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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第七章【魔導書の国】
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十三話【僕の分まで世界を見てこい】

「追え! 逃がすな!」

 軍服の男たちが疾走する。彼らの視線の先には二人。一人は、踊り子のようなカラフルで薄い衣を纏った少女アルメリア。もう一人は、この世界では見られない弦楽器を背負った少年ヴェラード。左腕は折れ、だらりと力なく垂れ下がっている。それで早く走れるはずもなく、アルメリアは彼をおんぶして走っていた。それでも軍人たちより速く、直線の道路に入る度大きく引き離す。

 それでも、徐々に距離が詰められていく。大衆の前で踊った疲労、謎の竜との戦闘、謂れのない追撃、走りにくい体勢での疾走――加えて相手は土地鑑もある。アルメリアの身体能力が人間のそれを大きく上回っているとはいえ、あまりに不利な条件が揃っていた。

 十字路を左へ。直進して、三叉路を右前方へ。丁字路を左に行こうとして、やはり右へ。その時々の直感を頼りに逃げ続ける。すれ違う人たちは何事かと二人を見送る。その後に屈強な男たちが続くのだから、さらに驚くことだろう。

「ヴェラード様。思いのほか、しつこいです。名残惜しいですが、一刻も早くビブリアに戻るべきです」

「そんな! まだこの国のことを何も知らないじゃないか!」

「それはそうですが、今はそれどころではありません。彼らに捕まれば、どのような目に遭うのかわかりませんよ!」

「でも、僕らは何も悪いことしてないじゃないか」

「わたしにも、どうしてこのような事態に陥ったのかわかりません!」

「あっ! アルメリア!」

 ヴェラードが前方を指差す。背中に気を取られていたアルメリアは、一瞬対応が遅れた。

 彼の指の先には、この街の警官たちが立ち塞がっていた。手には警棒、中には銃を構える者もいる。

「先回りか!?」彼女は舌打ちすると、すぐに踵を返す。しかし背後からは、軍人たちがしつこく迫ってきていた。汗を流し、顔を上気させながらも、表情は鉄のように冷たい。

「それなら……っ!」視線を上げる。前後を封じられたのなら、上に逃げるしかない。白本のヴェラードは同じ体型の人間よりも軽く、アルメリアの脚力なら難なく塀を踏み台にして屋根に跳ぶことができる。しかし、陸屋根の上からは銃を携えた軍人たちが待機していた。その位置ならば、一般人を流れ弾に巻き込むことなく、二人の標的だけを狙うことができる。

「袋の鼠だ」何分も背後から追いかけてきた軍人の先頭、リーダーと思われる男が言い放った。その手には、小型の通信機が握られていた。よく見れば、屋根の上の軍人たちも同じ機械を持っている。

「お前たちは好き勝手に逃げていたつもりだろうが、実際は、俺たちに誘導されていたわけだ。この場所にな。まさか、ここまで長いこと逃げられるとは思わなかったが……貴様ら、何者だ?」

 口を動かしながらも、じりじりと距離を詰めていく。その距離がゼロになった時が二人の最期に違いない。

 その時、ヴェラードが動いた。彼の側頭部には白本のスピンが結びつけられていた。普通の人間が見れば、髪に結び付けるエクステに見えるだろう。全体は鮮やかな緑色だが、その先が白く発光している。彼が力を籠めると、先端が白い炎に包まれた。その炎は栞を伝い、ヴェラードと彼を背負うアルメリアを包もうとする。

 タァン!

 銃声。屋根の上で狙いを定めていた軍人が引き金を引いた。解き放たれた銃弾は宙を貫き、二人の腹部を貫いた。ヴェラードの体からは白い紙の屑が、アルメリアの体からは赤い血が噴き出す。脇腹を掠めた程度なので致命傷には遠いが、この状況からの脱出をさらに困難にした。

 痛みと疲労に耐えかねたアルメリアはその場に崩れ落ちた。背中のヴェラードを放り出してしまう。栞の先の炎はとっくに消えていた。

「ヴェラード様……ご無事で……?」

「僕は大丈夫……だけど」

 このままではマズい。なぶり殺されるか、捕らえられるか。栞を燃やしてビブリアに戻ろうとすれば、即座に弾丸が飛んでくる。

 アルメリアは強い。しかし、経験が少ない。彼女にとって、初めて仕える白本がヴェラードだった。平時なら装者の身体能力を遺憾なく発揮できるが、窮地に陥る経験が無かった。熟練の装者でも脱出困難なこの状況を、彼女が切り抜けるのはほぼ不可能に思えた。

 だから、ヴェラードは考えた。どうすればこの状況を打破できるか。どうするのが最善の策か。しかし、彼の異世界での経験値は彼女と変わりない。自分の髪を乱暴に掻きむしる。結局、彼が思いついた方法は、自分でも正解だと思えないような苦肉の策だった。


 未だ地に伏しているアルメリアの肩に手を置くと、おもむろにヴェラードが立ち上がる。警戒心を剥き出しにする軍人たちを前に、彼は両手を広げ、胸を張って叫んだ。


「この娘は、僕が魔導書の力によって生み出した改造人間だ! 僕を殺せば、その力を手に入れることはできなくなるぞ!」


 軍人たちは思いがけない言葉にたじろいだ。その隙を見逃さず、ヴェラードは再び力を籠めた。すると、アルメリアの肩が白く発光し始めた。彼は自分の髪を掻きむしった時に栞を取り外し、それを彼女の肩に置いていた。それを遠隔操作で燃やしたのだ。

「また白い炎が!?」

 屋根の上の軍人が再び引き金に引っかけた指に力を入れる。

「撃つな!」その照準の先にヴェラードが躍り出た。そのまま引き金を引けば、簡単に彼の頭に穴が開く。しかしそうなれば、この謎の少年の正体を知ることができなくなる。結局男は、リーダーの指示を待つという選択肢を選んだ。

 ヴェラードは賭けた。敵に、「この二人を殺すのは損だ」と思いこませる。その隙にビブリアに戻るという作戦だ。

 思えば妙だった。殺すつもりなら、腹を撃たずに頭や胸を撃てばいい。そうしなかったのは、竜を殺した人外の力を我が物にしようと企んでいたからではないのか。殺すのは、最後の手段のはず。その可能性に賭けた。

 アルメリアの体に炎が広がる。早く彼女に触れなければ、自分はこの世界に取り残されてしまう。彼女に手を貸し、なんとか立たせようとする。

 その時だった。

「奴らを逃がすなぁっ! 脚を切り落としてでも取り押さえろっ!」

 このままでは、連中は不思議な力で逃げおおせる。そう感づいたのか、リーダーの男が命令を下した。混乱し、指示を待っていた部下たちが動き出す。やるべきことが明確になった軍人たちの動きは速い。各々帯刀していた軍刀を鞘から抜くと、爪牙を剥く獣のように間合いを詰める。

「来ます! わたしから離れないで!」アルメリアはヴェラードの手を握ると短剣エーデルシュタインを構えた。

 例えば、相手が素人か、徒手空拳か、ほんの数人だけか。もう少し有利な条件が揃っていれば手負いの彼女でも十分に時間を稼ぐことができた。しかし、そんな“たられば”は二人を助けてはくれない。ヴェラードが考えた時間稼ぎは結局、二人が逃げるには不十分だった。


「ごめん、アルメリア」


 だから彼は、彼女一人分の時間を稼ぐことにした。

「ウアオオオオォォォォォォーーーーーーーーッ!!」

 時に女性に間違われる端正な顔立ちと美声を持つ彼から、雄々しい叫びが吐き出される。アルメリアを突き飛ばすと、彼は残された右手で弦楽器のネックを握る。決して破壊力のある武器とは呼べないが、彼らの軍刀よりもリーチは長い。何より、命を投げうつ覚悟を決めた彼の気迫が、男たちの勢いを僅かに殺した。アルメリアを守るように、ただがむしゃらに楽器を振るい続けた。

「何をしている! 早く止めろ!」

 煌めく刃がヴェラードを襲う。屋根からの銃弾もアルメリアを襲う。互いに攻撃を躱すので手いっぱいで近づくこともできない。近づけたところで、動きが鈍くなったところを狙い撃ちされるだけだ。

「ヴェラード様! 早く!」

 それでも彼女は、自分の主人の名を叫んだ。既に彼女の全身は白い炎に覆われ、一部は燃え尽きてビブリアへの移動を開始している。耳元ではパチパチと炎が爆ぜる音がうるさい。

 白く包まれていく視界の中で、一度だけヴェラードと目が合った。傷だらけになりながらも、彼は笑顔で口を開いた。それは彼がアルメリアに見せた中で、最も力強く、優しさに溢れていた。


「僕の分まで世界を見てこい、アルメリア」


「待って!」手を伸ばそうとして、その手が既に燃え尽きていることに気付いた。その直後には視界が完全に白く包まれていた。炎の爆ぜる音も、男たちの怒号も、ヴェラードの声も、何も聞こえなくなっていた。

 最後に彼女が見た光景は、笑顔のまま軍刀に切り裂かれる主人の姿だった。

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