第三話 焼きそば
今回から彼氏視点で固定になります
「さて、それでこの後の予定はどうなってるのかな?」
先輩は気を取り直すように手をパンと鳴らすと、俺に尋ねる。
「とりあえずマユがお昼を用意してくれるということになってます」
「それにしてはそんな感じ、全然ないみたいだけど」
そう言うと部屋の中を見回す先輩。
確かに、さっきのお茶以外は何の準備もしていない。
「玄関開けて最初のセリフが、まずはシャワー浴びさせてだったので……」
「すみません。最後の階段でもうありえないことになってしまったので……」
「ああ……うん。その気持はわからないでもないよ」
三人揃ってなんとなく気まずくなって、顔をそらしてしまう。
「やっぱ俺が駅まで迎えに行ったほうが良かったかもしれんな」
「ううん。これは私が言い出したことだから」
まずは荷物を置きたいということで、マユから直接俺の部屋に向かうと連絡があったのは昨日の夜だった。
それまで最寄りの駅まで迎えに行くつもりだったので詳しく話を聞いてみると、何やらもう一つ目的があったらしい。
なんでも今後のことも考えて、地図だけで目的地にたどり着く練習をしたいとのことだった。
そのためにも一人で行ってみたいと言われれば特に断る理由もないので、俺は部屋でマユを待つことになった。
確かに地元で暮らしてるだけだと、地図を見ながら目的地に移動するって機会はあまりないからな。
「あ、そういえばユウ兄ちゃん、買って来たもの冷蔵庫に入れてくれた?」
「ああ、入れといたぞ」
「ありがとっ。じゃあ、ささっと作っちゃうね」
「お前の焼きそばも久しぶりだな。今の腕がどうなってるか期待させてもらおうかね」
食材の在庫状況もメニューと一緒に昨夜しっかり確認されている。
もっとも、今回足りないのはもやしぐらいなものだったが。
「そんなすぐに腕が落ちたりしないよ。心配しなくてもいつもの味だから安心してて」
「そいつはよかった。あ、かつおぶしは流しの下にあるからな。肉は冷蔵庫で半解凍になってるはずだから」
「わかったー」
慣れた様子でフライパンをセットして、ひとまず野菜室からキャベツを取り出したマユを先輩と眺める。
「ふーん。実妹みたいなもん、ねぇ。キミにはよく食事を作ってくれる妹さんが居たようですね?」
「ええ。マユの作る飯は妙にハマるというか、しっくり来る味なんですよね。慣れてる味というか」
「それはそうだよー。おばさんによく料理教えてもらってたからね。味付けは基本的に同じなはずだよ」
「それでか。そういやうちのキッチンによく出没してたなお前」
マユはトントントントンと安定したリズムでキャベツを刻むと、もやしと一緒にフライパンで炒めはじめた。
じゃーという高火力で炒める音が自然とマユと俺達の間で音の壁を作る。
「母親公認、と……」
「なんかいいましたか? 先輩」
「んん? もしかしてキミ、それは伝説の『え? なんだって?』って奴かい? 現物初めてみたよ」
「いや、タイミング的に被っててホントに聞こえなかったんですけど……。なんか重要な事でした? すみません」
「わたしにとってはとても重要な事だったけどね。キミにとってどうだかはよくわかんないね」
「なんですかそれ」
「それはわたしのセリフだなぁ……」
「あ、それで昼飯が終わった後の予定ですけど、とりあえずこの辺を散歩しながら商店街の方まで行こうと思ってます」
「いいんじゃないかな。あそこ行けばだいたい揃うし、そんなに遠くもないからね」
「じゃあ、そういうことで」
「でも、外。凄いよ?」
「ああ、今日は暑いみたいですね」
「一番暑い時間帯にこの部屋から出て行くのは、ちょっと勇気がいるねぇ」
この部屋はエアコンが効いているので忘れがちだが、外を歩いてきた二人は口を揃えて暑いと言っていた。
今日は本当に暑いのだろう。この間も気温30度とか真夏としか思えないような暑さになっていたし。
「うーん。そうですね。どうしようかな。商店街まで歩いたら猫の尻尾で一休みしようかと思ってたんですけど」
「ああ、それもいいかも。あそこのかき氷美味しいからね」
猫の尻尾は我々の行きつけの喫茶店で、商店街に店を構える中では意外と老舗らしい。
コーヒーはマスターが、紅茶は奥さんが担当で、それぞれ担当者が居る時しか提供しないという道楽っぷりで有名だ。
よく潰れないなあの店。
「もう出してるんですかね? かき氷」
「言えば出てくるでしょ。氷削ってシロップかけるだけなんだし」
「その氷自体を仕入れてないと出せませんよ」
かき氷用のブロック氷とか、常に在庫であるわけでもなさそうだし。
「氷かき器はこの間出してるのを見たよ。ってことは準備してるってことじゃない?」
「うーん。なにせ六月ですからね。これが七月なら迷わないんですが」
「まぁなければないで本日のジェラートで手を打つだけだから、問題ないよ」
ジェラートは商店街の洋菓子屋から手作りを仕入れているので、これも外れがない。
「とりえあえず飯食ってからマユにも聞いて決めましょう」
「そだね。主役はマユちゃんなわけだし」
「はーい、出来ましたよー。ユウ兄ちゃん持ってってー」
二人が結論を先送りしたちょうどそのタイミングでマユの調理が終わったらしく、台所から声がかかった。
「ほいほい。かつおぶしは?」
「あ、まだだよ。サヤカさんの好みがわかんなかったから。どのぐらいかけるか聞いてみて?」
ひとまずマユは使ったフライパンやフライ返しを洗っている。調理は片付けまでやって終わりですよ。
「先輩、かつおぶしかけます? それとも無しのほうがいいですか?」
「もらおうかなー。ふつうでいいよふつうで」
俺は鰹節の大袋を振り振りして先輩に確認を取る。
「了解ですっと。マユは少しな。俺はたっぷり」
かつおぶしはどれだけあってもいい派です。
「うん、ありがと。ユウ兄ちゃん」
「てかさ、ちょっと聞きたんだけど」
鰹節を乗せ終わった皿から先輩に手渡してテーブルに運んでもらっていると、先輩が改まって聞いてくる。
「はい?」
「なんですか?」
「マユちゃんのユウ君への呼び方が安定してないみたいなんだけど、なんで?」
「安定って? 何がです?」
「ユウお兄ちゃんだったり、ユウ兄ちゃんだったり? なんか呼び慣れてないみたい」
そう言われてみればそんな気もしないでもないけど。先輩もよくそんなの気づくな。
「あ、それは……。その、普段他の人が居るところだと、ユウ兄ちゃんだと本当の兄妹みたいに聞こえちゃうので。気をつけてユウお兄ちゃんって呼び分けてたんですけど、食事を作るなんて普段はユウお兄ちゃんの家でしかしてなかったので……」
「油断して素が出たと」
「その通りです……」
「てか先輩、それがどうかしました? 別にどっちだって大差ないでしょそんなの」
今はそんなことより出来立ての焼きそばのほうが大事なんだ! 鰹節が踊り終わってしまう。
「牽制とか親近感とか威嚇とか日常感とか? 色々あると思うよ?」
そんな俺の様子を見て若干残念そうな顔をする先輩。なんですか。言いたいことでもあるんですかね。
「あの、サヤカさん、その……」
「まぁいいや。知りたいことはわかったから早速いただきましょう。ごちそうさま」
先輩は口ごもっているマユを見て何かを察したようで、やっと食べる気になったようだ。
そうだよな。せっかく作ったのに冷めちゃったら味が落ちちゃうしな。マユの言いたいこともわかる。
「先輩、それ食べ終わった時の挨拶ですからね。いただきます」
後つまんないですからね、それ。
「はい、どうぞ。じゃあ、私も」
全員が焼きそばに手を付けると、暫くの間部屋が沈黙に包まれる。
なんだかそれもあれなので、とりあえずTVをつけてみた。
ちょうどお昼のニュース前の天気予報が始まったところで、やはり今日の最高気温は30度を超えるらしい。
「はー。今六月だよ? 勘弁してよもう」
「同感ですね。てか、先輩知ってました? 一年で一番暑いのって実は七月らしいですよ」
「は? なにそれ。じゃあ今までの八月さんのあの態度ってなんだったの? 俺こそ暑さの権化だみたいなあのドヤ顔」
正確には体感する暑さで言うと七月がマックスになる、ということだ。
八月は暑さに慣れて30度超えても気にならなくなるみたいなもんだな。
「表番長と裏番長みたいなもんですかね。ハーゴンとゾーマみたいな。裏のほうが強い感ある」
「ユウお兄ちゃん、それバラモスじゃなくて?」
思わぬところからの指摘に、俺と先輩の刻が止まる。
「……そうとも言うな」
「人物名が明らかに違うよ」
マユの鋭いツッコミ!
俺は50のダメージを受けた。
「お、いいねいいね。マユちゃんも結構いけるクチ?」
そんな俺を見て嬉しそうな先輩。俺がダメージ食らってるの見て、そんなに喜ぶだなんて!
「そんなに詳しい訳じゃないですけど、昔ユウお兄ちゃんと一緒にやったことあったので」
そうでしたね。リビングでゲームやってると大体隣でマユが見てた記憶がある。
「おおっと露骨な一緒だったアピールきたー。なにおう。おねーさんだって負けないかんね」
「何張り合ってるんですか……。俺だってそうそう失態ばかり犯しませんよ」
「次にイジられるのは誰か……。ここは一つ勝負といこうじゃないか」
額に手を当て、何かの真似らしい決めポーズで宣言する先輩。なにこれ間抜けかわいい。
「でも、それって黙って聞いてたら最強じゃね?」
ほら、沈黙は金っていうじゃないですか。
「もちろん沈黙は敗北とみなす」
たった今沈黙は敗北の味になりました。
「では敗者への罰を決めねばなりませんな」
俺も両腕を組んで、無意味に頷いてみせる。
「猫の尻尾でケーキ奢ってもらおう。で、それを勝者二人で敗者に見せつけながら食べるの」
「それは果たして罰なんだろうか……まぁいいか」
まぁでも結構地味に嫌な罰ゲームだなこれ。美味しければ美味しいほどつばが貯まって仕方ないだろうな。
「……私、そういうの自信ないんですけど」
一人自信なさげなマユが、そっと片手を上げて主張してくる。
「いやぁ、悪いなマユ。俺と先輩はいつもこんなことばっかしてるからな。これは勝ちは貰ったみたいなもんかなぁ? はっはっは」
思えば毎日毎日バカな会話ばかりしている気がするが、今はそういうことを気にする場面じゃないな。うん。
「マユちゃん、大丈夫。こういう時に勝ち誇るともれなくフラグって奴が立つからね」
と、先輩がマユに身を寄せて、何やらアドバイスらしきものをしている。え、それってズルくね!?
「あ、はい。がんばりますね!」
「……今、パスしたつもりだったんだけどな」
が、よくわかってないマユにまんまとネタ潰しをされておる。ざまぁ!
「ふぅ、危なかった。命拾いしましたよ。まったく。いきなり結託とか、汚いさすが先輩きたない」
一度タイミングを逃したツッコミなど、かえって言った方がダメージを受けるのだ。
「ぐぬぬ……。戦力を見誤った私のミスだね。これはマユちゃんが悪いわけじゃないよ」
「あっ! そういうことか! 今、ユウお兄ちゃんのフラグを拾わなくちゃいけなかったんですね」
今更気づいてももう遅い! 幸運の女神には前髪しか無いのだ! ……後頭部刈り上げてんのか?
「ふはは。もう遅いぞマユ。一度終わったネタはもう効かぬ」
もう俺に怖いものなどないのだ。残念だったな、マユよ。
「うぐぐ……。ユウお兄ちゃんのいじわる」
ぐっ! ……ふぅ。危なかった。危うくマユに場外乱闘でノックアウトされるとこだったぜ。
相変わらずいいパンチ持ってんな、マユよ。
「うっ……。なにこのハートブレイクショット。この娘、パンチ力高すぎない?」
と思ったら、隣で先輩が胸を抑えてうずくまってるじゃないですか。
マユの上目遣いからのこのパンチは強力ですからね。そりゃ慣れてないとキツイと思いますよ。
「先輩が効いてどうするんですか。そういうのは異性に届かせないと」
俺や先輩に放っても何の意味もないぞ。マユよ。
「いやぁ、まったくだよね。そろそろ君たちの関係性が透けて見えてきたよ」
「……ですよね。はぁ」
半笑いの先輩と、溜息をつくマユ。
俺は先輩の言うところの意味がいまいち読み取れなくて、首を傾げた。