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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第七章【魔導書の国】
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一話【それでも旅は続く】

「また、ここか」

 シックザールは草原の中に立っていた。緑のじゅうたんが彼の足元を隠し、のっぺりとした青空が相変わらず広がっている。

 それはいつもの夢に似ていた。やがて、地面が割れ、空が割れ、黒い巨人が現れる。その光景が今にも実現される予感がして、いよいようんざりしてきた。夢の中くらいそっとしておいてくれよと舌打ちする。

 しかし今回は何も起きなかった。訝しみながらしばらく歩いてみても、その場で寝転がってみても、何の変化も現れない。世界が停止している。

 いつもと違う? そう思い、駆け出した。夢の中だからか、息は上がらず、足も痛くならない。どこまでも走れそうだった。

 このままどこまで走れるだろうかと思い始めた時、前方に草が生えていない箇所があることに気付いた。近づいてみるとそれは湖で、風が無いものだから湖面は鏡のように青空を映している。歩み寄ると、湖面がわずかに振動で震える。

 何とは無く、身を乗り出し、湖面に自分の姿を映し出す。黒い巨人が視線を合わせた。




「違うっ!」

 ベッドの上から跳ね起きた。その勢いで枕もとの時計が落ちる。ガチャンと悲鳴を上げた。窓から差し込む光が、汗の沁み込んだ敷布団を照らす。


 違う違う違う! ボクは怪物なんかじゃない本当の怪物はあの黒い巨人だボクは違うんだ肌色で体も小さい特別な力もあるけれど怪物ではない悪い奴じゃない…………!


 指の爪をガチガチ噛みながら、はちきれそうになる呪いの言葉を押し込む。ベッドの上の毛布をむしり取り、丸めた自分の体を包む。毛布のぬくもりは震えを和らげてはくれなかった。毛布から伝わる自分のぬくもりと匂いに吐き気をもよおし、壁に放り投げた。異世界からお土産に持ってきた品々が巻き込まれて床に落ちる。埃が舞い上がり、隅に隠れていた虫が逃げ惑う。

 玄関扉がノックされる音が奥から聞こえてきた。体をギュッと押さえ、頬を何度も叩く。散らかした部屋を片付け、すぐに玄関の扉を開く。

「おかえり、アルメリア!」

 シックザールは笑みを浮かべて、朝の買い出しに行っていた自分の従者を迎え入れた。


「ボクは、旅を続けるよ」

 無言の朝食を終えると、出し抜けに自分から切り出した。おそらく、アルメリアもそれが気になっていたはずだ。彼女の表情が沈むが、どこかほっとした表情も覗かせている。

「……それで、よろしいのですか?」

「当たり前だろ? 兵器だろうがなんだろうが、ボクが白本ということは変わりない。異世界に行くことだって禁止されていないし、空白の十万ページを埋めれば、ボクだって本に成れるはずだ。兵器だけど平気……つってね?」

「わたしのことは、恨んでいませんか?」

「何を恨むって言うんだよ! 要は、いつもボクを見守ってくれているってことだろ? そんなの、他の装者と同じじゃないか。むしろ『アルメリアも大変な仕事を引き受けたな』って、ちょっと気の毒に思っているくらいだよ」

「……隠していて、申し訳ございませんでした」

 気にしてないよと言う前に、彼女はエプロンを外し、その場に両膝を突いた。そして両手を突き、深々と頭を下げた。

「改めて、わたしの口から申し上げます。わたしは、ネイサ様のご命令により、シックザール様を監視する任を受けていました。

 しかし、誓わせてください。わたしは誰よりも、あなたの身の安全のことを考え、無事に本に成ることを望んでいます。十万ページという道のりは途方もなく長いですが、お供させてください」

 アルメリアの赤い髪が垂れ、板張りの床を撫でる。その表情は椅子に座るシックザールには見えなかったが、彼女の声を聞くだけで容易に想像ができた。

 椅子から降りると、傍にしゃがんで彼女の頭を撫でる。「顔を上げてくれよ」そう声をかけた。

 基本的に無表情のアルメリア。彼女と旅を始めたときは、ロボットみたいなやつだなと思っていた。しかし今は、その仮面の奥から垣間見える表情を理解することができる。それはきっと、他の誰にもできないことだ。

「ボクからのお願いだ、アルメリア」彼女の胸に顔をうずめ、細く滑らかな腰に手を回す。「ずっと、ボクと一緒にいてくれよ。ご主人様からの命令だ」

 その言葉に、彼女は首を縦に振って応えた。


 新たな旅に出る身支度を整えた。後ろ髪には真っ赤なスピンを結び、頭部を保護するターバンを巻く。伸縮性、防水性に優れた衣服に身を包み、さらに体を保護する外套を羽織る。

 アルメリアも着替えを始める。装者の能力である刺青をすぐに使用できるように、四肢は露出している。胸部や腰回りなどの急所は保護されているが、動きやすさと利便性をなにより重視している姿だ。

「じゃあ、行こうか。アルメリア」

「はい。シックザール様」

 扉を開き、外に出る。空は快晴で清々しく、幸福な旅を予感させた。


 混沌カオスの炎の前に着いた。点を焦がすほどの白い大火は、この日も元気よく燃え盛っている。

「シックザール様。何か可笑しいことがありましたか?」

「えっ、どうして?」

「口元が緩んでいましたから」

「ああ。この前のコピィの一件を思い出しちゃってね。まさか、初めて自分の体を燃やすのを、あんな形で実現しちゃうなんてね。あいつはきっと大物になるよ」

「ええ、わたしもそう思います」

「この体じゃ、あいつに先を越されちゃうけどね。そう考えれば、この体も悪くないかもしれないよ」

 それを言うと、アルメリアは気まずそうに視線を逸らした。失言だったと後悔する。

「ごめんごめん、皮肉じゃないよ。この体にはこの体のいいところがあるし、そもそも、お前がボクをこの体にしたわけじゃないだろ。そんな顔されると、ボクが困るんだよ」

「……申し訳ありません」

「だーかーらー、そういうのやめろって! ほら、さっさと行くぞ」

 そう言って彼女の手を取り、強引に引っ張って炎の中に入った。体の表面をチリチリとした感覚が包み、分解されていく。さあ、新たな旅の始まりだ。


「わあっ! いい景色じゃないか!」

「ええ、素敵ですね」

 二人が降り立ったのは、海岸線を澄み切った青い海に面した街だった。

 岩棚の向こうは断崖絶壁になっており、足を踏み外せば大けがは免れないだろう。その断崖から内地にかけては急勾配になっており、斜面に貼り付くように白いレンガの家々が軒を連ねている。さんさんと降り注ぐ太陽の光が照り付けることによって淡く発光し、その白さがより一層際立つ。

 その街並みのてっぺんには、強固な城壁に覆われた純白の城が顔を覗かせている。まるで、眼下に広がる白い街並みを見下ろしているようだ。

 崖から身を乗り出し、水平線の彼方まで広がる海を見下ろす。白い波と共に、大きく翼を広げた海鳥たちがミュウミュウと鳴き声を上げながら群れを成して優雅に跳び回る。何度か旋回した後海面に突っ込んでは、その大きなくちばしに魚を咥えていた。崖にぶつかった海風が駆け上がり、シックザールの髪をかき上げる。鼻の奥まで一気に潮の香りが突き抜ける。

「はあ~。やっぱり、海はいいなぁ! 広いし、美しいし、生き物たちの香りがする! 潮風はちょっと体に毒だけど」

「そうですね。ビブリアにも海があるといいのですが」

「それはさすがに無理でしょ。でも、今回は運がいい。街を適当に見て回ったら、下の砂浜に行ってみるのもいいかもね。ああ、この時ばかりは人間に生まれたかったって思うよ……」

 唇をかんで悔しがるが、こればかりはどうすることもできない。白本にとって海水など毒に等しく、もちろん人間になることだってできない。立ち上がって手の砂を払うと、手近な小道に足を向けた。人々の喧騒がその向こうから微かに聞こえてくる。

「さて――と。景色もいいけれど、やっぱり人だね。ここにはどんな人たちが暮らしているのかな」

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