔登場してるんだけど」
「ちょっ! マユお前! なにサラッとネタバレ噛ましてんだ! まだ読んでない新刊貸した俺の身になれ!?」
「ええー。そんなの端末ばっかり眺めてるユウ兄ちゃんの選択でしょ? それより質問の答え、思い出して欲しいな?」
「くそっ! だからそれを読むために俺はずっと前の巻から読み直してたんだよ! てか今丁度そのシーンだよ……」
「……ふふっ」
自分で笑って、自分で驚いた。わたしがリア充カップルの会話で笑ってしまうなんて。自分でも意外だ。
前に並んでる、恐らくはご近所カップルかなにかなのだろうか。まだ高校生ぐらいのカレカノ二人組。
電車の中で見かけた時のことも考えると、どうも兄弟関係ではなさそうだし……やはり幼なじみって奴なのかな。
というのも今日はこの二人と行動が丸かぶりのようで、始発列車からこっち、この二人とはずっと近くで過ごしてきているのだ。
この過酷な戦場を、共に戦い続けるもはや戦友のような存在。なんなら近親感すら覚えないでもない。
あー。それにしても女の子の方がお兄ちゃん呼びって、なんかかわいいよね。
先輩呼びもなかなか捨てがたいものがあるけど、やっぱありふれてるからね。
わたしもお兄ちゃん呼びが出来るぐらいの人が相手なら、なんとかなるのかなと想像してみる。
……ならなさそうだな。余計に気疲れしそうだ。大人の人に無駄に気を使わせちゃって、申し訳無さに苦笑してるわたしの顔しか出てこない。
まぁ何にしても、去年ようやく同年代の男の子相手でも普通に会話が出来るようになってきたぐらいの私には過ぎた話である。
恐らくわたしには恋人なんてものは未来のそのまた未来ぐらいまで待たないと出来たりはしないんだろうけど、それでも今ここで目の前の二人を見て目の保養にするぐらいは許されるはずだ。
わたしも、自分が絡まない恋愛事ならむしろ大歓迎と言っていいのだから。
そんなことをつらつら考えていると、隣から腕をつんつんと突いてくる感触に気づいた。
「? 何? アヤさん」
「姫、あれ見て。なんか案内してるみたいなんだけど、看板の文字がよく見えなくて」
「だから姫はやめてね。何? スタッフさん? うーん……?」
見れば帽子を被った男性が、手に何やらプラカードを掲げて必死に声を上げている。
「あー。あれはスタッフというか、このサークルの整理係だね。この列のサークル関係者。で、こっから先は二限になるってさ」
地味に目の良いユキコが、遠くのプラカードをさっと読み取ってくれる。
「関係者の人なのはわかったけど、二限って何?」
「一人あたりの購入可能数が二部までになったということ。つまり、これで我々は人数分の調達が難しくなった」
「あちゃー。始発直行なら三限は硬いって炎上屋の予想、外れちゃったねー。どうすんのこれ」
「問題ない。予想を外したネットオタクに責任を取らせればいいだけ」
「ああ、そりゃいいね。あのなんでもわかってますみたいな顔をどんな風に歪めるのか、ちょっと今から楽しみだ」
そう言って二人でくっくっくって笑ってる。
「そこで詰め腹切らせたら、今後二度と予想してくれなくなると思うよ……」
この二人はちょっと、サキちゃんに容赦がなさすぎると思う。
まぁ、別にわたしの分を回せばいいだけかと思っていると、すぐさま二人から突っ込みが入る。
「サヤカ、自分の分を譲ろうとしてるでしょ? ダメだよ? サヤカだってこのサークルが好きだから、このファンネルに参加したんでしょ?」
「その通り。あのコンビは定期的に痛い目にあったほうがいい。広報屋の分はあるんだから、二人で回し読みでもなんでも出来るはず」
「そうは言っても……。サキちゃんにはわたし、お世話になりっぱなしだし……」
「それはマミさんが決めたことで、やらせてるのもマミさんだよ。この件で本当に感謝するべきはマミさんでしょ。対象を間違えちゃいけないんじゃない?」
「炎上屋は適当に好き放題に有る事無い事書いてスッキリしてるだけ。感謝する必要などどこにもない」
「でも……」
と、わたしがなおも渋って視線を彷徨わせていると、前に並んでる二人の様子がなんだかおかしい。
「マユ? どうした? 具合悪くなったのか? しゃがむか? うん、いいよ本なんかどうだっていい。それより、今はマユの体調だろ」
前に並んでる彼女のほうが、どうもふらついてしまっているらしい。彼氏君が甲斐甲斐しく様子をうかがっている。
そう言えばさっきまで吹いていた風がやんで、気温も徐々に上昇してきている。
彼女の顔が赤いところを見ると、暑さに体が参ってしまったのだろうか。
「ユキコ、ちょっと……」
「ん、わかった。ちょっと行ってくるよ」
「ごめんね。お願い」
視線を向けるだけですべてを察してくれるユキコが、今は頼もしくて仕方ない。
こういう時、わたしはダメなのだ。
こんな時にまで男の子がダメだなんて、言ってる場合じゃないとは自分でもわかってはいるのに。
頭でわかってはいても、心が拒否する。ああもう、ほんとにもう!
「姫。気にしなくていい。そのために私達がついてる」
うつむきがちなわたしの背中に、アヤさんがそっと手を添えてくれる。
「……うん。ありがと。でも、姫はやめてね?」
今はその気遣いが本当にありがたい。いつものやり取りで、心が少し浮上するのもわかる。
「姫が私のことをさん付けで呼ばなくなったら、ね?」
そう言って笑うアヤさんは、いつもの毒舌家っぷりなど微塵も感じさせない、いい笑顔だった。




