第四話 ダッツ
「はぁー。このご飯を食べた後にだらだらする時間ってのは、人生でとても大事にするべき時間だとわたしは思うんだよ」
「それはいいですけど、先輩、眠らないでくださいよ。牛になりますよ牛に」
ぐたーっと片付けたテーブルに上半身を預ける先輩と、座椅子にもたれかかる俺。
マユは片付けぐらいやるという俺達を押し切って、片付けまでやってくれている。感謝しきり。
しかし可愛らしくて家庭的という、とてもいい物件だと思うんだが、何故かマユの男友達の話とかはあまり聞こえてこない。
同級生共の目は節穴なのだろうかと去年までの高校の後輩連中を思い浮かべるが、ろくに釣り合いそうな奴も居なかったということも思い出す。
なら仕方ないか。仕方ないね。
「ねえ、わたしが牛になったらグラムいくらで買ってくれるー?」
「一頭買するんでグラムいくらかどうかは気にしないですねぇ……」
結局、外には出たくないという結論になった。
外気温30度超えの中をのんびり散歩なんて頭がどうかしてるという先輩の発言に、誰も異を唱えなかったことで決まりとなった。
今は道を歩いてるだけでも熱中症で倒れるような世の中なのだ。
決して我々が特別脆弱なわけではない。
「はい、デザートですよ。ぶどうがあったので買ってみました」
「おおー、いいねぶどう。好きだよわたし」
「マユGJ。良い選択だ」
「……うん。ありがと」
はて、間髪入れずに褒めたはずなのに。いまいち手応えがないな。
「おおー、甘い。甘いよこれ」
「お、ホントだ。これは甘い」
「……あ、私か。えっと、冷えてて美味しいですねー」
俺と先輩にじっと見つめられてるのに気づいて、マユが慌ててぶどうを一粒つまむ。
「そこは乗らないんだ」
「乗ってきませんでしたね」
「乗ったほうが良かったの!?」
そんなショックをうけるようなことでもなかろうに。
なにせ今は勝負中なのだ。気を抜いたらやられるのだ。
「ちなみに今マユちゃんが乗ってきたら、じゃあ甘いってどれぐらい? って掘り下げが始まるとこでした」
「初っ端から連続して先輩のネタ潰しとは。マユも偉くなったもんだなー」
「うう、そんなこと言われても……。ねえ、ユウお兄ちゃん、これ私に不利過ぎない?」
そんな上目遣いで文句を言われても、対処に困る。
我々三人で合意した内容なのだから、俺の一存で条件を変えるわけにもいかないだろう。
つまりマユはどのみち先輩に立ち向かうしかないのである。戦えマユ! 負けるなマユ!
「まぁ、そう言われてしまっては返す言葉もありませんな。ではここでマユ嬢に主導権をお渡しすることにしましょう」
「おっ。良かったなマユ。頑張れよ、期待してるからな」
「うううう!? え、えーと。……えーと」
「…………」
「…………」
俺達は黙ってマユを見守る。一言もしゃべらない。
「だ、黙ったら負けなんじゃないでしたっけ!?」
「おお? 案外いいとこついてきましたぞ」
「意外とこやつ抜け目ないとこもあるんですよ。いつ発動するかはランダムなんですけどね」
「そんなことないよ!? 割といつも発動してるよ!」
両手をテーブルに乗せて、上半身を乗り出して主張してくる。前のめりすぎだろ。
「と、被告は主張しておりますが」
「そうですね……記憶にある中で一番新しいのは……どうだろう。ああ、ありました。今回の旅費はちゃっかり俺の両親からせしめてますよこやつ」
「せしめてるって言い方すっごく感じ悪いよ!? 私おばさんにそんな要求したことないよ!」
テーブルをぱんぱん叩きだした。マユさん、はしたないですよ。
「と、被告は主張しておりますが」
「そもそも今回の話を俺の親に振ったところからして策士ですよ。自分の都合に俺の様子を見てくるって言い分を載せて、なんなら頼まれてきましたみたいなとこありますからね」
「おばさんに話したのは回覧板届けに行った時の雑談からだし、様子見てきてって言われたのもホントだよ! 私の用事のついでだから電車代とか要らないですって言ったんだけど、それならお小遣いにしてって押し切られちゃったのは事実だけど……」
「おばさま、なかなか押しが強いのですね」
「そうなんですよね。グイグイ来るタイプです。うざったい時はホント勘弁ですよあれは」
「ユウお兄ちゃん、そんなこと言っていいのかな? 私、明日にはそのお隣へ帰るんだけどな?」
マユは一転してじとっとした目で俺を睨むと、口先を不満気に突き出してくる。
「おおっとここでマユ嬢の反撃」
「ははは、何言ってんだよマユ。お前良く考えてみろよ。息子が同年代の女性と話してる時に母親褒めてるなんてとこ想像してみ? どうだ想像できたか? 世間ではそういうのをマザコンっていうんだぞ。マユ、お前は俺がそんなんでもいいっていうのか?」
「うぐ。それは、確かにちょっと困るけど……」
「ちなみにわたしも普通にイヤです」
「そうだろうそうだろう。では俺のこの反応は別段何の問題もない、真っ当な反応である。そういうことでいいよな?」
「……いいと、思います」
よし、黙らせた。今日もここに俺の勝利の星が煌く。
兄としてはそうそう妹に負けるわけにはいかないのだよ。悪いなマユ。
「というかキミ、ほんとにマザコンとかじゃないよね? 一周回って隠蔽工作してるって見えなくもないからね」
「ええい先輩は黙っててください。俺への仕送り額が減ったら先輩だって困るんですよ。具体的にはバイトを増やさなくちゃならなくなる」
「ユウお兄ちゃん、バイトしてるの?」
バイトという単語に反応して、うつむきがちだったマユの顔が上がる。
「してるよー。それも可愛い子相手の家庭教師だよー」
「なんで先輩が答えてるんですか。てか、可愛いのは先輩基準でだけですからね」
「……ユウお兄ちゃん。私、おばさんに報告とかした方がいいのかなぁ?」
一段下がったマユの声に驚いて振り返ると、マユが目だけ笑ってない笑顔で頬に手を当てていた。
えっなに。今のどこに地雷埋まってた?
「是非するといいと思いますよぉ。可愛い子と週三で密室ですからねー」
「先輩っ! それですよそれ! 家庭教師先は男子中学生だから! 可愛いと思ってるのは先輩だけだから!」
「……サヤカさん。それは、本当に?」
「……お、おう。確かに中一男子です。なんせわたしも会ったことあるから間違いないよ」
一度下校途中の教え子君と道でばったりしたことがあって、その時俺の隣に先輩も居たのだ。
「頼みますよ先輩……ほんと」
「サヤカさん。紛らわしいのは、やめましょうね? ね?」
「はは、やだなマユ嬢は怒りっぽいのかな。はは。ちょっとエアコンきつくない? 設定温度下げた?」
「誰も触ってませんよ。マユを怒らしたら俺知りませんからね。先輩がなんとかしてくださいね」
普段怒らないやつを怒らすと怖いというあれである。あれなんでだろね。
だからマユ、その笑ってない笑顔は怖いよ。
「……ユウお兄ちゃん?」
「ほーらおーこらーれたー」
「先輩のせいじゃないですか……!」
完全にとばっちりなのである。勘弁して欲しいのである。泣きそうなのである。
「私、なんだか甘い物が欲しくなってきたかもしれません。具体的には冷凍庫に入ってたダッツ的なものがいいかなぁ」
「ユウ君、はやくするんだっ! まにあわなくなってもしらんぞーっ!」
「間に合え……間に合え……! 間に合えぇぇぇ!」
俺は前のめりにつんのめるようにして、冷蔵庫に取り付いた。