過去編 一年前 八月第二週 その二 AM 10:20 マユとヒマ潰しとシャッター待機列
こちらは前日譚よりもっと以前の時間軸の追加となります。
過去編は先輩彼女と後輩彼氏と女子高生のそれぞれの昔を書いていきます。
AM 10:20 マユとヒマ潰しとシャッター待機列
「ユウ兄ちゃん、ヒマだよ」
「奇遇だな。俺もそう思ってるよ。今日、ずっとな」
私はかなり我慢強いほうだと思う。少なくとも自分ではそう思ってる。でも、いい加減言いたくなった。
朝……と言うか、動き出しから考えると四時半ぐらいかな。ええとそうすると……ここまで六時間。
一日の四分の一を既に無為に過ごしてしまった。いい加減そろそろ愚痴の一つも言っていいと思う。
外で長時間並んで、やっと動き出したと思ったら通過した入り口からそのまま会場外に誘導されて。
またもさっきと同じような長蛇の列の最後尾に並ぶことになった。
いくら私が忍耐強いと言っても、物事には何事にも限度というものがある。
一度動き出してしまったのも良くなかったのかもしれない。
やっと開放されると期待してしまった分、余計に心が折れそうになる。
何ならよく我慢したねってそろそろ誰かに褒めて欲しいぐらいな気分だ。
「ここまで時間かかるとか私、全然思ってなかったよ……」
「壁大手はどこもいつもこんな感じだから。一つまた新しいことを知れて、よかったな?」
「うう……。正直、ここまで大変だとは思わなかったよ」
既に手持ちのヒマ潰しは全て使い尽くしてしまった。
ゲーム機は電池切れで充電中だし、スマホは電池切れには出来ないから、ずっと遊んでるわけにも行かないし。
本は重くなるからって、ユウ兄ちゃんに二冊までって決められちゃってたし。それももう、読んでしまった。
そうだ。冊数制限したのはユウ兄ちゃんなのだ。この際、ヒマ潰しに付き合ってもらっても悪くはないんじゃないかな?
「まぁ、そうなんだろうなぁと思いながらOKしたよ俺は」
「ユウ兄ちゃん、知ってたなら先に言ってくれればよかったのに……」
ついつい、恨みがましい目をユウ兄ちゃんに向けてしまう。
ユウ兄ちゃんが悪いわけじゃないとはわかっていても、心とはなかなか言うことを聞いてくれないものなのだ。
「言ったじゃないか。大変だぞ、って」
「確かに言ってたけど。大変だって言っても、普通ここまでとは思わないでしょ?」
そんなかるーい言い方じゃ、ここまで大変だってわかるわけないよ!
ユウ兄ちゃんの伝え方に問題あると思います! はい、八つ当たりです!
「夏の祭典に普通はないなぁ。どこにもないぞ。今まででどっかに転がってたか?」
「……それは、そうだったけど」
そんな、道端に落ちてるみたいな……。
常識ならその辺にぽろぽろ落としてるらしき人は居たけど……。
「トイレとか、最大手だっただろ? こことどっこいか」
「……うん。あれは知らないとかなり危険なトラップだよ。回避も不可能だからなお質が悪いね」
急いでる人とかどうするんだろう……。私が並んでる最中は幸い、何事も無く粛々と列が流れていった。
「開催中ずっとあんな感じだからな。自分の体調はよくよく注意しておいたほうがいいぞ」
「わかった。気をつけるね。……って言っても、水分控えるとかはダメなんでしょ?」
私は手に持った水のペットボトルをちゃぷちゃぷ振りながら、ユウ兄ちゃんの視線を遮る。
そう。ユウ兄ちゃんはこの会話中ずっと、自分の読んでる本から目を上げないのだ。
会話しながらよく本が読めるよね。ユウ兄ちゃんはたまに変なところでスペックが高いから困るよ。
「当然だな。塩分と水分は絶対に欠かしちゃならねぇ。普通にぶっ倒れるぞ」
邪魔されたことで集中が切れたのかユウ兄ちゃんはやっと顔を上げて、読んでいた読書端末をぽちっとスリープさせた。
そしてそれをそのまま手に持っていたバッグにしまいつつ、代わりに中からスルメの入った袋を取り出す。
「……だとしても、スルメはちょっと……。臭いとかもあるし」
ユウ兄ちゃんが早速一本咥えながら、要るか? って差し出してくるチャック付きの袋を両手のひらを見せてノーサンキューすると、ユウ兄ちゃんは頷いて適当にバッグの中に放り投げる。
「なにおう。スルメは美味しい上に塩分補給もできるし、喉が渇くから水も飲むことになるし、何よりスルメにはタウリンが豊富だから疲労回復効果も期待できるという炎天下での行列にぴったりなシロモノなんだぞ」
そんな、セールスマンみたいなセールストークされても、その、困る……。
「ユウ兄ちゃん、語りすぎだから。長いから。周りに恥ずかしいでしょ……!」
待機列はとにかく暇とひまとヒマで埋め尽くされている。
他の周りの人の会話を聞いてる人が居ないとも限らないのだ。
「むぅ……。すまぬ」
「私は塩飴があるから、これでいいよ。でも塩分ってどれぐらい取ればいいのか、よくわかんないね?」
私は自分のバッグの中から袋に入った塩飴を取り出すと、一つ手に取る。
流れで要る? ってユウ兄ちゃんにも差し出すけど、ユウ兄ちゃんは口に咥えたスルメの端を見せて軽く首を振る。
まぁ、塩飴とスルメのコラボもそんな悪くは……悪いかな。ちょっと想像したら気持ち悪くなってきたかも。
「そうだなぁ。若いうちは余分なのは体の方で調節するから、足りないよりは多少多いほうがぐらいで摂取しとけばいいと思うぞ。一袋丸ごととかは流石に食べ過ぎだと思うが」
「流石にそんなには食べられないよ。いくら甘じょっぱいって言っても、いい加減飽きちゃうもの」
間に何か別の味を挟めば出来ないことも多分無いと思うけど、そこまでする理由もないという。
「じゃあ、スルメ、食べるか?」
「ううん。それは、要らないからね?」
ユウ兄ちゃんがそう言って自分の咥えたスルメを指し示すけど、ここで食べるって言ったらまさかそれを差し出したりはしないよね……?
たまにユウ兄ちゃんはそういうイタズラで私をからかってくるけど、いい加減私だって慣れるんだからね?
まぁ、どのみちスルメはないからノーサンキューなんですけど。
「ユウ兄ちゃん、ヒマだよ」
「そのセリフ、さっきも聞いたな。俺だって別に心躍るわくわくタイムを過ごしてるわけじゃないからな?」
条件は同じだからな、ってぜんぜん同じじゃないと思います。
ユウ兄ちゃんはさっきからずっと読書端末を読み続けてる。
一方の私は、もう手持ちで読めるものは何もない。
なんにも条件なんて一緒じゃないじゃない。これは是非抗議せねば。
「ユウ兄ちゃんはずっと本読んでるでしょ? 心躍るわくわくタイム、十分に過ごしてると思います」
だから私の暇つぶしに協力してもバチは当たらないと思います。
「そう言われてもなぁ。マユだって本、持ってきてたろ?」
「あんなもの、列に並びだしてからいくらもしないうちに読み終わっちゃったよ」
ついでに言うなら、もう二回読みなおしたよ。
「ああ、ラノベだったからなぁ。だからラノベじゃ間が持たないぞって言ったのに」
「だって、推理小説とか重いんだもん」
お父さんがそういうの好きで蔵書自体は一杯あるんだけど、普段読み慣れてないからどうしても読みたい欲が湧いてこない。
「まぁ、その辺は好みだから仕方ないか。じゃあ、俺の予備の実本でも読むか?」
そう言うとユウ兄ちゃんは自分のバッグからブックカバーに包まれた文庫本を取り出して、はやくはやくとせがむ私に手渡してくれた。
私はうきうきしながら早速ブックカバーをそっと剥がすと、中身の表紙を確認する。
「あっ! このシリーズ、私好きなんだ……ってこれ新刊!? なんで!?」
私はびっくりして手元の本から目を上げると、隣のユウ兄ちゃんを振り返る。
この本が、一昨日までのユウ兄ちゃんの部屋にはなかったことは確かなのだ。
というのも、さっきまで私が何度も読み返した本達もユウ兄ちゃんの本棚から借りたものだから。
一昨日本棚を物色した時には、今月の新刊なんてまだなかった。
あったらいの一番に確保したのに!
「なんでって、昨日色々調達しに行ったろ。んでマユを待ってる間に、本屋で普通に買ってきただけだよ」
「そっか……お盆前だもんね。新刊、もう出てたんだ。ありがと、ユウ兄ちゃん!」
大好き! ってサービスしてあげたら、ユウ兄ちゃんもまんざらじゃない顔してる。
私は早速ブックカバーを丁寧に戻すと、カラーで描かれたキャラクター達の新しい世界に没頭していった。
すぐに夢中になってしまった私は、背後からのチッ! って音には気づかなかった。




